第16話 今は、まだ・・ね。



「でも今日、来たのは、私が催眠を行ったのか知る為ではないんでしょう?」


「……ええ」


 そして如月ユウは、金森と視線を合わせてから事の成り行きを説明し始めた。


「俺は今年の一月に、事故に遭いました。金森と同じで車に撥ねられて、全治5カ月の怪我を負ったんです」


 話しを始めると黒木先輩は驚いた表情をし、尋ねてきた。


「……本当に大変だったわね。今はお怪我の具合はいいの?」


「はい。幸い怪我はほとんど治っていて、今は普通の生活を送れています」


「そう、よかった。何よりだわ」


「でも体の方はいいんですが…… 俺は、前の記憶が無くなってしまったんです」


 そして少し口ごもり気味にユウが本題を口にすると、先輩の顔色は変わった。


「……記憶喪失、ってこと?」


「……はい」


「…………」


 そして先輩は、少し黙り込んだ後で話しを続けた。


「……そう。如月君、気を悪くしたらごめんなさいね。二年生に交通事故に遭って、記憶喪失になった人がいるって噂を聞いた事があるの。それが、あなたなのね?」


「はい。多分そうです」


「……そう。それは、本当に大変だったわね」


 ユウを見つめるその瞳は悲しみに揺れて、そしてその悲しみの奥に、この人の優しさが見え隠れする。春日が言った通り、この人はきっと……



「……それで、私はあなたに何をしてあげられる?」


「……はい。先輩は催眠療法で辛い記憶を消して、金森を救いました。記憶を消せるということは、記憶を思い出させることは出来ないでしょうか?」


 また沈黙が辺りを包んだ。


 黒木先輩は暫くユウをじっと見つめていたが、スッと目線を逸らし今は何かを思案している様に空中に視線を向けている。そして先輩が、その静寂を止めた。


「……如月君。あなたは記憶を、どれくらい忘れたの?」


「はい。事故前に会った人達のことは誰も覚えていませんでした。家族、友人、周りの人達のことは誰も記憶になかったです。……思い出も含めて、全てです」


 ユウの話を聞き終えた黒木先輩は、キュッと唇を固く閉ざした。そして目をつむり、何事かを口の中で呟いている。そして深い深い呼吸を一つ……


「……貴方は、強い人なのね。本当に強い人。人にとって思い出は、心の支えなの。   もちろん辛い思い出もあるけれど、人との繋がりはその人の生きる意味そのものだもの。その全てを忘れるってことは、生きる意味を忘れるってこと。それは私が想像も出来ないくらいに、きっと孤独で辛いことだと思う。でも……

 でも、貴方はここに居るのよね?周りに知らない人達ばかりのこの学校に戻ってきて、新しい人生を切り開いているのよね?たった数ヶ月で、よくそこまで立て直したものだわ……」



 そう……それはきっと、今の瞬間だったのだと思う。


 如月ユウを見つめる鳶色の瞳の中に、黒木紅葉本人も気が付かない内に、その色は宿ってしまった。だだし、その時はまだ単純に尊敬心に近い感情だった。


 今は、まだ……ね。


 ……ねえ、紅葉? 

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