第69話 吊り革

 揺れる電車の中、ユウは吊り革に掴まりながら隣の車両にいる水崎翔子と金森いずみの様子を眺めていた。二人は、何やら楽しそうに話し込んでいる。

 

 以前は一緒にいるグループが違うこともあり、特に仲の良い友達といった様子には見えなかった二人だが、最近は仲良く話している姿をクラス内でも見かけるようになった。一緒にいる時間が長いこともあり距離を縮めたのだろう。


 遠くから見ても、二人が楽しそうに話し込んでいる姿には華がある。結構な事だな、と思いつつユウは大きな欠伸を一つ。


「ふふっ最近、随分と眠そうね。ちゃんと睡眠は取っているの?」


 ギクリ、とした。


 隣に立つ先生こと黒木紅葉が話し掛けてきたのと、水崎翔子がこちらに視線を向けてきたのが同じタイミングだったからだ。


 恥ずかしそうに、隣の車両から小さく手を振ってくる水崎。ユウはそれを見ていないフリを決め込んで慌てて視線を逸らしたのだが、隣りにいる勘の鋭い彼女がソレに気が付かない筈がない。



「……如月君。は、どういうこと?そういえば、昨日はちゃんと説明してくれなかったわね?」


 と…… やはり彼女から、早速に冷たい視線が送られくる。


「い、いや、俺に聞かれても、さっぱり……?」


「男らしくないわ。ハッキリしなさい。貴方…まさか、依頼人に手を出していないでしょうね?」


「いや、そんな事していませんて!不安がっている女の子に付け込むみたいなこと、俺しませんから!」


「……本当、かしら?」


「本当ですって!それに……」


「それに、なぁに?」


 その時、電車がガタリと大きく揺れた。吊り革に掴まっていたユウはともかく、バランスを崩した紅葉は、上体を大きく傾向かせた。ユウは無意識に、彼女の肩を押さえていた。


「……あ、ありがとう如月君」


 心なしか顔を赤らめた彼女から、礼を言われる。


「……い、いえ」


 その態度に、いつもと違う雰囲気を感じて内心どぎまぎしていると、横から小さく咳払いの声が聞こえた。……青葉だ。

 

 そちらに視線を向ければ、直ぐに彼女と視線が合った。それもその筈、だって彼女はユウをじっと見つめていたから。


「……?」


 何だろうか?と思っていると、彼女は唐突に吊り革を握るユウの左腕に手を伸ばしてきた。そして…… きゅっと、控えめに握られる袖。驚いてしまったユウは、思わず彼女の顔を二度見てしまった。


 

「………青葉? 何してんの?」


「私も…… 転びそうでした」


 その問い掛けに、明後日の方角を向いてしまった青葉から返事が返ってきた。………返してきたのは、非常に返答に窮する言葉だ。


「………………」


 どう返したものかと押し黙っていると、加えてユウの空いていた右腕に腕を絡めてくる人までいるではないか。


「……先生も、何のつもりなんです?」


「また揺れたら、危ないと思わない?」


 しれっと答えたその人に、ユウは正論をぶつけてみることにした。


「……二人が、吊り革に掴まればいいんじゃないですかね?」


「嫌よ。だって誰が触ったか分からないじゃない」



 ………成程。さっき少しでもとした自分が馬鹿だったと、ユウは気が付いた。自分の持ち合わせている一般的な常識に当てはめて、この二人を考えてはダメなんだ。だって……この姉妹の言動をいちいち真に受けていたら、心臓が幾つあっても足りなくなってしまう。


 その答えに行き着いたユウは、ハッと我に返った。


 慌てて周囲を見回してみれば、案の定の光景が広がっていた。周りにいた全員が、口をあんぐりと開けてユウ達を見ていたのだ。


 目が合った全員から、あからさまに視線を逸らされてしまった。そしてその中に昨日の女子学生達の姿を見つけたことも、更にユウの心を暗くした要因の一つだった。彼女達がユウに向けてきた視線には、明らかに軽蔑の色があったから。


 だがユウには、もっと気掛かりなことがあった。隣の車両に乗っている、水崎翔子と金森いずみの存在だ。恐る恐る……と、二人に視線を向ける。


 水崎が、両の手の平を口に当てて固まっている。まさに信じられない……信じたくもない姿を目にした時に人がする表情だ。


 もう一人の金森いずみは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。こちらを見つめながら、ぷるぷると震えているではないか。



 ……終わったな。


 ユウはそっと目を閉じて、これから起こるであろう自分の運命を静かに受け入れた。周りにいる見ず知らずの人達ならまだ、いいけど……さ。

 

 二人は、これから二年間の高校生活を共に過ごすクラスメイトなのだ。きっと今日から俺は、クラスの奴等から女っ垂らしのレッテルを張られるに違い。


 いや…… そんなことだって、どうでもよかった。


 金森いずみに、あんな顔をさせてしまった自分を許せそうにない。



「ねえ、如月君。いずみちゃんを見て……」


 隣で、悪魔のささやき声がする。


 どうやらその小悪魔は、まだ俺に地獄を見せつける気らしかった。あんたに人の情は無いのかよ、と涙で濡れた目蓋を開くのを拒否する。


「ねえ如月君!ちゃんと目を開けなさい!変な男が、二人に話し掛けているのよ!」


「……え?」


 意外な言葉に、ユウは慌てて、いずみ達を見た。確かに中年のサラリーマン風の男が、二人に話し掛けている。


 ………ナンパ、されてるのか?


 しかし意外にも、水崎は嬉しそうに男と話し始めた。……知り合い、だろうか?


 そして―――



 その男の顔を見たユウは、身震いした。


 

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