第22話 氷雪の女神


 ガチャリ……


 背後で聞こえた扉の開く音に振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。


 真っ直ぐに伸びたストレートの黒髪と、それとは対照的に真っ白く透き通った肌。そして恐ろしく整ったその小さな顔には、少し切れ長な目と輝く黒瞳。


 2年A組、黒木青葉くろき あおば


 ユウは、この少女を知っていた。ただユウでなくても黒木青葉の存在は、この学校の生徒なら誰でも知っているだろう。


 『氷雪の女神』


 ……多くのクラスメイトが、その少女のことをこう呼ぶ。では何故、彼女がそう呼ばれるのか?それは彼女の容姿と人となりに由来する。


 ユウは初めて彼女を見かけた時のことを、今でもハッキリと覚えている。その時は呼吸をするのを忘れてしまうほど、彼女から視線を離せなくなった。

 ただしそれは、ユウだけに起こった現象ではないようだ。笑えることにその現象は、性別も年齢も関係なく彼女の存在を視界に入れてしまった全員に、もれなく訪れる。


 ……黒木青葉は、美しすぎる。



 そして彼女の人柄も、その呼び名をつけるに至った重要な要因だろう。


 彼女は殆んど話すことをしないし、表情も変えないそうだ。


 同じクラスではないので、ユウはその噂の真実は知らない。ただみんなが皆、口を揃えるように彼女のことをそう噂しているのをよく耳にしていた。


 それに彼女が所属しているA組は、卒業後に殆どの生徒が国立大学や有名私立大学へと進学する成績が優秀な生徒だけが在席している進学に特化したクラスだ。ユウや金森が所属している普通科の5クラスは二年生になる時にクラス替えを行ったが、A組はもともとカリキュラム自体が違うので、その対象ではなかったのだ。つまりA組とその他のクラスとでは、接点がほとんど無い。


 学校で一番目立つ容姿をしている彼女が成績も優秀とくれば、いくら友人が少なく噂話に縁がないユウの耳にもその噂は入ってくる。


 この学校には、いつも無表情で人と関わろうともしないが、頭脳も明晰で息が止まってしまうくらい美しい少女が存在しているのだと……


 この場に現れるなど想像もしていなかった人物の突然の登場に、ユウはポカンと口を開けて突っ立ていた。


「あら、青葉。ちょうどよかったわ」


「あっ!青葉ちゃんだ!お邪魔してまーす!」


 黒木先輩の声がした。そして金森の呑気な挨拶も聞こえる。二人は、この人と知り合いなのだろうか? ……黒木? 黒木ってまさか?


 しかし当の黒木青葉は、そんな二人を無視してユウを睨みつけている。



「……あなた、誰?」


 自分に話し掛けられたのだと理解が出来なくて、如月ユウは、まだポカンと彼女を見つめていた。


「あなたは、誰なんですか?」


 もう一度同じ質問をされて、それが初めて自分に向けられたものだと気が付いた。


「あ…… 俺、如月ユウです」


「あなたが、いずみちゃんを泣かせたんですか?」


 ……は? なんて?


「……如月ユウさん答えて下さい!私はあなたが金森いずみちゃんを泣かせたのか、聞いているんです!」


「え?いや、俺は別に……」


「あ、青葉ちゃん違うの!如月くんはね……」


 金森が説明を始めた瞬間だ。ユウは不思議なものを見た。2~3メートル先に居た筈の黒木青葉が突然目の前に現れたかと思ったら、自分の体が勝手に反転して今はテーブルを挟んで立つ黒木紅葉の姿を見ている。


 自分の身に何が起こっているのか理解するのに、しばらく時間が必要だった。気が付いたらユウの右腕は後ろ手にがっちり固定されていて、全く動かす事が出来なくなっていた。それどころかギリギリと締め上げられ、痛みで膝を付きそうになっている。


「青葉ちゃん、やめて! 如月くんは何も悪くないの!話をしていただけで……」


「……話をしていただけで、どうしていずみちゃんが泣いているんですか?どうせこの人が、いずみちゃんに酷いことを言ったんですよね?」


 ここで初めて、ユウは自分が黒木青葉に後ろ手に締め上げられているのだと理解した。


 ……パァッン!!


その時、突然乾いた音が室内に響いて、緊張していた空気が途切れた。それは黒木紅葉が柏手かしわでを打った音だった。


「青葉。いずみちゃんの言う通り、如月くんは何もしてないわ。手を放してあげて」


 先輩の言葉に締め上げられていた力が緩み、開放された。ユウは肩から腕にかけて走る痛みに耐えかねて、思わず机の上に倒れ込んでしまった。


「じゃあ、何故いずみちゃん泣いて……」


「いずみちゃんは感動して泣いていただけよ。……まったく、早とちりなんだから。ほら青葉、如月君に謝りなさい!」


「如月くん大丈夫!? もう青葉ちゃんのバカ!違うって言ったじゃない!如月君に謝ってよ!」



 二人に詰め寄られた黒木青葉は、「……御免なさい」と、ようやく小さな声で呟いたのだった。


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