第6話 中央通りと絵描きの少女


 二人は今、寺の境内を歩いている。中央通りに出るには寺の境内を通っていくのが近道なのだ。ついでに本堂にもお参りを済まして周りを見回せば、いつもは観光客でごった返しているこの場所も時間帯のせいもあるのか人の姿は、まばらだ。


 最初は横並びに歩いていた二人だったが、今はユウが金森の座る車椅子を押しながら歩いていた。怪我をしているのに悪いからっと、金森にはしきりに断られたが、この方が落ち着くからと言ってユウが無理矢理、押し始めたのだ。


「私さ、前からこの道を歩いて帰るのに憧れてたんだ。でも、なかなか一人だと勇気が出なくって…… ありがと如月くん!」


「ああ。これくらい、お安い御用だ。東条や田野とは一緒に来たりしないの?」


 話しながら、いつも金森と一緒にいる仲良しの二人の顔が頭に浮かぶ。


「しーちゃんと、ハルは部活があるんだよね」


 確か東条栞里と田野春香は二人共、吹奏楽部だったと思う。


「金森は、部活に入ってないんだ?」


「私は美術部に入ってるよ」


「そっか、そういえば下校時間になって随分経ってるもんな。今日も部活?」


「ううん。美術部は自由参加だから、今日は行かなかった。私、いつも帰るのこれ位の時間なんだよね」


 なんで?と聞こうとして、ユウは質問を止めた。……理由は、きっとバスが空いているからか。混んでいる時間帯に車椅子でバスに乗るのは、気が引けるのかもしれない。そんなところが金森らしいなと思った。


「……金森は、絵を描くのが好きなんだ?」


「うん!大好きだよ!」


 美術部だからといって絵を描くのが好きだとは限らないのだが、何となく彼女が絵を描いている姿が浮かぶ。しかし、どうやらそう思った感覚は当たっていたようだ。その口調からは、金森が本当に絵を描くのが好きで堪らない気持ちが伝わってくる。


「如月くんは、星野ナナって童話作家さん知ってる?」


「ああ、確か『雪の子と桜の子』とか『フクロウのフクとロウ』とか描いている、有名な作家だよな?」


 星野ナナは日本を代表する童話作家だ。彼女原作の童話は子供だけでなく大人にも人気で、アニメ化されて映画にもなっている。その手の話に疎いユウでも知っている有名な作品が数多くあり、彼女のファンは海外にも多くいると聞いたことがあった。


「そうそう!星野ナナさんって城西高校の卒業生で、美術部にもいたんだよ!」


「えっ!?そうなのか?」


「うん!私、星野先生に小さい頃からずっと憧れてて、先生のお話や絵が大好きだったの。だから自分でも自然に絵を描くようになって、先生の通っていた高校なら絶対に私も通いたいなって思って、城西高校にしたんだ」


「そうなのか。そんな、すごい人が先輩にいたなんて知らなかったよ」


「うん!ほんとに、すごい先輩だよね。どんな高校生だったのかな?」


 車椅子の背を押すユウからは、その話をしている金森の顔を見ることは叶わなかったが、でもきっと彼女は今、本当に素敵な笑顔を浮かべているんだろう。だってその話をしている時の金森の声は、すごく嬉しそうで誇らし気だ。そんな彼女の顔を想像するだけで、幸せな気分になる。


 そんな風にして会話を楽しみながら、二人は仁王門を抜けて整然と続く石畳の道の上を進んでいく。歩く道の両脇には老舗の土産屋や茶屋、宿坊などが建ち並び、歴史を感じる街並みが続いている。空にはまだ明るさが残っていたのだが、先走った街灯が灯り始めると、より風情を感じる佇まいになっていった。


「如月くんは、どの辺に住んでるの?私はね、桜中学校の近くなんだ」


「桜中か、結構近いな。俺んちは総合病院の辺りだよ」


「うわ~本当に、近いんだね!」


 そして、そんな他愛のない話をしている間に街の風景は変わっていった。門前に相応しく落ち着いた雰囲気ではあるが、お洒落なカフェや雑貨店が並び始めたのだ。

 先程と違い若い観光客を意識した街並みが、長い下り坂と共に駅に向かって真っすぐに伸びている。これが中央通りだ。


 通りに入ると、金森のテンションは間違いなく上がった。


 キャー!みてみて!如月くん!あの、ぬいぐるみ可愛いね!あのアップルパイ美味しそう!パワーストーンのお店だって、入ってみたい!などなど……

 ユウにとっては通い慣れた道だが、金森にしてみれば物珍しいことばかりなのだろう。時々、寄り道をしながらも、二人は駅までの道を順調に歩いていった。

そして話の流れで、途中にある公園のベンチに並んで座りながら鯛焼きをお供に少し休憩することになった。


「ねえねえ。如月くんは、今日の放課後は学校で何してたの?」


 パクリと美味しそうに鯛焼きを頬張りながら、御満悦な様子の金森が尋ねてきた。この頃になると二人はすっかり打ち解けていて、昔から知っている友達みたいな感覚になっていた。

 ユウが家族や春日以外の人と、こんなに話をしたのは初めてだ。出来るだけ他人から距離をとって生活しているユウにしてみれば、在り得ないくらい自然に金森との会話は弾んだ。これもひとえに、金森の人柄なのだろうか?


「俺?俺は、まあ…… 補習だよ」


「え?この前のテスト赤点だったの?社会と英語だったら、私が教えてあげるよ。物理と国語は、私もやばかったんだ~!もうギリギリだよ!」


 目を✖にしながら、金森が震えている。おいおい金森、力が入りすぎて鯛焼きの餡がはみ出してる。


「なあ金森、そんなに強く握ったら餡子が無くなっちゃうって…… いやさ、テストが赤点ってわけじゃなくて。俺は一年の三学期は殆ど入院してて休んでいたから、その補習」


「そ、そっか。如月くん入院してたんだもんね」


 慌てて口にしたせいで餡子を唇の周りにつけたまま、金森が言った。ユウに言われて慌てて鯛焼きを口に頬張っている姿が何とも可愛らしくて、ユウはついついスクールバックからポケットティッシュを取り出して、金森に手渡していた。


「ほら…… 口の周りに餡子がついてる」


 金森は顔を真っ赤にしながら……ありがと。と言い、それを受け取った。そして口を拭うと少し間を置いてから、……具合は、どう?と、小さな声で聞いてきた。


「左足の怪我なら、治った。もう、ほとんど完治してるよ」


「本当?」


 ああ、と応えながらユウは左足で大げさに足踏みをして見せた。まだ心配そうにしている金森を安心させるには、これ位した方がいいと思ったからだ。しかしそれがまずかったのか、彼女に怒られることになってしまった。


「無茶しないで!体育休んでるみたいだから、まだ治ってないんでしょ!?」


「ほ、本当に大丈夫だって。大事をとってスポーツは控えてるけど、来月からは体育にも出つもりだからさ」


「……なら、いいけど。でもくれぐれも、無茶なことしないで!」


 分かったよと返しながら、ユウは金森が心配していてくれたことに驚き、そして何より嬉しかった。自分が知らないところで、心配してくれている人もいたんだな、と。

 そんな気持ちで改めて目の前のクラスメイトの女の子を見つめてみれば、彼女はうっすらと涙まで浮かべているではないか。


 ……本当に、金森は俺のことを心配してくれてたんだ。


 それを理解した瞬間、ユウは金森の顔をまともに見れなくなってしまった。今まで普通に話していたクラスメイトの女の子が、急に親しみを感じる特別な存在になった。そんな瞬間だ。


「それでね。如月くん、あの……」


 そして少し口ごもった後に、金森にその話を切り出された。



「……記憶の方は、どうなの?」


 その唐突な質問に、ユウは言葉を詰まらせてしまう。すると黙り込んでしまったユウに、金森が慌てた様子で謝ってきた。


「ご、ごめんなさい!私、しーちゃんとハルから如月くんの話を聞いたの。それで本当にびっくりして。私ね、ぜんぜん知らなかった。如月くんにそんな辛いことがあったなんて知らなかった。でもこんな話されるの嫌だよね?ごめんなさい。 ……本当に、ごめんなさい」


 確かに彼女が自分にした質問は、その通りに聞かれて嬉しい質問ではなかった。しかしその質問をしてきた金森に対して、ユウは嫌悪感を感じてはいなかった。それどころか、しどろもどろになりながら必死に謝ってくる金森に愛おしさすら感じている。


 ……何故、なんだろう?それに、だ。この金森の慌てようったらない。聞いているユウが思わず吹き出しそうになってしまうくらいの、必死さなのだ。


「なあ金森。別に俺、気を悪くなんてしてないから大丈夫だよ。こっちこそ、ごめん。思ってもいない質問だったから言葉が上手くでてこなくてさ。今まで誰からもハッキリ聞かれたこと、無かったから……」


「……本当にごめん。私、無神経だよ」


「いや、別に隠してる訳じゃないし、知っている奴もいて当然だろ?」


「…………」


 そう声を掛けるが、金森はあからさまに落ち込んでしまった。そんな彼女を慰めるように、ユウは優しく話し掛ける。それは彼女に、自分の話を聞いてほしかったから。


「……なあ、金森。俺の話を聞いてくれるか?今まであったこと、それに今の状況」


 ずっと俯いていた彼女はその言葉を聞くと、やっと重い顔を上げてコクリと頷いた。そして金森いずみは、話し始めたユウの言葉を一つ一つ飲み込むように何度も頷きながら、その話を聞いてくれた。そして話ながらもユウは、少なからず自分の行動に驚いている。


 今まで自分の話を、他人に話したいと思ったことなんてなかった。しかし一度口から出始めた言葉を、ユウは止めることは出来なかった。

ついさっきまで、まともに話したことがなかった、ただのクラスメイトの女の子。そんな彼女に、ユウは自分の身の上話を語り続けた。


 そしていつの間にか、ユウは金森いずみを信頼出来る相手だと信じている自分自身が居ることに、気付いている。

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