第5話 中庭の出逢い
あれから、もう一ヶ月半か……
この高校に通い出すまでの日々を思い出しながら、ユウは早いものだなと感じていた。実際に通い出してみると、あっという間の一ヶ月半だった。
ユウが想像していた通り、クラス替えの効果は大きかった。最初の頃は、何人かの友達だったであろう人達が話し掛けてきたが、本当に記憶がない事を悟ると、皆一様にユウから離れていった。それどころか、記憶喪失の話は学校中に知れ渡っている様子で、以前から関わり合いのなかった人達もまるで腫物にでも触れるように関わろうとする者はいなかった。
皆、新しい人間関係を築く事に忙しく、あえて面倒事に関わっている暇はないのだ。
ただ、それはユウにとっても好都合でもあった。ユウにしてみても学校生活を送るだけで精一杯だったし、何より高校生というか学生独特のノリに馴染めなかったのだ。それに関しては、あんな経験をしたからなのか以前からそうだったのかは分からない。ただユウからは、そのノリに入って行こうとはしなかった。
まあ特に嫌われている訳ではないが、敢えて友達にはしたくない。ユウの立場は、そんな立ち位置という処だろうか。
ところが、そんなユウに絡んでくる変わり者が一人だけいたのだ。同じクラスの春日流である。
あれは確か、始業式の翌週だったと思う。ユウが昼休みに学校の中庭を散策していると、車椅子に乗った女の子が四苦八苦している現場に遭遇した。彼女には見覚えがあった。頭の上でおだんご結びをした特徴的な髪形と色白で華奢な体つき、たしか同じクラスの
近付いてみると、どうやら車輪に何かが引っかかって立ち往生している様だ。
「金森。どうした?」
「あっ、えーと確か同じクラスの……」
どうやらユウの名前を、金森は憶えていないらしい。まあ、お互い様なんだけど。
「如月だ。どうかしたのか?」
「木の枝が車輪に挟まちゃったみたいで……」
ちょっと見せてみろ、と車輪を覗いてみると、なるほど確かに小枝が車輪に挟まっている。
「枝を取るから、いいというまで絶対に車輪を動かすなよ」
「うん」
ユウは車椅子の片方の車輪を軽く持ち上げて、引っかかっている枝を引き抜いた。
「うん。もう、大丈夫だと思う」
「ありがとう、如月くん」
「どういたしましてだ。ほら、ちゃんと動くか動かしてみろよ」
金森は頷くと、車椅子を前後に動かしている。そして、
「うん!大丈夫みたい」
と、嬉しそうな笑顔をみせた。どうやら問題は無事に解決したようだ。しかし、もうすぐ予鈴が鳴る時間だ。急げばユウは間に合うが、車椅子の金森は間に合わないだろう。
「よかった。でも急がないと、五時限目に間に合わなくなるぞ」
「うん、そうだね。如月くんは先に行って、私は少し遅れて行くからさ」
「そんな訳にいくか。その車椅子は、俺が押すことも出来るんだろ?」
「え? う、うん。もちろん出来るけど…… でもそんなことしてたら如月君も授業に遅刻しちゃうよ。悪いから、本当に先に行って。私はゆっくり行くから」
「いいって。俺だけ間に合ったって、嬉しくないだろう?ほら、行くぞ」
そんなやり取りが二人の間にあって、車椅子をユウが押し始めた時だ。後ろから声を掛けられた。
「如月と金森さんじゃないか。こんなところで、どうしたの?」
振り向くとそこには、同じクラスの春日流が立っていた。
「……春日」「あっ春日くん」
金森って春日の名前はちゃんと知っているんだな、なんて少し複雑な気持ちになったユウだったが、追い付いてきた春日に軽く事の経緯を説明しながら三人で教室に向かって歩き始める。
「……なるほど。じゃあ俺たち三人とも間に合う方法があるんだけど乗るか?」
すると暫く歩いた処で、笑顔の春日が提案してきた。その提案は、こんな感じだ。春日が金森の車椅子を押し、一気に教室まで駆け抜ける。
「……はあ? なあ春日、なんで俺が押すんじゃダメなんだ?」
「何でって如月。だってお前、左足を怪我してるだろ?」
そう指摘されて、ユウはドキリとする。ユウは学校で誰にも足を怪我していることなんて話していない。なのに、ほぼ初対面の春日からその事を言われるとは思っていなかったからだ。
ええっ!?そうなの?如月君、足に怪我してるの!?と驚いている金森を他所に、春日はユウに向かって微笑みかけてきた。まあ、何というか…… その笑顔がなんとも恰好良くって、違う意味でユウをまたドキリとさせた。もしもユウが女の子だったら、間違いなく恋に落ちそうな予感がするイケメンの笑顔ってやつだ。
「その怪我をしている足でも、如月一人ならなんとか間に合うだろ?」
「……多分な」
「じゃあ、車椅子は俺が押す。それなら三人とも間に合うはずさ。それか俺たち三人一緒に遅刻するってのもアリだけどな。……どっちにする?」
春日はそう提案してから、何故か嬉しそうに笑っている。まあ授業にちょっと遅刻するくらい大したことじゃないんだが…… 問題は五時限目の授業が国語で、その授業を受け持っているのが担任の『軍曹』であるってことだった。ヘタをすれば三人ともに、国語の授業の間はずっと教室の後ろに立たされることになるだろう。生徒の間で密かに軍曹と呼ばれている天野先生は、それほど厳しい先生なのだ。
「……遅刻って線は無しだな。俺や春日はともかく、金森が天野に怒られるところなんて見たくないからな。春日が押せば間に合うっていうなら、是非押してくれ」
「ハハ……その意見には激しく同意だよ如月。じゃあ、俺に替わってくれ」
ユウと春日の男同士のやり取りを、金森はもともと大きな丸い目をくるくるさせて聞いている。こうして見ると金森は、ほんとに小さな女の子みたいだな。
「金森さん。少しスピード出すから、しっかり掴まってて」
「う、うん。大丈夫! よ、よろしくお願いします!」
「よし、じゃあ一気に行くぞ。遅れるなよ如月!」
「ああ、じゃあ頼んだぞ春日!」
そしてそのユウの言葉を最後に、三人を取り巻く景色が一気に流れ出した。
三人が教室に飛び込んだと同時に、始業のチャイムが鳴った。どうやら、まだ天野先生は教室に来ていないらしい。
「ふう…… 何とか間に合ったな」
なんて涼しい顔で笑っている春日とは対照的に、ユウはハァハァと肩で息をしながら、やっとの思いで、ああ、と応えた。そんな中で金森はというと、アハハと楽しそうに笑っている。
「ジェットコースターみたいで楽しかった!如月くん、春日くん。本当にありがとう!」
そう言い残し、金森は自分の席に戻って行く。その姿を見送ってから、少し鼓動が落ち着いてきたユウは自分の席に戻りかけている春日に声を掛けた。
「春日、ありがとう。助かったよ」
すると春日はニコッと笑い、なんか楽しかったな!とそれに応えてくれた。それに加えて春日は、こんなことまで言い出したのだ。
「俺のことは流でいいよ。これからも、よろしくなユウ」
急に下の名前で呼ばれたことに、ユウは驚いてしまった。……なんで俺の下の名前まで知ってんだよ、コイツは。
「全くだ。でも次の試合は俺は降ろさせてもらうけどな、春日」
「なんだよ、ツレないなユウ。俺のことは流れって呼んでくれないの?」
そしてハハハっと笑顔の春日流も、自分の席に戻って行った。
……あれからだったな、春日と話すようになったのは。
春日との出会いを思い出しながら、ユウは苦笑いを浮かべる。あれから春日は事あるごとにユウに絡んできた。最初はそっけなくソレをあしらっていたユウだったが、気付けば唯一の友達といえる関係になっていた。……全く不思議なヤツだよ、春日は。
そんなことを考えていると終業のチャイムが鳴った。それから暫くして、ガラガラと扉を開けて汗まみれの男子達が、教室に戻ってきた。皆一様に、あちー!だとか、腹減った!とか言いながら、教室が一気に騒がしくなる。そしてその中には、タオルを首から掛けた春日流の姿もある。
「ユウ、はやく昼飯食いに行こうぜ」
「おう、待ってるから着替えて来いよ」
その声に応えつつ、ユウは欠伸をしながら大きく伸びをする。こんな気持ちいい天気の日は、いつもの中庭で食うのが一番だ。ユウは、ゆっくりと昼飯の準備を始めたのだった。
その日の放課後。
ユウが補習を終えて帰路に着いたのは、まだ夕暮れと呼ぶには少し早い時刻だった。校内はまだ部活に精を出す生徒達の活気に満ちていたが、一歩校門を抜けてしまうと、その喧騒が嘘のように落ち着いてしまう。意外とこの時間帯は人気が少ないんだよな、なんてことを考えながらユウは駅に向かって歩を進める。
暫く歩くと城西高校最寄りのバス亭が見えてくる。時間が時間なら大勢の生徒でごった返しているのだが、今は2~3人程の人が待っているだけだった。どちらにしろ、ユウはバスに乗るつもりはなかった。いつものコースを徒歩で駅に向かうのだ。
そのままバス停を通り過ぎようとした時だ、思いがけずユウを呼び止める声がした。声の方に視線を向ければ、おだんご結びをした髪と車椅子に乗った華奢な体つきの女の子がひとり……
そう、声をかけてきたのは、同じクラスの金森いずみだ。
「よう、金森。今、帰り?」
「うん!如月くんはバスに乗らないの?」
「俺は駅まで歩きだよ」
「え!?駅まで歩くの!?けっこう距離があるけど、足の怪我は大丈夫なの?」
「ああ、まあ、リハビリも兼ねてな」
そう応えたユウに、金森が車椅子を移動しながら近づいてきた。その顔はなぜか好奇心一杯に輝いている。
ユウが金森いずみに対して最初に抱いた印象は、華奢で色白な大人しそうな女の子。……だったのだが。しかしこの一ヶ月半で、その印象は大きく変わっている。
あの中庭での一件以来、金森とは直接的にはあまり関わる事はなかったが、とにかく彼女はよく笑うのだ。
ユウたちが一緒に過ごしているあの2年E組の教室で、金森の笑い声が聞こえてこないない日はなかったと思う。
今、ユウが金森に抱いている印象。それは、いつも友達と楽しそうに笑い合っている明るい女の子……だ。そして年下みたいにみえる、無邪気な女の子。
なぜ年下なのかというと、金森は一部の女子たちから親しみを込めてベイビーと呼ばれているくらい幼さを感じる容姿をしているからだ。実際、ユウの目からみても、金森は中学三年生の妹より年下に見えた。
そんな金森いずみが、目の前まで来て唐突にこう言った。
「じゃあ私も、一緒に帰る!」
「……………」
想像もしていなかった言葉を突然言われて上手く反応出来ずに黙り込んでいると、金森はもう一度、同じ言葉を口にした。
「一緒に帰る。ずっと学校帰りに中央通りを歩いてみたかったんだ。いいでしょ?」
なんだかその明るさに呑まれてしまって、思わず・・ああ、と応えてしまった。
すると金森は、やった♪と嬉しそうな笑顔を浮かべて、さっさと駅に向かい始めてしまった。
え? あれ……?
帰るの? 一緒に??
俺たちって、そんなに仲良かったけか?
そんな風に置いてけぼりになってしまったユウが、その後ろ姿を見つめながらぽかんと立ち尽くしていると……
「どうしたの如月くん。早く行こうよ?」
と、こちらを振り返る金森。仕方ないのでユウは、慌てて金森の元まで駆け寄った。
「いや、早く行こうって……。本当に駅まで歩くつもりか金森?」
追い付いたユウがそう尋ると、もちろんだよ、と言いつつも金森はユウを不安そうな眼差しで見つめてきた。
「……もしかして迷惑だった、かな?」
「いや、別に迷惑ではないけどさ。結構時間かかるけど、大丈夫なのか?」
「う、うん。時間なら全然、平気! ……良かった。てっきり如月くんに嫌われてるのかと、ごにょごにょ……」
「うん? 何? 最後の方、よく聞き取れ……」
「な、なんでもないから!ちょっと独りごと……!とにかく時間なら大丈夫だよ」
「そっか、なら一緒に帰るか」
「うん!そうしようよ!」
それから二人は、一緒に駅に向かって歩き出す。
その時には、もう。さっきまでの曇り空の顔が嘘のように、金森いずみの顔には太陽みたいないつもの明るい笑顔が、戻っていた。
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