第一章 出逢い
第2話 真っ白な日々
ユウが通う城西高校は、市街地にあった。
市街地といっても山間部との境にあり、北を望めば眼前に大自然を湛えた山々がそびえ立っている。高台に建っているので南を望めば盆地が広がっていて、市の中心街を一望する事が出来た。
城西高校は、市の名前にもなっている大きな駅から20~30分程歩いた場所にある。校舎から南東方向を見ると、すぐ目の前に全国的にも有名な大きな寺院があって、そこから南へ真っ直ぐに駅へと続く中央通りが通っている。
ユウは先程まで自分が歩いてきた中央通りにチラリと視線を送ると、やっと辿り着いた教室へ入っていった。2年E組、ユウが在籍するクラスである。
席に座り、さっそく麦茶を乾いた喉に流し込んでいると「おはよう、ユウ」と声を掛けられた。
ユウは水筒を口から離しながら「おう、おはよう」と声の主に返事をした。
声を掛けてきたのは、クラスメイトの
春日は長身で、如何にもスポーツマンといった風貌をしている。実際、スポーツは万能だったし、ことさらバスケットボールに関しては、1年の時から県の選抜メンバーに選ばれ続けている程の実力で、城西高校バスケットボール部の要でもあった。
ただ春日は、そんな経歴を少しも鼻にかける事がない奴だった。人当たりの優しい、おっとりとした性格は、どこかポカポカとした春の陽だまりを連想させる。
そして春日は困っている人を自然体のまま、さらりと助けられる様な人間でもあった。実際、助けている場面を何度も目撃したし、ユウ自身、2年生になって新しいクラスに馴染めずにいたところを春日だけは、まるで以前からの友達の様に接してくれた。今ではユウにとって、唯一の友達といえる存在だ。
そんな春日がユウの左足を真顔で見つめながら、心配そうに尋ねてきた。
「今日も駅から歩いて来たのか?」
「まあ、な」
「あまり無理はするなよ。まだ怪我が治りきってないんだろ?駅から、この近くまでバスがあるんだからさ」
「まあ、リハビリも兼ねてな」
ユウは答えてから、「心配してくれて、ありがと」と付け加えた。春日が本当に心配してくれているのが分かったからだ。ユウの一言に春日も微笑みながら「怪我、早く治るといいな」と返してくる。あまりコイツに心配をかけても悪いと思い、ユウは軽く頷いてから「お前は今日も朝練か?」と、話題を変えたのだが……
「ああ、まあな」
「朝練って、どんなことするんだ?」
「どんなって・・ ランニングをして、あとは腕立てとか腹筋とか筋トレする」
「ランニングって、どれくらい走るんだ?」
「どれくらいって、10km位だよ」
……は? 今、何て言ったの?こいつ??
ユウには理解することが出来ない単語が出てきて、言葉を詰まらせることになる。
「10km!?朝から!?」
だからつい、大きな声になってしまった。
「あ、ああ」
そんなユウの様子に、春日はぽかんとした顔をしながら頷いている。
「春日、マジか?」
「マジだよ。なんで?」
春日は何を驚かれたのか分からない、といった様子だ。
「……ちなみに春日。腕立てなんかの筋トレは、どれ位するんだ?」
「腕立て?30回だよ」
あれ?意外と普通だな、などと少し戸惑うユウに「腕立て、腹筋、背筋、スクワットは30回を10セットだよ」と、付け加える春日。
「…………」
思わずユウは、眉間を人差指と親指で軽く押さえながら、俯いてしまった。
「……なあ、春日。お前こそ、あんま無理すんなよ?」
心無しか、多少の頭痛を感じながらユウがそう言った時だ。
「10kmが、どうしたの?」
もう一つの声が、二人の会話に割り込んできた。振り返ると、笑顔を浮かべた女の子が立っている。クラスメイトの
水崎は少し日に焼けた肌と長めのボブカットがとても似あう、健康的な美人だ。
「おはよ!春日君、如月君」
「おう水崎、おはよう」
「おはよう、水崎」
「で、10kmがどうしたの?」
「あ、いや、春日が朝から10kmもランニングするって話をしてただけ……」
ユウは朝日の中でみせた水崎の眩しい笑顔に少し見惚れてしまい、返事が遅れてしまった。水崎は、そんなユウの様子に気付いているのかいないのか「えー!春日君、朝に10kmも走るんだ!すごーい」と黄色い声を上げた。
その声に春日は少し照れた顔をしながら、頭をポリポリと掻いている。
「なに?なに?翔子、どうしたの?」
するとクラスの他の女子達も、ガヤガヤと話に入ってきた。いつも水崎と一緒にいる数名だ。この連中に限らず美人で明るい性格の水崎翔子の周りには、いつもクラスの女子達がいた。まさにクラスのムードメーカー的な存在である。
もちろん女子だけに限らず、男子の間でも水崎はかなり人気があるのだろう。先程からユウはチラチラと、こちらの様子を気にしている男達の視線も感じている。
そしてもう一つ言えること、それは…… 春日流も、女子の人気NO1であるという事実だ。
もちろんそれを女子達に直接聞いたわけじゃなかったが、彼女達の態度を見れば分かってしまう。もっとも春日自身にそんな自覚など無く、その点が問題といえば問題であると思うのだが……
ユウは自分の机の周りで始まってしまったクラス中の注目を集めている二人の絡みに、正直、面倒な事になったなと思った。ハッキリ言って関わり合いになりたくない。何故なら、麦茶を楽しむ時間が無くなってしまうからだ。
ユウは何とか、この場を離れようと出来るだけ音を立てずに移動を試みた。その左手にはしっかりと水筒も握られている。幸い、注目の中心は春日と水崎であるのだから、問題なく脱出できるはずだ。しかし、腰を浮かして移動を始めた時だった。
スッと春日の右腕が、ユウの行く手を遮った。そしてその背中が無言で助けてくれ、と語り掛けてくる。
春日は水崎達の方を向いたまま、女子達の話に和やかに相槌を打っている。春日からはユウの姿は見えないはずなのに、なぜコイツには分かったのだろうか?ユウはギョッとして(こいつ、エスパーかよ!?)と思った。
ユウは軽く溜息をついてから「そういえば、水崎。今日の日直は水崎だったよな?黒板を綺麗にしとかないと、また軍曹に怒られるんじゃないか?」と、無理やり話しに割り込んでいった。確かに、こうなった責任はユウにもあったからだ。
「あ、本当だ。私、日直だった」
春日と楽しくおしゃべりしているところを急に割り込まれて、一瞬、水崎の顔が強張ったが本当に日直を忘れていたようで、「ありがとう如月君」と笑顔を残して水崎は黒板に小走りに駆けていった。話の中心だった水崎が抜けて、その場は自然とお開きになっていく。
解放された春日が、ユウを見て無言でニッコリと微笑んできた。
助かったよ……
心の声がそう言っているのが、すぐにわかった。
ユウは、軽く肩をすくめてそれに答える。春日はモテるくせに、女子と話すのが苦手なのだ。当たり障りのない会話はそつなくこなすが、自分から話しかける事はまずない。春日が自分から女性に話し掛ける時は、用事がある時か、相手が困っている時だけだろう。ユウはそんな春日を見ていて”可愛い奴だな”と、微笑ましく思ってしまう。
そんな事を考えていると、カラカラと扉を開けて、担任の「軍曹」が入ってきた。
水崎もちょうど、黒板の清掃を終えて戻ってくる。
「起立ー! 礼!」
そうして日直の号令が教室に響き、1日が始まった。
カツカツと黒板をチョークが叩く音だけが響く教室。周りを見渡せば、制服姿の男女が肩を並べて書き込まれていく白い線を無言で見つめている。静かになった教室は、さっきまであれだけ賑やかだった場所とは、まるで別の世界みたいだ。
そんなゆっくりとした時間が流れる世界の中で、ユウは先程のクラスメイトたちのやり取りを思い出している。
今日も、同世代の若者たちが青春とやらを謳歌していた。恋ってやつを探し求めているヤツもいれば、夢ってやつをがむしゃらに追いかけるヤツもいる。その世界の中に自分がいることが、ユウには不思議でならなかったのだ。
如月ユウが交通事故にあったのは、約5か月前。今年の年始めの事だった。
凍結した道路でスリップした車に、撥ねられたのだ。
すぐに病院に担ぎ込まれたが、意識を取り戻したのは、それから1週間経ってからだった。一時は生死の境を彷徨う程の重症で、複雑骨折をしていた左足は5月中旬になった今でも完全には治っていない。
しかし本当の意味で深刻だったのは、別の事だった。
”記憶喪失”
ユウは、事故以前の記憶の殆どを失っていた。家族・友人・学校・好きだった場所や食べ物、行きつけの店などユウを取り巻く主だった事柄が、記憶から無くなった。
そう、如月ユウは「思い出」を失ったのだ。
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