13
「行かないでって……。」
ヨウさんはヨウ口の中で呟いて、俺を静かに見降ろした。
「行かないで、なにするの? 俺、きみのことは抱かないよ。」
抱かない。
ヨウさんを引き留めはしたものの、俺にはヨウさんと肉体関係を持つとか、そんなことは想定できていなかった。多分、ヨウさんがあまり動物的ではなくて、どちらかというと植物的な感じがするかもしれない。だからとにかく、俺はヨウさんの言葉を聞いて、はっとした。そう取られるような言動を自分がしていることに驚いた。これまでは、そうならないように気を付けて生きてきていた。性的なことにならないように。それは、母親の生業に気が付いたときからだろうか。
たとえば、家庭訪問に来た担任の先生。彼女は、母親がいない家で俺と向き合い、俺に同情してだろう、少し泣いた。そしてその後、俺のことを性的に使おうとした。抱きしめられた俺は、彼女の体温に縋りたいと思った。この生活から抜け出す足がかりになるかも知れないと思ったし、単純に歳上の女の人の体温に飢えてもいた。でもそのとき、俺は彼女を突き飛ばして逃げた。裸足で家を飛び出した。寒い、真冬の夕方だった。
後はたとえば、同級生の女の子。彼女は小学生の時は俺と仲が良くて、中学に入って距離を置いた子供の一人だった。俺と距離を置いた後も、学校帰りにプリントなんかを届けに来てくれたのだから、優しい人だったのだとは思う。そんな女の子は、やっぱり母親がいない夕方、俺の部屋で制服を脱ごうとした。俺は、外されたブレザーのボタンを留め直して、彼女に帰宅を促した。それ以来、その女の子はプリントを持ってきても、インターフォンを押すことはなく、ポストにそれらを入れて行くようになった。
そんなふうに俺は、誰かと性的な関係になるのを避けてきた。怖かったのかもしれない。服を脱いで、心も身体も誰かにさらけ出すのは。俺はいつでも怯えていたのかもしれない、自分の内面が、道行く人にもだだ漏れになっているような気がして。
だから自分がヨウさんに、性的な関係を持ちかけるような物言いをしたことに驚いていた。そんな言葉を、俺はこれまで慎重に避けていたから。
抱いてほしいのかもしれない。
そう思った。
俺は、この出会ったばかりの、鯉のいない池に餌を撒いていた、無個性な家に住む、硬質できれいな人に、抱いてほしいのかもしれない。俺はもう、自分の中に感情をしまっておくことが限界になってしまって、それを誰かに、ヨウさんに、少しでもいいから預かっておいてほしいのかもしれない。
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