12
ヨウさんは、そのままほとんど音を立てずに風呂場から出ていった。
俺は、ヨウさんが出ていく小さな物音を聞きながら、湯船の中で微かに揺らめく自分の身体を見つめていた。自分の身体が、随分奇妙で正体を掴みかねるものに思われた。
行かないでほしかった。でも、引き留められなかった。行かないでほしい訳も、行かないでその先なにをしてほしいのかも、俺には分からなかったから。
風呂を出るのが怖かった。風呂を出る、というよりは、ヨウさんと顔を合わせるのが。どんな顔をしていたらいいのか分からなくて。
いつもこんな気持ちで過ごしていた気がした。どんな顔で母さんと接していいのか分からなくて。
それは、辛いことだったのかもしれない。
自分に言い聞かせるように思った。
俺は、本当のところ、随分つらい目にあっていたのかもしれない。
そう思ったら、ヨウさんの顔が見たくなった。理由は分からない。反射みたいに、ただ顔を見たいと思った。擦りガラス越しではなくて、はっきりとあのきれいな白い顔を。
「ヨウさん、」
ぎくしゃくと機械人形みたいに名前を呼びながら、俺は風呂から飛び出た。そのまま洗面所で服を着ようと思っていたら、がらりとドアが開いて、ヨウさんが顔を出した。
「どうしたの?」
裸の俺とヨウさんは、しばらくお互いぽかんとしたまま見つめ合った。
「……俺のこと、呼ばなかった?」
沈黙の後、ヨウさんが言った。
俺は、かくかくする首でなんとか頷いた。自分のしていることが、とても滑稽なことだと言うような気がして、落ち着かなかった。とくに、俺は裸だったので。
「……あんまり、誘惑しないでって言ったはずだったけど……、」
ヨウさんがそう言葉を続けたので、俺は慌ててタオルを引っ掴んで身体を隠した。
その仕草を見て、ヨウさんはけらけらと笑った。その笑い方があまりにもあっけらかんとしていたので、俺はなんとなくすっきりした気分になった。
「……ありがとうございます。」
素直に言うと、ヨウさんがさらりと髪をそよがせながら、首を傾げた。なにが? と、表情で訊かれていたので、俺は、全部、と答えた。
「全部です。……すいませんけど、ベッド貸して下さい。寝ます。眠いです。」
出てきた言葉はそれが全部で、それだけで今の俺の全てだという気がした。俺は、今眠くて、とにかく寝たい。
「いいよ。」
ヨウさんが、笑ったままの顔で言った。
「俺、出てるから。好きに使っていいよ。」
この前も言われた台詞だと思った。そして、この前は俺はヨウさんを引き留められなかった。でも、今なら言える。
「行かないでください。」
だって、俺はこの人を引き留めたいんだから。
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