11

母親が、と、俺は言った。

 母親? と、ヨウさんはナチュラルに聞き返した。

 そのナチュラルさに、俺は多分気おされていた。ヨウさんはいつでも自然体だったから。俺は、いつでもがちがちに縮こまっていたのに。

 母親が……、その先の言葉は思いつかなかった、言いたいことはいくらでもあるのに、きっかけの言葉が思い浮かばなくて。

 ヨウさんも、その先はなにも言わなかった。落ちた沈黙に、縮こまる俺と無言のヨウさん。沈黙は、しばらく続いた。

 「……いつでも、俺のことはいらないって、言ってくれたらよかったのに。」

 辛うじて出てきた台詞は、それだった。

 ヨウさんは、やっぱり黙っていた。それもそうだ。俺の言葉は、あまりにも先を望まなすぎた。なにか、先を望むような言葉を言わなくては、と、俺は焦った。そうでなくては、ヨウさんを困らせてしまう。

 母親が、いつでも俺のことはいらないって、言ってくれたらよかった。

 その台詞は確かに俺の望みだった。

 曖昧に期待を抱かせるくらいなら、俺はいらないと、いっそ切り捨ててほしかった。そうしたら、俺だって、身の処し方を考えられるから。

 けれど、母はそうしてはくれなかった。夜の母は俺をいらないと投げ捨てたのに、昼の母は俺を引き留めた。死の淵から、何度も。それが俺は、苦しかった。

 「……ハルカは、それで苦しかったの?」

 ぽつん、と、ヨウさんが言った。

 俺は驚いて、彼がいる風呂場のドアの方を見た。

 俺は、それで苦しかった。

 あまりにも単純で、でもそれだからこそずっと言葉にできなかった気持ちだった。俺は、苦しかった。ずっと。

 「……くるしかった。」

 半分泣いているような声が出た。そのことに、自分でも驚いた。多分ヨウさんは、もっと驚いていたと思う。

 「ハルカが苦しかったなら、それは悲しいことだとおもうよ、とても。」

 ヨウさんの声は、祈りのように静かだった。

 俺は、その祈りを額で受けとめ、じっと黙り込んだ。被害者面をしていていいとは思わなかったけれど、今はしていたかった。俺は苦しかったし、それは悲しいことだと。

 「風呂を出たら、また寝たらいいよ。疲れが取れるまで。……眠っても取れない疲れなら、そのときは方法を考えよう。」

 擦りガラス越しにヨウさんが言った。

 俺はやっぱりその場にふさわしい言葉が浮かばなくて、黙っていた。

 眠っても取れない疲れ。

 それに支配されているみたいな、俺の人生。

 いつだって、いくら眠ったって俺は疲れていた。それをいつも、眠りが足りないせいだと思い込んでいた。それ以外に方法がなくて。

 「……随分眠ったまま、時間を過ごした気がします。」

 喉がしんとなるくらい悲しかった。悲しくて悲しくて、俺はゆらゆらする水の動きに目を落とした。俺は全然動いていないのに、水が揺らめいて影を作るのは、随分不思議なことに思われた。

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