10
「あ、……えと、生きて、ます。」
回答はぎこちなくなった。ちょうど、自殺について考え込んでいるタイミングだったから。
「そう。着替え、置いとく。」
「あ、ありがとうございます。」
「のぼせないようにね。」
「……はい。」
やり取りは短かった。短かったけれど、誰かにこんなふうに気にかけてもらったことが、俺には記憶にある限りほとんどなかった。それに気が付いてしまうと、ぎゅっと締め付けられるみたいに胸が苦しくなった。行かないで、と、声が出る。
ぱたり、と、軽い足音を立てて風呂場から出ていこうとしていたヨウさんは、俺の引き留めにあっさり応じてくれた。
「なに?」
さらりと聞き返された俺は、言葉がなくて口をぱくぱく空振りさせた。酸欠の金魚みたいだ、と、変に冷静な頭の片隅で思う。
「……え、と、」
俺が言葉に詰まると、ヨウさんは笑った。
「あんまり誘惑しないで。」
「え?」
「好みじゃないなら、わざわざ子ども拾ってきたりしない。」
「え? ……え?」
「分かってるよ、きみがゲイじゃないの。なにもしないから安心して。」
なにもしない。言われるのは二回目だった。俺はやっぱり、母さんのことを思い出した。裸で蹲ってい母さん。白い肌に斜めに射していた夕陽の赤。
「なにかしてください。」
必死で絞り出した言葉だった。俺は、一人になるのが怖くて。
薄い擦りガラスのドアを挟んだ向こう側にいるヨウさんは、しばらく黙っていた。俺も、それ以上の言葉は見つからなくて、さらに言えば、言ってはみたものの、なにをされるのか分からないのは心細くて、じっと身体を縮めていた。ただ、ヨウさんが俺に酷いことをしたりはしないと、その確信だけはあった。やけにはっきりと。そうじゃなかったら、いくら迂闊で馬鹿な俺でも、なにかしてください、なんて言えやしない。
しばらく、無言の間が続いた。俺は言葉を探すことさえできなかったし、ヨウさんは多分、面食らっていたんだと思う。そして、その間の後、ヨウさんはまた笑った。それは、とても軽やかな、自然な笑い方だった。
「いいね。ますます好み。」
いっそ可憐と言ってもいいようなヨウさんの物言いに、俺は戸惑ってやっぱり言葉を探せなかった。拒絶されると思っていた。俺は、拒絶にとても慣れていたので。
近寄らないで、と、俺に言い放った母さんの姿を思い出す。いつもそれは、夜ように着飾った姿のときだった。昼間の母さんは、俺にべたべたと甘えたがったのに、夜の母さんはいつでも何度でも俺を拒絶した。その落差に、俺はいつだって戸惑い、振り回され、絶望した。
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