21
少し遡って昨日、日曜日のお昼時。
中田家二階、高奈の仕事部屋は閉め切ってあり、一人の来客を迎えていた。
デスクをはさんで向かい合わせに座り、マイクライアントを見つめているのは高奈と美咲。
「――くだらない政治に時間を費やすほど物好きじゃないのよ」
「だからって割り込まれても困りますよ」
二人は現在、エンドラ討伐に勤しんでいる。
メインは会話であり、通常はアルコールや食事をお供にするところだが、コンプラを気にせず会社の話もしたいため自室に籠もっている。
ただ話すだけだと手持ち無沙汰だから、というわけで選ばれたのはマイクラだった。マイクラの利活用、特にプレイヤースキルの向上を掲げる界隈では珍しくない。
美咲は木こりとして大量に原木を伐採しており、ちょうど村に持ち帰って、交易を行う高奈に渡したところだ。「ありがと」受け取った高奈は早速取引を始める。
原木から木の棒をつくり、木の棒で矢師からエメラルドを集め、このエメラルドで各種アイテムを調達していく――
時間こそかかるが、初心者でも確実に装備を固められる鉄板ムーブだ。
「高奈さんなら仕事は選べるんじゃ?」
従業員二万人超の国内大企業において、三十代前半の若さでマネージャーに就く高奈は控えめに言っても優秀だ。
「いつまでもJSCに居ようなんて思ってないの。マクロソフトに行けたらいいなーって」
「あー、そういうことですね――お、ダイヤ装備! ありがとうございます!」
防具鍛冶との交易で入手した
美咲はそれを拾って、すぐに装備した。
「そろそろネザー行く?」
「高奈さんはダイヤ着ないんですか?」
「鉄で十分でしょ」
マイクラオンラインで言えば美咲と高奈はランク2――ウッドランクに相当する。上位25%であり、過剰な準備を伴わない単独でのエンドラ討伐を難なく、あるいは何とか行える水準とされる。
あえて交易していたのも会話を重視するためであるが、いつまでもそれでは飽きる。
高奈はもう交易場から出ていて、村の中のマグマ溜まりへ向かう。水バケツを構えて手早くネザーゲートをつくる。「火打石ある?」「あります」着火は美咲が行った。
間もなく二人ともネザーイン。
かなり開けた地形、かつ浮島だ。
崖の下にはマグマの海が広がっている。ブロックで足場を紡がねば先には進めなさそうだ。
「私がやろっか」
「お願いします」
高奈が先行し、スニークしながら足場を繋ぎ始める。
美咲はその後をゆっくりと追従していく。
「話戻すけど、別に宮崎さんの恋路を邪魔する気はないよ。あんな変人、死んでもお断りだし」
「本当ですかぁ? 仲良さそうでしたけど」
「茶番よ茶番。堀山君、なんだかんだ社交辞令もロールプレイも上手いから」
「ちょっとわかります。妙に手慣れてますよね」
「ね」
トン、トン、と板材ブロックを紡いでいく高奈。
無難に慣れた手つきだが、それでも半シフトは差し込まない。美咲にはそれがもどかしかったが、自分もまともにできないので何も言えない。
まだまだ対岸も見えないし、しばらくは会話時間だ。
「それじゃ堀山君に伝えといてくれる?」
「いいですけど、自分で言わないんですか?」
「絶対一蹴するでしょ」
この集まりは美咲が契機であった。
忍を落とすための情報がほしい、相談相手にもなってほしい、と高奈に甘えたのだ。見返りとして高奈が要求したのは、忍らが勝ち取ったレース案件の情報。
話は盛り上がると想像されたため、高奈は業務中の雑談や余暇のお茶タイムではなく自宅に招待することを選んだ。
すでに恋の話は終えており、現在は高奈のターン。マクロソフトとの人脈、ひいては転職に繋げるべく、情報のみならず自分もレース案件に入れてもらえないかと打診しているのだ。
「私が頼んでも同じことだと思いますけど……」
「いーや、可愛い後輩の頼みなら違うと見ている」
「忍さんはそんなに甘い人間じゃないです」
「まあそうよね」
高奈はなぜか足場を広げ始めた。
二人のスキルなら幅は1マスで十分だ。美咲が疑問を口にする前に、「会話に集中したい」意図が口にされた。
「じゃあログアウトします?」
「そうね」
間もなく二人ともログアウトし、マイクライアントも閉じる。
美咲はサイドテーブルのピッチャーを手に取り、自分のカップに注ぐ。高奈は首を振ったためスルー。中田家の麦茶であるが、美咲は地味に気に入っていて、もう四杯目になる。
こくこくと飲み干して、
「JSCってそんなに悪いところですかね」
「宮崎さんは正直どうとでもなるよね」
「どうとでもなるというか、できますけど、一般論の話です」
宮崎建設の威光を隠しもしない美咲だが、高奈はそんな表層にとらわれない数少ない人物でもあった。そんな頼れる先輩だからこそ、美咲もつい自虐してしまう。
高奈もまた、目の前の二年目が実家の力を乱用するような人間ではないと知っている。
「うちは頑張ってる方だけど、所詮は
はぁと高奈は嘆息し、背もたれにもたれて天を仰ぐ。
新米の美咲でもピンと来る話だった。単純に女性の比率が少なすぎる。課長級でもせいぜい二割だし、部長以上では一桁パーセント。明らかに偏っており、偏っているゆえに男尊的な世界観になる。
ある意味、当たり前すぎて今更な話でもあるので、美咲もいちいち同情はしない。代わりに、
「高奈さんって結構上昇志向ですよね」
「当たり前でしょ。私に言わせれば、ワークライフバランスとか持ち出して正当化する方が情けないわね。両立は前提として、待遇も上げていった方が良いに決まってる」
高奈がシングルマザーとして苦労してきたであろうことは美咲でも断片的に知っている。社内で勉強会や講演会も行うほど活動的でもある彼女は、傍から見るとオーラがある。
率直に言えば怖い。
「宮崎さんはその辺どう考えてるの? キャリアプランとかちゃんと描けてる?」
「あまり考えてないですねー。今は忍さんの下で修行する日々です」
「たとえばの話だけど、平社員でもいいと思ってる?」
高奈は自身のマイクライアントを仕舞い始めた。
美咲は忍の影響もあって最近マイクラに再燃しており、物足りないが、高奈はもっとドライだろう。たぶん今日はもう遊ばない。美咲も便乗して片付けることに。
「何とも言えません。JSCにずっと勤めるイメージも湧きませんし」
「あー、そうよね。私の方が麻痺してるかも。もう二人に一人は転職経験がある時代だっていうし――おっ」
年功序列の四文字はオワコンになりつつある。入社十年目クラスの高奈でさえ、同期の半数はもういないのだ。
と、ここで高奈のスマホが震える。
「どうかしました?」
「美優が出かけてくるって。晩ごはんもつくらないみたい」
「……私、ご迷惑でしたかね」
「大丈夫大丈夫」
美咲の招待に関して、美優には事後連絡をしただけだ。嫌ならちゃんと断るし、この程度でストレスを溜める娘でもない。
が、この信頼関係を説明するには言葉足らずであり、美咲は少しだけ棘が強くなる。
「中学生ですよね。明日は学校ですよね。夜遅くまで遊ぶんですか?」
「私よりしっかりしてるし、何なら強いし、大丈夫よ」
強いとの言い回しにひっかかる美咲だったが、それよりも拾いたいネタがもう一つあった。
「気のせいかもしれないんですけど、晩ごはんをつくるって言いました?」
「うん。普段美優がつくってるの」
「えー……」
美咲の当惑に構わず、高奈は「凄いでしょ」「自慢の娘よ」調子に乗っている。
「マイクラも凄いのよ。ゴールドランク」
マイクラオンラインにおけるランク5帯であり、上位0.9%――
「すごっ」
「ダイヤモンドに行ったこともあるわ」
「えっ、中学生ですよね!?」
ランク6『ダイヤモンド』は上位0.1%といわれている。
多種多様なレギュレーションが存在する上、毎回ランダムかつ状況判断の比重も重たいゲームゆえに、十代の若いプレイヤーがランク6以上に登るのは難しいとされている。小手先のテクニック以上に総合的な瞬発的や大局的な判断力が重要であり、ここらを積むのには人生経験を要するからだ。
「ノー勉で首席になれるし、スポーツも例外無く上手い。しかも目立ちたくないからとそれを隠して、普段は無難に演じてるのよ」
「神童じゃないですか」
「というよりギフテッドかも」
「……たしかに、さっきすれ違いましたけど、私相手に全然緊張してなかったですね」
トイレを借りた後に廊下ですれ違っており、そのまま数分以上話し込んでいる。
「敬語使っちゃいましたもん」
「私が娘について喋ることも織り込んでるのよ。でなきゃ普段はもっと奥手な子を演じる」
「完璧超人っているんですねー」
美咲がほわぁとリアクションを乗せる中、高奈は立ち上がって、横を通り過ぎる。
「ちょっと外出たいんだけどどう? 気になるカフェがいくつかあるの」
「荷物置いてっていいですか?」
つまり美咲はイエスと答えており、ついでに今日は泊まりたいとも言っている。
明日は月曜日だが、JSCは特別休日であり、二人にとって今日は三連休の真ん中だった。
「テンプレだけど貴重品は持ち歩いてね」
「ありがとうございまーす」
娘という憂いが晴れたことで、美咲も遠慮がなくなった。
その後はカフェを二軒はしごした後、ニュータウンから繁華街に出て複合施設で体を動かす。
夕食も外食で済ませて、再び中田家に戻ってきた頃には午後8時を過ぎていた。
美優もすでに帰ってきており、他愛のない雑談を交わしながらも順番に風呂に入る。
全員入ったところでマイクラで遊ぼうとなり、マイクラオンラインのリザーブトプラン――マッチングの相手を固定メンツにできる有料プランにて、三人で遊び始める。料金は高奈がサクッと支払った。
さすがゴールドだけあって、美優の強さは圧倒的で。
数時間ほど軽めのレギュレーションを色々と遊んだが、一位は九割がた美優であった。途中からは高奈と美咲で組んで美優を妨害する展開もあり、笑い声や悲鳴が時折響くほどの盛り上がりを見せた。
五月十六日、月曜日。
玄関に置かれたシックな時計の両針は、間もなく縦一本にならんとしている。
「ゆっくりしていけばいいのに」
高奈がふわぁとあくびを差し込む。緩めのシルクパジャマも着崩れており、胸元から谷間が少し見えている。
「早めに生活リズムを戻したいので。ありがとうございました」
「気を付けてね」
会釈も交わして散会――美咲は中田家を後にする。
高奈の言うとおりではあった。美咲は別に生活ガチ勢ではないし、本音を言えば甘えたかったが、昨日寝る時点で頭によぎったのは忍だった。
忍とのスクラボでは出張や旅行の話も書いている。
曰く、できるだけ早く生活リズムを戻すために、最終日はできるだけ早い時間に帰るのが良いという。半信半疑だったのを思い出し、早速試したみたのであった。
こんな面倒くさいことをわざわざ行う理由とは。
美咲自身ももう疑っていない。明日が待ち遠しかった。
一方で不満もあった。
――スクラボについてはわたくし堀山と、そちらの宮崎が詳しいので頼ってください。
先週、忍はレース案件――マクロソフト主導のマイクラオンラインレギュレーション拡充案件の顔合わせにて、スクラボを用いた仕事の仕方を押し通してしまった。
おかげで水曜日以降、一度も打ち合わせが開かれておらず、ひたすらスクラボを読み書きする日々である。
打ち合わせ自体はしている。何なら雑談もした。
マクロソフト社員やデイリー組との会話は非常に刺激的だし楽しかった。
ただ、それでも物足りなくて。
一応、大田ワールドのクラバーで少しはお喋りできているけど、全然足りなくて。
なのに忍は淡々としていて、案件のスクラボも盛り上げているし、相変わらずすぐ退社していて。
「いいなぁ」
それは忍を指したものか。
あるいは忍の同期として
はたまた優秀すぎる娘美優を羨んだものか――
美咲自身にもわからなかった。
ぺちっと両頬を叩いて切り替えた後、静かな住宅街の生活道路を歩く。
間もなく一人の通行人とすれ違う。
お土産と思しき袋を片手にぶら下げており、空いた手にはスマホ。いわゆる歩きスマホであった。美咲は挨拶するか迷ったが、これならスルーでいい。一応、相手がこっちに気付く可能性も想定して、ゆるく注視しつつ、通り過ぎていって――
「あの」
つい声を掛けてしまっていた。
どうしてそうしたのかはわからない。
男はピタリと動きを止めた。
絵に描いたような綺麗な停止で、空中で停止していた左足が数秒遅れて地面に着いたのはなんだか滑稽だった。
どう反応するか考え込んでいるのも丸わかりで。
その横顔も見覚えがあるもので。
よく見ると首にタオルがかかっているし、何やら疲労した樣子。汗の匂いが少しだけ鼻腔をくすぐる。
臭いではなく匂い。それで確信した。点と点も繋がった。
高奈との距離感には、物理的な距離も関係していたのだ。
「忍さん、こういう場所に住んでるんですね」
この辺りはいわゆるニュータウンであり、家族連れ用の一戸建てが立ち並ぶ住宅街だ。一人暮らしの独身が住む場所としては異端と言える。
「……どんな偶然だよ」
「本当ですよ」
忍は合宿から帰ってきたところであった。
自宅前までタクシーでも良かったが、持て余した分を発散したく、途中でトレーニング――走って帰宅する路線に切り替えたのだ。未瑠奈のお土産は邪魔だったが、これはこれで制約になる。制約が刺激を生む、は忍の持論だ。
この邂逅は完全に運が悪かった。
トレーニングを追い込みすぎなければ、もっと前から存在に気付いて
美咲がここにいるということは、中田家に泊まったことを意味する。
高奈もリテラシーは高い。隣人が忍であることは漏らさない。一方で、仮に美咲に「忍さんらしき人に会ったんですが」などと言われたら白状するだろう。
今も声を掛けてきた美咲からすぐに逃げることもできたが、どのみち勘付かれていた。視覚的にも嗅覚的にも非言語的情報を出しすぎている。自分を好いている若い女性相手には分が悪すぎる。
つまり声を掛けられた時点で負けている。
それで忍は素直に応対したのだった。それでも諦めきれなくて、しばし停止して粘りはしたが。
「今度遊びに行っていいですか」
「居留守する」
「あはは」
忍らしさに笑顔を咲かせた後、美咲は「また明日」軽く挨拶して別れる。
忍が自宅の中に消えるまで、ずっと眺めていた。
「おじさんってモテるんですね」
揺れを抑えるために両手でカーテンを握る美優が、ぽつりと呟いた。
部屋は手元も見えないほど暗い。
PCのランプも含め全ての光源を塞いでいる。
外から影が見えないようにするのはもちろん、美優は暗い空間が好きだった。視覚に頼れなくなり他の感覚が鋭敏になっていく体感はぞくぞくする。
「おじさんがロリコンじゃなかったら分が悪いなぁ」
「あばずれの体を凝視してる樣子は無かったけど」
「ずいぶんと懐を許してるんですね。まだ二年目ですよね?」
カーテンを握り込みそうになったので、いったん離して、ベッドに戻ると。
枕を掴んで引き寄せ、爪も立てて握り潰した。
ぎゅううっと。
見えはしないが、血管が浮くほどに。
「あんまり調子に乗らない方がいいかもしれないです」
美優は枕に寝技をかけはじめる。
まるで棚卸しをするかのごとく、一つずつ試していく。
途中で飽きたので、手を止めて。
くるんと向き直って、ばふっと顔を
「……私も子供だなぁ。感情がうるさい」
「付き合いは今後も続くし、ぼろを出さないようにしないと。おねえちゃん、美咲お姉ちゃん。私は美咲お姉ちゃんを慕っています。ママ抜きで二人で遊びたいほど楽しみにしています。私は良い子です。中学二年生の女の子です――」
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