20

 午後9時58分。

 オフ会会場のロイヤルスイートルーム、仕事ゾーンにはコアメンバー全員が再集合していた。


 うるは、愛莉、未瑠奈はラージデスクを一辺ずつ占拠して、ボイチャ無しにリアルの発声を交わしながらマイクラの練習に勤しんでいる。

 社長は残る一辺を陣取って仕事しており、忍はまとめた荷物と一緒にベッドの端で腰を下ろしている。ぼーっとしているともいう。


 今日のスケジュール――三人分のデートはすべて予定どおりに終了した。

 最後のターンだった未瑠奈も、忍と一緒に三十分前に帰宅しており、未瑠奈は鋭意練習中だった二人に合流、忍は風呂と食事と歯磨きをして過ごした。


 残すはクロージングのみで、間もなく午後10時を迎える。


「全員いるな」


 社長がぱたんとパソコンと閉じる。

 スケジュールの一部であるため、練習中のメンツを待つ素振りはない。うるはと愛莉は意識していたようだが、未瑠奈は没頭しており、「終わりよ」愛莉がわざと死んでみせたことで気付かせる。


「え、ちょ」


 未瑠奈は慌てて顔を上げたが、メンバーの痛々しいものを見るような視線に気付き「あうぅ……」被ってもいない帽子のつばを下げようとする。本来ならいじりの一つも入るが、未瑠奈の呟きが反響するほど静かである。

 うるはも愛莉も疲れていた。未瑠奈が夜デートをしている間から、ここでずっと練習していたためだ。ひょうひょうとしたうるはでさえ無表情になっており、愛莉に至ってはキーボードの上に突っ伏した。


「オフ会はこれで解散だ。ここは今日も使えるから泊まっていっても構わない。チェックアウトはフロントでやれ」


 社長はかんたんにクローズした後、じっと未瑠奈を向く。


「オフ会の目的は忘れてねえよな」

「は、はい」

「中川麗子は今後も続ける、で良いのか?」


 この第一回コアメンバーオフ会の背景は未瑠奈であった。


 マイクラに飽きて、やめそうで。

 モチベを高めるために皆と会いたかった。

 特にノブに会いたかった――


 まさに果たした今、改めて意思を問うているのだ。

 持ち帰って後日答える空気ではない。コアメンバー全員の視線が未瑠奈に刺さっている。

 かといって固唾をのんで守るほどの緊迫もなく、


「続けます」


 未瑠奈は即答した。


「今日のオフ会は例外的な措置だ。今後はもう無いと思われるが、問題ないな?」

「問題ありません」


 未瑠奈が同樣に淀みなく返している一方、うるはは離れた忍にアイコンタクトを送る。口パクもついており、「そうなの?」。忍は首を傾げることで流した。


「……アタシは」


 愛莉が重たい顔を上げて、


「アタシは、またやってもいいと思います。やりたいです」

「ああ。仕事に差し支えなければ自由にすればいいが、忍は違うよな」

「そうですね。基本的にもう二度と会うことはないと思います」

「忍君らしいねー」


 うるはがあははと笑う。

 忍が首を傾げたのも、単に未来がわからないからだ。忍の意思が変わったわけではない。それは愛莉もわかっているらしく、忍に噛みついたりはしなかった。

 忍もリアクションを待っていたようだが、来ないと判断したのか、腰を上げる。


「部屋に戻ります」


 忍は配信者にはあるまじきストイックな生活リズムを踏んでいる。すでに風呂も入った後だし、今も一秒でも早く戻りたいのが透けて見えるほどで、うるははもう一度笑うのだった。


「うるは、愛莉、未瑠奈――またな」

「おつかれー」

「ええ」

「うん」


 三者三様の返事を受けた忍は、早足で仕事ゾーンを出ていった。

 間もなく、ばたんとわかりやすい音がここまで届く。


「またなって言った」

「社交辞令でしょ。あまり真に受けると泣きを見るわよ」

「わかる。忍君って意外とコミュニケーション上手いよね」

「社交辞令……」


 一人だけ気付いてなかった未瑠奈の呟きが虚しく響く中、社長も立ち上がる。


「戸締まりと忘れ物、しっかりな」

「あーい」


 うるはが応えると、もう歩き始めている社長の背中がひらひらと手を振った。

 生活ゾーン、倉庫ゾーン、退室と完全に見えなくなったのを確認して、うるはが仰々しく視線を戻す。


「……もう聞いていいよね。どうだった?」


 もちろん忍とのデートの感想である。

 別に禁止されていたわけではないが、ここまで誰も誰にも喋っていない。それで手持ち無沙汰になって、マイクラの練習に手を出したせいでこうも疲労しているわけだが。


「だいぶ変わり者だったけど、普通に楽しかったわよ。思わず告っちゃった」

「……」


 未瑠奈がジト目を向ける。抜け駆けしないとの約束はどうしたとも言わんばかりである。一方、「わぉ、大胆だねぇ」うるはは気にした樣子もなく破顔する。


「全然刺さってなかったけど。ていうか女慣れしすぎじゃない?」

「たしかに、ぼくもたくさんボディタッチしたけど心拍も落ち着いてたね」

「何したの?」

「内緒――」


 ここでズズズッと丸椅子が引かれる。

 立ち上がったのは未瑠奈で、二人の視線も当然追従する。


「私も部屋戻るね」


 うるはと愛莉はチラっと見合わせた後、愛莉が頷いて、


「どうだった?」

「……凄かった、とだけ」

「意味深じゃん」

「みんなはライバルでもあるもんね。もし忍君がポリアモリーとかだったら話は変わってくるけ――」

「違う」


 気付けば未瑠奈も荷物を片付け終えており、たった今、PCをリュックに詰めて完全に終わったようだ。


 すぐに練習に合流したため、片付ける暇は無かったはずだ。

 うるはは思案に入っていたが、愛莉が「お疲れ」それ以上の追及は諦めたことで、「おつかれー」自身も同調する。


「うん、お疲れ様」


 未瑠奈はぺこりと会釈した後、スーツケースを引いて出て行った。


「……なんだろ」

「何が?」


 うるはも机を片付けようとしたが、その手はすぐにぴたりと止まる。


「片付けの手際が良すぎるなと思って」

「うっ」


 愛莉がうるはの背後に視線を飛ばす。

 自分が占拠しているベッドの、とっ散らかった有り様を見ているのだろう。「あとでいいや」愛莉は先送りを宣言して話を戻し、


「早く出たかったんじゃない? 昨日もソーシャルバッテリーって言ってたし」

「そうかなぁ。忍君ならわかるけど、未瑠奈の性格ではないような」

「アタシらがずぼらすぎるだけじゃない?」

「そっか」


 うるはも深追いをする気はないらしい。あるいは気力が無いのかもしれない。

 デート自体は快適だったが、忍のプロフェッショナルな空気に触発されたせいで、帰ってからは練習を始めたのだ。そのせいで非常に疲れている。情報量が多く何もかもが毎回ランダムランダム・シチュエーションなマイクラサバイバルへの、純粋な集中は、消耗も著しい。テンプレにも頼れる収録やRTAの比ではない。


「あー、風呂入るの面倒くさいな」

「わかる」

「わかるんだ。もしかして一日くらい風呂入らないタイプ?」

「いや入るでしょ。入らない選択肢ってある?」

「前言撤回。一緒にしないでほしい」

「普段どうしてんのよ? メイド雇ってんでしょ」

「そうそう。入れてもらってるよ」

「……え?」


 愛莉は一度目を逸らした後、もう一度見て「え?」それはお手本のような二度見であり、うるはは激しく笑った。

 目を拭いながら席を立ち、


「こうして立ってさ」


 ラジオ体操でするような大の字ポーズをする。


「立ってるだけなら楽だし、人に洗ってもらうと気持ちいいんだよね。美容室もそうだけど」

「あー、そのたとえはわかりやすい。でも洗ってもらうって……裸よね?」

「もちろん」


 未瑠奈への猜疑は完全になくなっていた。




      ◆  ◆  ◆





 高層階から夜景を見下ろしながら呟く未瑠奈。


 ガラスには寝巻用のジャージに身を包んだ地味な女が映っている。

 人目を気にする必要もないため豊かな膨らみも隠していないし、興奮が漏れ出る顔の緩みも抑えていない。


「起床時間は変えないはず。朝ご飯も食べない。準備も早いからチェックアウトも相当早いと考えられる――フロントでいいよね」


 未瑠奈はうんっと頷き、ベッドに入って、手を伸ばしてライトをすべて切る。

 夜の東京を彩る明かりが少し差し込んでおり、常夜灯の役目を果たしている。未瑠奈は明るくなければ眠れるため気にしない。


「大丈夫、私も準備は済ませた」


 最後にスマホのアラームを確認して。


「ごめんね忍」


 その独り言ちを最後に、未瑠奈は目を閉じた。






 翌日、朝5時5分。

 ホテルのフロントに待機していた未瑠奈は、偶然を装って忍と合流する。


 お土産を渡した後、エントランスで解散した。

 使う足はタクシー一択。始発寄りの今の時間帯だと、多少長距離でもタクシーの方が早い。もちろんこの程度の交通費など痒くもない。未瑠奈もここまでは読んでいた。


(受け取ってもらえた)


 後部座席の左端で内心ほくそ笑む。


 忍はミニマリストでもあり断られる可能性も高かったが、あとはタクシーで帰るだけという状況に加えて、庇護的扱いにされやすい最年少キャラの健気さもぶつければ譲歩してもらえると未瑠奈は考えた。

 そのとおり、忍は渋々ながらも受け取った。


 スマホに視線を落とす。


 画面には地図が表示され、リアルタイムで動き続けるマークが一つあった。

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