19

 ――恋の共同戦線ってこと?



 私の軽はずみな提案は、驚くほどあっさり受け入れられた。



 ――だってさ、忍君も絶対手強いし、だからこそ楽しいし。



 あのナナストロうるはが、そんなお花畑な台詞を言うだなんて。


 本気でノブが手強いと思っているのだろうか。

 その程度なわけがない。勝てるはずがない。

 普段接してるだけで気付かないのか。スクラボを読んで悟れないのか。


(私は違う)


 交際経験の無さがあだとなって忍を好きになりそうだったけど。

 私は叶わない恋を求めるほど単純じゃない。恋? 違う、間違えた。うるさい。言葉の綾だ、だから経験不足なだけ。陰キャは異性に弱くて勘違いしやすいってだけ。


 私のモチベーションは至ってシンプルだ。



 勝ちたい。



 それだけだった。


 だってゲームだけだから。

 男尊女卑な社会で、唯一頑張り次第で輝けるのがゲームだけだったから。


 ゲームとはナレッジワークである。

 知識ナレッジを学んで、使って、何度も練習して染み込ませて――

 瞬発的な勉強でしかない。頭を使うだけだし、芸術や数学のような才能を求めるほど成熟してもいないし、もちろん身体能力も要らなければ、男性の支配する世界ゆえに登用されづらい現実もインターネットのおかげでスルーできる。使える程度の頭があるなら、あとはひたすら努力の世界。


 わかる人にはわかる。ティーラーズに見出されたのは運じゃない。

 れっきとした、私の実力。


 別に大望なんてなかった。

 恋人はもちろん、友達もろくにいなかったけど、お父さんもお母さんも優しくて、不登校の私を包みこんでくれて。音ゲーやマイクラに没頭した私を見守ってくれて、ガチ勢になって高校を中退した後も支えてくれて。

 それで良かった。



 ――マイクラ飽きた。やめそう。


 ――特にノブ。ノブをもっと知れたら良さそう。


 ――会わせて。



 私の渾身のポエムをたった六行の箇条書きにまとめてみせた忍にはイラッとしたけど。


 改めて振り返ると、まったくもってそのとおりだ。

 私は飽きつつあったのだ。


 ただ一つを除いて。


(忍の番……)


 筐体が一つ空き、並び待ちの最前列にいた忍が向かっていく。

 いちいちこっちを見てこないのは正直助かる。衆人環視の中でイチャイチャするのはバカっぽくて嫌だから。社会人経験もあるからだろう、忍はそういう機微も読み取ってくれるから居心地がいい。子供扱いは納得行かないけど。ううん、そうじゃない。


 私が唯一理解できないのが、眼前の怪物だ。


 これだけは私の理屈で説明できないでいた。

 どれだけ研鑽を積んでも、人生を百周やり直したとしても届く気がしなかった。

 まるで非凡なパフォーマンスを見せるアスリートのごとし。


 でもそうじゃない。


 私は知っている。

 中川麗子の個チャン、コウニズムの企画で、まさにプロのスポーツ選手を招待したことがある。


(身体能力だけではゲームはこなせない)


 どんな活動にせよ、最適な筋肉というものがある。

 野球、サッカー、バスケットボール、卓球、カヌー、カーリング、クライミング、スケートボード――全部違うはずだ。

 ゲームも同じである。使う動作がスポーツよりも少なくて、身体能力というほどには求められないというだけ。脱力でいい。知能による最適化で事足りるのだ。


 なのにノブは。

 世界中の誰もが未だにタッチできないほどの高みにいる。

 まるでアスリートがプロゲーマーになったかのような、不思議な境地を錯覚する。


 昨日の合宿初日で、ハードコアエンドラ討伐の手元をリアルで見て。

 私はある一つの仮説を抱いた。


 ティーラーズの顔ノブは、堀山忍という男は。

 で生きているのではないか、と。


 恋? デート?

 そんな些細な問題じゃない。悪くはないけど――ううん、違う。うるさい。そうじゃない。

 私は思わず頭を振ってしまった。


 隣でスマホをいじっている男がこっちを向いてきた。こっち見んな。女がいたら悪いですか。

 そういう視線はすぐわかるので気をつけましょう。


(あ、手元が見えない)


 私は腰を上げて、斜め後ろから覗けるポジションに移動する。こっち向かれたから逃げたような素振りになってしまったけど悪気はないです。ごめんなさい。


 さあ、舞台は整えたつもりだ。

 忍は全力を出してくれそうな雰囲気をつくってるけど、ノブとしてのプロ意識も高い。わざとか、あるいは巧妙に手を抜かれたらお手上げなんだけど。


(ハイスピード変えてる……)


 音ゲーは普段しないらしい。とても二回目のプレイだとは信じられない。

 33歳という年齢にしては適応が早すぎる。


(あ、手袋つけてない)


 コウニズムは手指へのダメージが大きいため手袋が推奨される。

 肌が強い男性は素手で遊ぶことも多いけど、皮膚に無頓着でいられるのは若いうちだ。十年後は痛い目を見るだろう。そもそもコウニズムはよく出来たゲームであり、手袋でも誤検出はほぼない。完全に無いとは言えないけど、実力があればそんなものは無視できる。私が自ら証明してきた。


 一曲目は様子見プレビューに徹するらしい。

 少し体と顔を引いて、まるで俯瞰するかのように眺めている。

 一切手元を動かさず、ミスしか発生していない画面をただただ見下ろしている様は意外と目立つ。全く意に介しておらず、体も動かず。銅像みたいで、油断するとその背中に目が行ってしまうのに抗わねばならなかった。

 当然ながらスコアは無惨。


 リザルト画面はスルーして、選曲画面へ。

 二曲目も同樣、HERAのマスターを選ぶ。


 HERA。

 BPMは185で、比較的最近収録された高難度曲だ。

 終盤のサビが極めて特徴的な譜面をしており、正攻法で捌くのは不可能とされている。いかにトリッキーに取るかが要求される。慣れたら別に難しくないのだけど、その特殊地帯がダントツで長いから今回選ぶことにした。


(私の予想では……)


 二曲目はもう始まっている。

 忍は開幕からミスを増やしており、スコアもそうだし、その脱力からは程遠い腕手指の動きも目に余った。なのに、


(目が離せないの、なんでだろ)


 少しチラ見してみると、他にも忍に目を奪われている人がちらほらいる。

 あんな初心者のプレイ、私達上級者は気にも留めないというのに。


 しばらくして譜面は間奏に入った。


 嵐の前の静けさ。

 押しっぱなしが続くだけの緩い地帯で、忍でもコンボが続いている。


(ターン、ターン、ターンタンタン)


(ターン、ターン、ターンタンタン)


 この次である。


(タン、タタタタン、タタタタン)


 この曲、最大の特徴が顔を覗かせ始める。

 まずは交互連打トリルで取れる5連打――5個分の連打だけど。


(さすが)


 忍は切らすことなく繋いでいる。

 リズム建築などという神業動画を出しているだけあって、正確に交互に叩くくらいは訳無いらしい。


 もう一度同じパターンが来る。

 だけど次は交互連打じゃなくて、横長のオブジェクトが一直線上に降ってくる。


 譜面どおりに取るならば連打になるけど、素人には難しい。

 BPM185の16分連打ということは、秒間12.3回の連打が必要ということ。

 だけどチュウニズムにパワーは要らない。


 横長だから指を複数本割り当てられる。さっきと同樣にトリルで取れるんだ。

 見た目とは違った取り方で指を動かす『脳トレ』と呼ばれる世界であり、瞬発的な頭脳ゲームの真骨頂でもある。

 あるいは間隔が狭いからがむしゃらにこすってもいい。こするだけなら秒間20はおろか、30連打の密度でも難なく取れてしまう。無論、この取り方にも力は要らない。


 さあ、忍はどう取るのだろう。勘が良いから気付いてもおかしくはないけど、


(タン、タタタタン、タタタタン――え?)


 どちらでも無かった。

 普通に連打で取ってい、る……?


(指一本? 手首や腕も動いてなかった気が……)


 気のせいだったかもしれない。

 5連打くらいなら人間でも食らいつける。一部の男性プレイヤーがそうすることがある。だけど、もうちょっと力が入っていたはずだ。

 私も一時期は連打を研究していて、何度も動画を見たことがあるからよくわかる。ピアニストじゃないし、というよりピアニストであっても指だけでその速度で押すのは難しい。

 どうしても力でゴリ押しするか、振動させて押すか、になるはず。いずれにしても手首や腕も使う。


(気のせい……?)


 少し遠いからかもしれない。

 行儀悪いし、悪目立ちするだろうけど、知ったことか。私は立ち上がって、忍に二歩ほど近づく。これ以上はさすがに他のプレイヤーの邪魔になる。通行人は少し通りづらいかもしれないけど、ごめんなさい、それどころじゃない。


 間奏を抜けた。

 サビに向けて譜面が慌ただしくなってくる。

 今の忍では圧倒的に地力が足らず、コンボもまともに繋がっていない。

 3連打や5連打も散りばめられているし、オブジェクトの間隔も狭いからトリルでも取りにくい。ここは上級者でなければ繋げない地帯だ。


「マ?」


 古いリアクションが出てしまった。忍と話したからだろうか。


(気のせいじゃない)


 連打部分だけコンボが繋がっている。中指ただ一本が高速に、しかし確実に上下している。

 右手も。左手も。


(連打は利き手が偏るのに)


 なるほど、5連打程度なら捌ける地力がある、と。

 別にいい。驚くほどのことじゃない。ノブならそれくらいできても不思議じゃない。


 もう細かいことはいい。

 見届けさせてもらう。


 おおよそ1分34秒くらいから始まるそれを。

 あなたがどう捌くのかを。


(タタタタ)


(タタタタ)


(タタタタ)


(タタタタ)


 左端から4連打ずつ降ってきながら右端まで移動していく。

 忍は左手の薬指だけで取っていて――は? なんで?


 右手は?

 分担しないの?

 片手だけでレーンが変わる連打を取れるわけがないでしょ。連打だけでも大変なのに左右の位置も切り替えるだなんて馬鹿げてる。普通は両手を交差させながら交互に分担させるんだよ。取れてるけど。なんで? は?


 そして、


(タタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタ――)


 HERAの代名詞、超ロングな連打地帯である。


 その数、なんと50超。

 文字通り桁が違う。何ともふざけた地帯であり、ビームとも呼ばれる。


 追いつくわけがない。

 昔16連射で名を馳せたゲーマーがいるらしいけど、そういう人でもこれは無理だ。だって音ゲーだから。連打を構成するオブジェクト一つ一つに判定があるのだから。

 秒間12.3打とは、各打の間隔が0.08秒ということ。

 陸上競技でフライングとみなされる0.1秒すら下回っている。


 まさしく刹那の世界。

 このリズムを厳格に維持しなければならない。

 5連打のように短ければミス判定になる前に終わるけど、その10倍続くんだよ。誤魔化しは効かない。無理だ。無理無理。


 それだけでも大変なのに、なんとビームの隣にもオブジェクトがついているのだ。

 これのせいで純粋に連打に集中できない。連打で取るのは無理です。


「なんで?」


 私は誰に問うているのだろう。


(あの指どうなってんの?)


 HERAの超連打地帯は有名であり、上級者なら聞こえただけでも振り向く。あの地帯をどう捌くかが気になって仕方ないのだ。

 そしてその先には、左手の薬指一本で普通に連打している化物がいる――


 場の注目が明らかに彼を向いている。

 すげえとかやべえとかほざいてる人もいる。うるさい黙って。ああ私も人のこと言えないか。場所的に邪魔だし。ってさっき私を見てきた男がなぜか隣に来た。それが引き金となって、さらに数人が来て。


 軽い野次馬が出来上がった。


 超連打地帯が後半にさしかかる。

 今度はビームの隣のノーツも3連打が続いていて、鬼としか言えない譜面なんだけど――


「おおおっ!」

「すごすぎ」

「わああぁ」


 わああって口で言う人、初めて聞いたよ。

 気持ちはわかるけど。


 だってコンボが繋がってる一度もミスしてないから。


(それだけじゃない)


 あろうことか、忍は連打のやり方を変えて


 指だけの連打。

 手首も使ったスナップ気味の連打。

 腕も使った振動気味の連打。

 あと、たぶん上腕や肩を使ったやり方も入れてる。


(ふざけろ)


 私もプロの配信者でゲーマーだからわかるけど、そういう『お試し』は余裕があるときに差し込むものだ。

 エンタメのために調子に乗るプレイはするけど、プロでもあるから品質は落としたくない――自然とその塩梅に行き着く。


「クロスしてるの笑う」


 誰かがそう言った。


(わかる)


 ビームは右端から降ってきており、その左隣におまけ3連打がひっついている。右手でビームを取って、左手でおまけを取るのが普通だ。素人でもわかる。

 なのに忍は左手で取っている。その理由は1分34秒時点、超連打の開始のときに左手を使ったから。その左手をずっと使っているから。

 もちろんおまけは取れないから、余った右手を使うことになる。結果として、右側を左手で取って左側を右手で取って、などというおかしな見た目になる。とりあえずとかなんとなくで処理できるほど甘い世界ではないのに。


「あ、切れた」


 超連打地帯が終わった途端、忍はコンボを切った。

 それで上級者達が興味を失う。忍の雰囲気もあって、身体能力の高いアスリートか何かだと捉えたのだろう。実際、忍のプレイは初心者丸出しで、脱力もできていない、力まかせのプレイだった。


 そして曲が終了し、リザルト画面へ――


(AAA《トリプルエー》……)


 95%。

 101%を凌ぎあう上級者には取る方が難しいスコアだけど、初心者ムーブにしては異様に高い。

 超連打地帯をノーミスで繋いだのは大きいが、それにしても妙だ。


(まるで地力の足りない中級者みたいな)


 嘘をついていた? 実は何度も遊んだことがある?

 ううん、そんなはずがない。忍はそんな小細工をするような人間じゃないし、プレイの見た目は初心者丸出しだった。

 じゃあ一体なぜ?


 近寄ってリザルトを精読したい衝動に駆られたけど、ギリッと歯を食いしばる。

 ぎりぎりのところで何とか堪えて、


「邪魔はしません」


 などと呟く私。

 なんで敬語。なんで呟く。


「――あぁ」


 もう一度漏れてしまったのは許してほしい。


 だって、悪いのは忍だよ。

 振り返るほど露骨じゃなくて、横顔を見せてくる程度だったけど。

 たしかに微笑んできたから。


 聞いていたぞと。

 配慮ありがとうと。

 そう言わんばかりに。


(やめてほしい……)


 たらしは空想の概念だと思ってたけど、そうじゃないんだ。

 マイクラのときもそう。打ち合わせのときだってそう。

 ノブは、忍は、いつだって私をよく見ていて。どんなときでもちゃんと反応をくれて。敵になると怖いけど、味方になると頼もしくて、ラキとナナスが好きになるのもわかる気がする。


「……」


 もう三曲目が始まっている。


(私はどうすればいいんだろう)


 彼の背中を見ながら、私はそんな自分を見下ろしていた。

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