18

 日没まであと数十分といった空模様だが、観光客は絶えそうにない。

 忍が電気街口にて少し見上げると、秋葉原駅の文字――が、ここは集合場所ではない。


 未瑠奈に知らされたとおりの場所を目指す。

 大きな横断歩道と人混みを除けば、徒歩数分も無い。赤のチェック柄が目立つ縦長の建物は三号館と付記されている。


「あれか」


 建物の向かい側、歩道の端で待機する人は多いが、その中にジャージ、パーカー、小さなリュック、キャップと地味ながらボーイッシュな女の子が一人混ざっている。片手ポケットイン、片手スマホで俯いていた。

 うるはや愛莉とは違ってオーラは無く、コアメンバーで最も豊満な胸も鳴りを潜めて中性的な仕上がりになっている。目立ちすぎず、浮きすぎず。装いはもちろん、言動も手慣れており、あれならナンパに煩わされることもないだろう。


 忍は迷うことなく声を掛ける。

 表面的な外装と言動程度で見間違うほど甘くはない。むしろ見間違える方が難しい。


「未瑠奈」


 スマホを持つ手はそのままに、顔だけ上げる未瑠奈。

 目的は店内だとわかっているので、忍はゆっくり歩いて先に入店した。右手のエスカレーターに乗る。

 未瑠奈もすぐについてきたことを察知し、登りきった後で振り返る。


 午後6時。

 本日最後のデートは未瑠奈のターン。


「何階? リードはお任せしていいかな?」

「……それ」

「ん?」

「子供扱いはやめてほしい」

「ああ」


 言われて改めて自覚する。

 未瑠奈はメンバー最年少の21歳であり、忍とは10以上も違う。会社員で言えば新入社員よりも隔てた相手だ。一方でティーラーズでは、もちろん今日という場でも、年齢など関係がない。


「手でも繋ぐか?」

「目立つから嫌」

「腕貸そうか?」


 抱きつけるぞ、と言わんばかりに二の腕を前に突き出す忍。


「早く進んで。五階」

「おう」


 もう隠すつもりはないらしく、未瑠奈はキャップを脱ぐ。ポケットから細いヘアピンを取り出して、片目を覆う前髪を片手で留めた後、キャップもリュックに仕舞った。こうして見ると明らかに女性である。

 一連の動作はかなり手慣れており、音ゲーのために正装といったところだろう。

 それでも愛莉のような強者女性感は無く、スクラボでも書いていたがナンパには結構悩まされているらしい。率直な表現をすると、ぶつかりおじさんの標的にされそうな、あるいは痴漢されそうな雰囲気。


「何?」

「いや、かっこいいなと思って。正直楽しみにしてる」

「他人事みたいに言ってるけど、今日は忍にも遊んでもらう回だから」

「にも?」

「にも」


 自分も遊ぶことは譲らない。

 純粋なゲーム好きで言えば未瑠奈が一番だろう。いかにも未瑠奈らしくて忍は顔が緩んでしまう。


「真面目にやってね」


 縦に並んで階段を上がっていく。


「遊んだことないから大したプレイはできんぞ」

「それでも本気でやること」

「手加減したら?」

「五大ボス討伐するまで終われません」


 マイクラにおいてエンダードラゴン、エルダーガーディアン、ウィザー、ウォーデン、ピグリンブルートの五体を倒すというものである。

 元はパズル社の企画だが、通常のエンドラ討伐よりもはるかに時間がかかり、運ゲー要素も強くて数時間では済まない。


 何気にリアルなラインなのが怖い。ノブとして最近やっていないこともあって、麗子が提案すれば普通に仕事になってしまうだろう。ノブであっても面倒くさい企画なのである。鬼畜と言っても過言ではない。


「そりゃおっかねぇ」


 忍がわははと笑うと、未瑠奈も少し微笑んだ。

 まじまじと見ると嫌がられそうだからぐっと堪えて、とりあえずは階段を登りきる。


 四階の先の踊り場あたりから急に世界観が変わった。


 音量である。

 忍はとっさに耳を塞ぎそうになったが、未瑠奈は平気らしい。


 五階は音ゲーフロアであった。


 忍は「これか?」と言わんばかりに、そばのダンスゲームを指差す。未瑠奈はふるふると横に振った。

 そんな未瑠奈の後を追って、少し奥に進むと――


 感染症対策を施した自習机のような筐体がずらりと並んでいる。

 計10台。空いているのは左端の2台のみで、今もプレイヤー達が画面を見下ろしながら腕を振り上げたりスライドさせたりしていた。


「コウニズムか」

「知ってるの?」


 麗子の配信で見たことがある、とは言えず「ショートで見たことがある」などとぼかす。

 忍がショート動画を見ないことは未瑠奈も知っているが、公の場で身バレを防ぐために適当な嘘を混ぜる行為はありふれている。いちいち気にはせず、リュックから何かを取り出して、ぽーんと忍にスロー。


 手袋であった。


「れっつとらい」

「いきなりか……」


 未瑠奈はもう装着しており、左から二番目の筐体に立った。

 他の人が来ないよう、忍もすぐに隣に着く。


「チュートリアルもあるから遊んでみて」

「いや、登場するアクションは覚えたからいい」

「基礎は大事。チュートリアルでは手を動かせる」

「そうだな」


 忍はとうに周辺のスキャンを完了しており、ゲームに登場するノーツ――処理するオブジェクトの種類と取り方を把握したのみならず、音ゲーコーナーの雰囲気も理解していた。


 プレイは淡々と行い、終わったらさっさと撤収するべきだろう。

 友達やカップルだからといってダラダラと過ごすのは推奨されない。最も右側の集団がまさに反面教師となっていて、少々悪目立ちしている。あるいは台が空いているから気を抜いているのかもしれないが。

 何にせよ、初心者には敷居が高い空間だろう。


 忍は全く気にしないし、むしろ居心地の良さをおぼえるほどだったが、いつまでも浸ってはいられない。

 未瑠奈がそうしているように、忍も手元の画面と向き合う。


 コウニズム。

 空間を切り裂く音ゲー、新しい音ゲー、直感的に遊べる音ゲー、禁断の音ゲー――公式のキャッチコピーは何度も更新されるが、画面に落ちてくるオブジェクトに合わせて手元のパネルを叩くゲームである。

 最大の特徴は二つ。パネル上をなぞるスライドと、手の振り上げを行うエアーアクションだろう。


「カード持ってねえけど」

「無くても遊べる」

「りょ~」


 忍がそう答えると、なぜか未瑠奈は吹き出していた。


「どうした?」

「その声でそれは無い」

「俺も思った」


 忍の地声は男性にしても低く、喋り慣れていない者のそれである。そんなある種赤子めいた声質なのに、ノブとして慣らしたテンションでサクサク喋るためギャップがあった。

 普段はボイスチェンジャーを使うし、会社や実家ではこんなテンションは使わない。純粋に珍しいのもあるのだろう。


「ちなみに古い」

「マ?」

「それも古い」

「じゃあ何て言えばいいんだよ」

「了解道中膝栗毛」

「……なんて?」

「東海道中膝栗毛をもじった」

「いやそれは知ってるけど」

「これもちょっと古い。私もついていけてない」


 本当は知らない忍だったが、話の腰を折るほど愚かではない。


「マジかよ、怖えな若者文化」


 未瑠奈はもう一曲目を始めている。

 左右を仕切るスモークガラスで見えづらいが、忍はしっかりと捉える――曲名にはHERAと表示されていた。


 忍もプレイに集中する。

 事前に設定にしてハイスピード――オブジェクトの表示間隔を6倍くらいにしておくのが良いといわれていたので、まずはそのとおりに行う。その後、曲を適当に選ぶ。

 レベル7のアニメ主題歌で、二分少々の曲長だ。


 しばしプレイに溺れて――スコアはAAA。

 精度としては95%くらい。


「忍。見て」


 体を引いて隣を見る。

 まず未瑠奈はドヤ顔を浮かべていた。忍の曲とは二倍以上密度が違いそうで、指も腕も激しく動かしていたようだが全く息が切れていない。


 並行して後方、ベンチで休んでいる男性客らの空気感。女性だからか、それとも未瑠奈の結果が凄いのか、注目を受けているのがわかる。

 一方で、少し離れてくつろぐ外国人観光客は見向きもしていないから、視覚的に目立つほどではない。音ゲーの上手さと脱力感は比例しているらしく、上級者のプレイになると、たとえ激しい譜面であっても見た目はあっさりしているという。


 忍は胸中で感心しながら、最後に画面を見る。

 ランクはSSS+で、数字で言えば10010000。精度100%に加えて、より正確に捌いた時に加点されるクリティカル1万点もすべて取っている。


「理論値?」


 理論上の最高得点を理論値といい、音ゲーマーは日夜高難度曲の理論値を取ることに費やしているという。


「うん」

「もしかして凄い?」

「どうだろ」


 未瑠奈は自分のピースも構えて画面を撮影した後、次に進んでいる。

 ありふれているのだろう。名残惜しさは微塵もない。


 忍も一応、自分の画面を操作して次の曲を選び始める。


「クラオでたとえると?」

「んー……ゴールドとダイヤの間くらい?」


 ゴールドはレベル5で100人に1人くらい、ダイヤモンドはレベル6で1000人に1人くらいの分布である。

 ノブやナナスが属するネザライト――万人に1人ほどではないが、セミプロくらいは名乗れる水準だろう。エンタメメインの配信者の中では頂点の実力帯になる。


「すげえじゃん」

「どういたしまして」


 おそらく本来の未瑠奈はもっと上手いはずだ。


 事実、未瑠奈扮するVTuber中川麗子は個人チャンネルにてコウニズム配信を行っている。

 普段は専用スタジオで収録しており、ティーラーズ技術者が支える高度なトラッキング技術によってヌルヌルな3Dを披露している。コウニズム開発元からも信頼を置かれており、契約こそ結んではいないものの、大使のごとき存在感として認知され、日々プレイ動画や解説動画を上げている。案件も当たり前に受けており、ティーラーズの収入源に数えても良い。

 肝心の実力も相当であり、全国トップランカーには入れるという。


 身バレを抑えるための控えめなプレイでこの水準なのだ――

 マイクラで頂点に立つ者として、そうなるまでの努力量は容易に想像できた。


「本当に凄いぞ」


「さすが未瑠奈」


「素敵だ」


「未瑠奈しか勝たんよな」


 忍は選曲しながらも、自然と口に出していた。

 一応小声ではあるのだが、未瑠奈にはぎりぎり聞こえる塩梅だった。ついでに隣で顔を赤らめ、手元も停止しているが、忍は気付いていない。


 残る二曲のプレイを終える。

 未瑠奈とほぼ同じタイミングであった。「早っ」とは未瑠奈の一言。


 並び待ちが発生しているため、いったん筐体から離れた。

 もう一度並ぶかと思いきや、違うらしく、未瑠奈に袖を引かれてベンチへ。並んで腰掛けると、


「次は忍だけで遊んでみて」

「お、おう?」


 カードを一枚手渡された。


 コウニズムのアカウント情報を保存するためのIDカードである。

 未瑠奈は外でメインアカウント中川麗子のカードで遊ぶほどリテラシーは終わっていない。さっき使ったのはサブアカウントと思われる。今、忍に手渡されているのは、さらに別のカードのようだ。


「SNSアカウントを何個もつくってる若者みたいだな」

「いいから」


 軽口は許さない場面らしい。

 忍はカードの裏表をじっと眺める――新品に近い。おそらくはこの日のために最近作ったものだろう。


「いいのかこれ? アカウントを人に貸すようなものだろ」

「貸してはいない。プレイを代行させているだけ。規約違反には当たらない」

「代行プレイこそダメだろ。レーティングの概念、あるんだろ?」


 ゲームによりレートだのランクだのと呼ばれるが、各プレイヤーは実力が偏差値的に数値化される。

 特に他者に代行でプレイしてもらって不正に数値を増やす行為はブースティングと呼ばれ、替え玉受験レベルの悪質な行為とされる。犯罪行為と言われてもおかしくないほどであり、ゲームに携わる配信者であれば絶対に犯してはならないラインだ。


「いい。私の方が強いし、そのカードでも理論値は取ってる」


 大企業JSCの社員のモラルとしてはNGに倒すべきだが、そんな堅苦しい場面でもない。「まあいいか」忍がすぐに折れると、続いてスマホを見せられた。


「この曲をやって」


 先ほど未瑠奈が一曲目に撮った理論値リザルトの写真だった。


HERAヘラ?」

「ヘラでもヘーラーでも。私はヘラって呼んでる」

「ヘラでいいか」

「マスター譜面をやって」

「無茶言うな」


 忍が遊んだのはレベル10以下のエキスパート譜面。

 一方、この曲、HERAのマスター譜面はレベル14+。マイクラで言えば、ネザーに入ったこともない初心者がいきなりウィザーに挑むようなものである。


「本気でやってほしい。3曲ともヘラを遊ぶこと。できるだけハイスコアを目指すこと」


 未瑠奈は至って真面目に語っており、ティーラーズの収録を彷彿とさせる迫力がある。

 忍は身バレに通じる塩梅が出そうになったら抑えねばと警戒しつつも、自らのスイッチも変える。


「プレビューもアリだよな?」

「うん」


 質問、観察のために1曲分を捨てて観察に充てるといったプレイは可能か。

 回答、イエス。


「曲はこの辺にある」


 その後も未瑠奈は動画ベースでいくつか説明を追加した。

 たとえばHERAという曲がどのカテゴリのどのあたりにあるか、といったレベルで懇切丁寧であった。麗子はコウニズムの解説動画もつくっているが、そのクオリティの片鱗を感じさせる。しかし、麗子の動画だとわかるほど凝ってはいなくて、ちゃんと身バレのことも考えているのだともわかる。


 そんな気合マシマシの未瑠奈が何を企んでいるかは不明だが。


「――忍?」


 ゲームの世界だって甘くない。

 十年近い歴史を持つ全国展開のアーケードゲームならなおさらだろう。

 いくら忍と言えど、二回目のプレイで上級者の水準に至るなど不可能だ。


 だからこそ心が踊る――


 忍は己のポテンシャルをよく知っている。

 神経質なまでにセーブし、擬態しなければならないのが常だったが、ゲームは違う。


 全力を出せる場面など早々無い。


「……笑ってる?」

「何でもない。じゃあ行ってくるわ」


 未瑠奈は軽く首を傾げたが、並び待ちに向かう忍が応えることはなかった。

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