17

「お手洗い行ってくるわ」

「お手洗いわろた」


 丁寧な言い方が滑稽だという指摘である。


「じゃあうんこ行ってくる」

「バランス感覚死んでるじゃん。ここで待つわよ」

「ああ」


 トーク・イン・ザ・ダークを終えた後、忍はトイレを言い訳に抜け出した。


 店内に戻ってきて、訝しむお姉さんに案内人への中継を半ば強引に依頼する。


 忍の読み通り、向こうは乗ってきてくれたようで、間もなくやってきた。

 ドアを一つくぐって、先ほども少し過ごした薄暗い待合室にて、二人の案内人と対峙する。


「何か言いたそうでしたので、来てみました」

「お気遣い感謝します」


 礼節なのか、二人とも遮光眼鏡を外した。

 一人は常時目を閉じており、先も丁寧な説明やフォローを行っていた人物で、相原と名乗った。もう一人は開いてはいるものの左右の開き具合が露骨に違っており、不自然に窪んでもいる。忍を観察し、また忍が観察していた方であり、飯野と言った。


「堀山忍です」


 忍も改めて自己紹介を倣った後、


「それで、ご用件は?」

「すみません、用件というよりは、ちょっと気になって……。その、あまりにも慣れてるのでびっくりしました」


 喋り慣れているのだろう、相原が応対する。


「トレーニングマニアなんです。夜の山を歩いたりしてます」

「……」


 目が見えずともアイコンタクトはするらしい。二人は顔を見合わせている。

 一体どんな情報を、非言語情報をやりとりしているのか――

 忍は自分が威圧感を与えてしまっている自覚がありつつも、観察をやめられなかった。


「驚かせちゃいましたかね」

「……」

「この人達なら隠さなくてもいいか、と軽い気持ちで望んでしまいましたが」


 口を開いたのは飯野だった。


「……正直言わせていただきますと、命を握られてる感覚がして気が気じゃありませんでしたよ」

「ちゃんと接客できてたように見えましたが。相原さんはもちろん、飯野さんも決して接客者の立場を逸脱しないよう冷静な傍観をキープしてました」

「こちらもプロですから」

「素晴らしい」

「あなたこそ素晴らしいです。まるで気配を殺した獣のようでした」


 相原もしきりに頷いている。「ですね」とか「本当にそうです」と言葉でも表現している点が、忍には新鮮に映った。

 配信者でも社会人でもある忍だからこそ、日頃どれだけ声を出しているかは、聞けばわかる――少なくとも二人とも引きこもりではないし、並の社会人よりも出しているだろう。

 加えて、逆境を越えてからの方が長くもあるのだと感じさせる力強さもあった。声だけでは障害者であることなど欠片もわからない。下手な社会人よりも生き生きしている。


 そんな強者二人が、恐怖を表明しているのだ。


「恐ろしくもあり、また相対したくもなる――」

「他言を控えていただけますと幸いです。さっきの彼女――山田愛莉に何か聞かれても、誤魔化していただけたら嬉しいです」

「はい。よろしければ……またお越しください」


 プライベートに誘うかどうか迷ったのだろう。

 その上で、スタッフとしての応対を選んだ。


 彼らは紛うことなきプロだ。


 むしろ忍の方こそ、連絡先を交換したい欲求を抑えねばならなかった。狭いながらも一応の人脈を持つ忍だが、自分の本質を知る者となると身内しかいない。

 そもそも視覚障害者など会いたくて会えるものでもない。


 しかし彼らは仕事人として、そうしないことに決めた。

 ならば、忍としても尊重しなければならない。


 間もなく散会して。

 受付のお姉さんにも会釈をして、今度こそ立ち去った。






「何話してたの?」


 しっかりとバレているのが、愛莉の恐ろしいところだろう。

 忍も下手には誤魔化さず、


「せっかくだから色々質問してた。呼び方は視覚障害者でいいのかとか、白杖はくじょう使ったことあるかとか、白杖の女性を狙う性犯罪についてどう思うかとか」

「話題のチョイスが微妙に気持ち悪いんだけど」


 性犯罪ネタに繋げたのは意図的であり、鋭い愛莉の興味を逸らす狙いがあった。「この前ニュースで見て気になっただけだ」愛莉が気付くことはなかった。

 その代わり、しばらくはなぜ嘘をついたのかと追及されることとなる。


 お詫びになぜかハグを要求されたが、その程度は安いものだ――と軽い気持ちで受けた忍であったが。

 予想外に、忍の胸は向こう一分ほど愛莉を受け止める羽目となった。


 このシチュエーションでの一分はかなり長い。

 そうでなくとも先ほどからスキンシップが目立つが、うるはもそうだったから、そういうものなのだろう。そもそも忍は女性経験などなく、女性の習性などわかるはずもない。興味もない。

 そういうものか、と脇に放り捨てる忍だった。


 二人並んで信号を待ち。

 青になったら、進む。


 都会とは違った、無駄に広い歩道をのんびり歩きながら会話を交わす。


 無闇に計画に頼らないのも愛莉の美点だ。

 何をするかよりも誰と過ごすかが大事、とは誰の台詞だったか。また供給者が需要をつくる、とは現代では周知の事実であり、踊らされている現代人は非常に多い。

 愛莉は強い。目先の誘惑に負けず、無理に詰め込まず、これでいいのだと今日のプランも緩く組んでいる。

 歩いているだけなのに、忍も退屈しなかった。


「まだ食べてないけど、いいよね」

「あ、ああ」


 忍は赤背景に白文字のポール看板を見上げながらも、早速入っていく愛莉の後を追う。


 カフェでもフードコートでもなく、牛丼屋というチョイス。おやつどき前の店内は落ち着いていて、埋まっているのはテーブル席中心に二割ほど。

 忍と愛莉は並んでカウンター席に座り、タッチパネルで注文を飛ばす。


 移動中とは一転して、会話は止んでいた。

 愛莉はスマホでニュースとマイクラ情報を追いかけているらしい。忍は特に何もせず、ぼうっと向かいのカウンターを眺めていた。その先のテーブル席には女子高生二人組がいるが、さすがに凝視するほど不躾ではない。


「――お待たせしました。チーズ牛丼サラダセットです」


 注文が届いたことで、愛莉はスマホを仕舞う。「いただきます」律儀に唱えた後、ガツガツとかきこみはじめた。


 忍の分も間もなく到着する。

 特盛である。並盛の愛莉よりも器からして大きい。


 しばし黙食を行う。

 愛莉が口を開いたのは、数分以上経ってからのこと。


「めっちゃ食うじゃん」


 忍は燃費が良い方だが、それでも多大なカロリーを消費する。1日5000kcal以上も珍しくない。が、そんな非凡な一面を晒す気にもならず、「人混みは疲れる」適当に繋げる。


「会社員でしょ」

「普段はリモートだ」

「実際さ、リモートで仕事って成立するの?」

「経験者ならむしろ捗るかな。OJTしづらいから未経験者には辛いみたいだ」

「オージェーティー?」

「マジか」


 オン・ザ・ジョブ・トレーニング。要は習うより慣れろ方式で、先輩や上司と一緒に仕事させるやり方、なのだが。


「ビジネス用語はわかんないからやめてね」

「いや死語なのかと思った」

「で、どういう意味? 手取り足取りってこと?」

「それで合ってる。あとはそうだな、コミュニケーション取れなくてメンタルやられる人が結構いる」


 忍が勤めるJSCでも鬱病と診断された社員が何人かいたはずだ。


「人次第じゃない? パンデミック前は逆にコミュニケーション苦手な人がメンタルやられてたんじゃないの?」

「全くもってそのとおりだな」


 愛莉も根で言えば陰キャである。

 というより配信者はそうであろう。でなければ部屋に籠もって、PCの前で、画面に向かって喋る、それも長時間長期間行うなどという奇行は務まらない。だから芸能人や芸人やビジネスマンなどリアルで満たせる陽キャは成功するほど座って向き合えず、したがって成功もできない。


 堀山家もJSCも陽キャが多数派だから、忍は日々居心地を悪くしているが、一方でティーラーズは違う。

 愛莉のように活発な者もいるが、全員が陰の者であった。

 それが改めてわかって、その事が忍には嬉しかった。


「……愛莉って賢いんだな」


 陰キャネタでいじるのが通常だが、あまり配信者の世界観は出すべきではない。前方の女子高生がちらちらこちらをうかがっているのもわかっている。


「地頭的な意味で言えばアンタよりは賢いと思うけど」

「マジレスやめろ」


 そんな風に時折会話を交わしつつ、二人並んでガツガツと消化していく。


「――何? 女が牛丼かきこむのが珍しい?」

「いや、可愛いなと思って」

「ブフォ」

「汚えな」

「不意打ちやめろ」


 愛莉は報復手段に一秒近く悩んだ上、ドレッシングを手に取る。「それはやめろ」「いやマジで」忍の抵抗も虚しく、三割ほど残っているサラダに降り掛かった。


「いやらしすぎだろ」

「でしょ~、アンタは嫌がると思った」


 忍はうげぇと言いながらドレッシングのかかった部分を避ける。


「行儀悪っ」

「かけたのはお前だろ」

「別にアレルギーとかじゃないんでしょ?」

「調味料を体に入れたくないだけだが」

「仕方ないわね」


 愛莉の箸が伸びてきた。お手本のような綺麗な持ち方であり、実家の教育の太さをうかがわせる。農家の出だから、しつけられたのかもしれない。


「全部やるわ」

「少しくらい食べてもいいのに。ガチ勢ならファストフード自体食べないでしょ。今日くらいは食べてもいいって程度でしょ。なら一緒よ。というわけで、はい」


 サラダを掴んだ愛莉の箸が差し出される。千切りされたキャベツ一切れすら落とさない、器用な掴みだ。


「あーん」

「恥ずかしいからやめろ」


 そう言った後、少し俯いて小声で「あっちのJKも見てるから」と指摘を追加する。今現在、視野狭窄しやきょうさく気味の愛莉には効くと考えた忍だが、その前に、


「お姉さんラブラブですねー」

「でしょ? アタシの片思いなんですよ」


 忍は思わず「え? この距離で声掛けてくる?」小声で漏らしてしまった。


「どういう関係なんですか?」

「職場の上司です」

「勝手に上司にすな。同僚です」


 ティーラーズに階級は存在しない。忍はガーディアンとして、捉え方の誤りは積極的に矯正しにいく。


「こういう細かいところも好きなの」

「応援してます!」

「ありがとう――ほらっ、食え」


 勢いに乗った愛莉は忍の頬にグイグイと押しつける。


「いやバカップルだろこれ……」


 と言いつつ、空気は読んで、ちゃんと食べる忍。「おお~」と女子高生たち。

 忍はもぐもぐしながら紙ナプキンで頬を拭きつつ、愛莉の様子もチラ見する。耳が少しだけ赤くなっているが、見なかったことにした。

 むしろそれを悟らせない外面と振る舞いの厚さに内心感服していた。


 ティーラーズはラキの演技力に支えられているといっても過言ではない。

 コラボこそ禁止しているものの、愛莉ならどこにいても、一人でもやっていけるだろう。他人に興味などない忍だが、それでも仲間の成長や存在感を見るのは楽しかった。






 食事の後は公園を散策したり、複合施設で少し体を動かしたりして過ごした。

 そして午後3時54分。

 集合場所でもあったショッピングモール最寄り駅にて、並んで駅前の喧騒を眺めている。


 本来ならここで解散する意味はない。

 デートが終わった後はホテルに集合せねばならず、愛莉もいったん都内に戻る忍としばらく同じ行き先になるはずなのだから。ところが愛莉は別の用事があるという。ここで忍と別れる。


「今日は楽しかった。もっと社不だと思ってたけど、意外と出来る感じでびっくりしたわ」


 あははと陽気に笑う愛莉を見て、忍は。


「……取り繕い方は練習したからな」

「それでもよ」


 少し強めに牽制したつもりだったが、まるで効いていない。


「根は悪くない人なんだって思った」


 何ならカウンターを食らうまであった。


「……そう、だろうか」


 忍は己を正しく評価している。疑うまでもない。


 祖父にして三足のわらじが必要と言わしめるほどだ。

 でなければ会社員などとうにやめているし、実家の近くで一人暮らしをすることもない。

 そうしなければならないと忍自らが痛感しているからだ。


 死ぬまで続く。それだけだった。

 それだけの、ロボットのような存在――。


「ありきたりだけど、良い言葉があるわよ」


 愛莉は数歩前に進み、振り返ると。


「真面目」


 非常にありきたりで。

 情報量もあまりなくて。

 あってもなくても変わらないような、陳腐な言葉なのに。


「な……るほど」


 忍はしばらく口を開けていた。

 もちろんそんな自分は把握していたし、閉じてポーカーフェイスをつくることなど造作もなかったが、それでもそうしなかった。


 愛莉は微笑を崩さず忍に近づき、抱きつける距離で上目遣い。


「そんな真面目な忍が好きよ」

「……ああ、知ってる」


 愛莉も返事を求める真似はせず、ロールプレイだと誤魔化すこともなく。

 数秒ほど見つめ合うこととなった。


 とん、っと愛莉が一歩下がる。


「また遊ぼうね」

「気が向いたらな」

「それ向かないやつじゃん、あはは」


 愛莉と解散した。


 改札の向こう側でも目が合っていて、何なら手も振っていて。

 どんな鈍感な奴でも気付くだろう。愛莉もわかっていて、圧をかけてきている。


 完全に見えなくなってから、ふと忍は思う。

 そういえばうるはも同じ提案してきたな、と。


 そこまで考えて、「ああ、そうか」最後には次会うための口実をつくるのか、と一人納得するのだった。


 なら連絡先を交換するのが鉄板だが、忍に頼んでも来ないことはわかりきっている。仕事仲間とはいえ、クラバーでもスクラボでも会話を交わし積み重ねてきた。


 だからこそ、初めて顔を合わせたのに、こんなにも居心地が良い。


 従来の組織運営ではこうはならなかっただろう。

 忍の脳内には、気だるそうにPCと向き合う雇い主の姿が浮かんでいた。

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