16
うるはと別れた忍は昼食と移動を済ませ、お隣千葉県の郊外にまでやってきていた。
「悪い、待たせた」
商店街キラーでお馴染みの某巨大ショッピングモール最寄り駅にて合流する。
昨日ぶらさげていたみかんのイヤリングは見当たらないが、ネックレスが陽光を反射した。その下にはサングラスが引っ掛けられており、忍の角度だと谷間も覗かせていた。
スマホから顔を上げた
「よく気付いたわね」
「わかるだろ。昨日も見たし」
白のタンクトップにダメージジーンズに、と愛莉は中々に攻めている。実際にスタイルもモデルどころかアスリートのように引き締まっているし、キャップや黒のバッグとの調和も取れていて、まるでセレブのオーラだ。
忍が気付いたのは単に身体的特徴と挙動から照合したからなのだが、愛莉に知る由はなく、またマイクラで目敏さは嫌というほど思い知っているので疑うこともなく、
「アンタにしては遅いんじゃない? 三十分前には来てるイメージ」
「そのつもりだったけど完全に読み間違ったわ」
現在12時54分。
数字で言えば6分前だが、忍はホームの遠さや待ち時間の長さを舐めていた。「地方の鉄道はそんなもんよ」言いながら、愛莉は近寄ったかと思うと、忍の腕を取る。
恋人のように抱き込んで、早速歩き出そうとする。
「いちゃつく感じか?」
「もちろん」
想定以上に肯定されたので「もちろん」思わずオウム返ししつつも、拒絶はせず、もう見えているモールへと向かう。
屋根も完備されており、徒歩で言えば二分もない。
「とりあえず感想が欲しいんだけど」
「感想? 胸は別に当たってないが」
「マンガの読みすぎでしょ。アタシの今日の服装どうですかって言ってます」
「ああ、良いと思います。妥協しない愛莉らしさが出てましたね」
「……」
愛莉はなぜか忍の腕に顔を
器用にも歩き続けることはできるらしくて、そのまま十数歩ほど進んだ。
「で、何するんだ? 入っていいんだよな」
「参加したいイベントが
「俺はいいけど、いいのか? 無理して張り切らなくてもいいぞ」
ノブゲッサーはさておいても、なんだかんだ一歩引いて付き合うのがラキという人物――そんな印象だったので、こんな大胆な行動に心配さえ覚える忍であった。
「してないわよ。ロールプレイ楽しいじゃん、TRPGとかコンカフェとか」
「あー。前もやりたがってたよな」
ラキのコラボ熱は最近も潰したばかりだが、ある大手事務所のVTuberのTRPG配信をやってみたいとは前々から言っている。ティーラーズは
「忍は興味ないの? メイドカフェとか猫カフェとかコラボカフェとか色々あるでしょ」
「全くないなー」
「脳筋だもんね」
「否定はしない」
愛莉は明確にアウトドア派で、一人でも出かけるし、友達と出かけることも多いという。
忍も系統で言えば外向きだが、その内訳はほぼトレーニングである上、自宅周辺地域と裏山で事足りている。消費や体験が入る余地はない。そういうストイックなキャラはティーラーズでも周知のため、愛莉も改めて深掘りはしない。
そんなこんなでモールに入場する。
密着はもうやめていた。
忍が尋ねると「あ、飽きたのよっ! あとなんか固くてイヤ」などとキレ気味に返された。顔が少し赤かったが、同僚相手の気恥ずかしさだろうと忍は捉えてスルーした。
休日の午後だけあって人は多い。
忍はその程度で歩行速度を落とすほどお人好しではないが、今日は違う。それでも普段とはだいぶ違う加減なので、意識を寄せねばならなかった。愛莉からは文句も来ておらず、合格ラインだろう。
店内に入ることもなく、広い通路を歩いて、時折立ち止まったりしては他愛もない話を続ける。
一階のフロアをほぼ端から端まで移動し終え、スーパーとレストランエリアには立ち寄らず、広場のエスカレーターに乗り込む。愛莉は迷うことなく隣に立った。
忍はエスカレーターを歩く態度を譲らないモンスターを警戒して、自然な視線移動によるスキャンを瞬時に完了させる――異常無し。むしろ愛莉は痴漢や凝視の対象から外れるような強者女性に見えているようだ。
「買い物したり服見たりしないのか?」
「友達とならやるけど、忍とやっても面白くないでしょ」
「それはそう」
「いやアンタの感性をけなしてるわけじゃなくて、忍は興味ないでしょって意味でね」
「丁寧にありがとな。そういうフォローも要らんぞ」
親心的なのが、あるいは先輩風を吹かせているのが気に入らないのだろう、愛莉の表情は不満を表明していたが、言葉に出すほどではないらしい。
「知ってる」
「正直助かるけどな。服とかマジで興味ない」
「でしょ? わかってるでしょアタシ。惚れた?」
「ああ惚れた惚れた」
「わーい」
棒読みだが、さりげなく身も寄せてくる愛莉。それにしては息が、というより鼻呼吸が少し荒く感じるが、ラキが熱心なのはいつものことだし、さっきからもそうだったし、対面でなんだかんだ緊張しているのだろうと忍は捉えた。
「荷物はこちらでお預かり致します」
光源は厳禁であるため、現代人の貴重品スマホも預けることになる。愛莉は「うぅ……」などと自分の手首を掴んで抵抗する素振りを見せるギャグをするほど、スマホとの別れが惜しいようだ。
そんなテンションも、隣の忍を見て即座に吹き飛んだらしい。
「ガラケーで草」
「意外とまだ多いんだぞ。地方では二割のシェアがある」
「嘘つくな。ねえお姉さん、ガラケーって化石ですよね」
「うざ絡みやめろ」
受付のお姉さんの笑顔はひきつっていた。
預けた後はドアの先へ。
明るかった受付とは打って変わって、読書もかろうじてというほど薄暗さ。
「――ここから完全な暗闇になります。落ち着いて指示を聞いてください。焦らなくてもいいので、自分のペースでやりましょう」
案内人による説明が始まっている。
お姉さんはおらず、遮光眼鏡をつけた案内人が二人。
参加者は忍と愛莉だけなので、この四人で全員だ。
イベント的に、また時間帯的に他の観客もいそうだが、おそらく愛莉が貸し切りにしている。
金額の桁を一つや二つ増やせば、そういうことは割と行えるものだ。忍はしないが、他のコアメンバーは活用しているようで、スクラボでも結構盛り上がっていた話題だ。
外界の音は館内BGM含めて、ぴたりと止んでいる。
「頼れるのは声だけですので、積極的に出していきましょう。出しすぎるくらいがちょうどいいです」
「……」
愛莉は忍の腕にゆるく抱きつきつつも、彼らをじっと眺めている。
「内部は1センチメートル先も見えない暗闇になります。お互い近寄ると危ないので、ある程度の距離は空けてもらいます。親子連れやカップルの方も、申し訳ありませんがよろしくお願いしますね」
「だとよ」
「すっご。わかるんですか?」
愛莉は素直に感嘆しつつも、忍の腕はしっかりと殴っている。何気にグーパンである。忍の体つきを悟った上での、この配分なのだとしたら、中々に鋭いと言える。
「音の響き方で大体わかりますね」
忍も同感だったが、口には出さないでおいた。
そうして説明が終わり、真の暗闇へと入っていく。
トーク・イン・ザ・ダーク。
暗闇の中で過ごすことを打ち出した体験型イベントである。数年前までは東京と大阪のみの開催であったが、パンデミックが落ち着いたこともあり、最近は千葉や神奈川や京都など周辺地方にも拡大している。
あえて千葉に来ているのは、貸し切りを確保しやすいからだろう。都心の主力店は案件でもなければ特別待遇は狙いにくい。後は純粋に愛莉の地元でもあって慣れ親しんでいるとか。
「え、マジで何も見えないんだけど……」
「壁を伝って、ゆっくりと移動してくださいね」
「足元は大丈夫なんですか? 穴とかないですよね?」
「大丈夫です。ご安心ください」
愛莉は手も足も忙しなく動かしながらスキャンしているようだ。しばらくは忍を気にする余裕もなさそうである。
無理もない話だった。
現代人がこのような100パーセント純粋な暗闇と出会うことはまずない。ありえるとすれば月光も文明の光も一切届かないほどの山中や洞窟、あるいは深い地下などであるが、現実的には天体観測者と学者くらいだろう。忍のように普段から裏山で鍛えるような人間に至っては稀有の域である。
身体は正直なもので、暗闇と対峙すると本能が全力で警戒を始める。
右も左も、上も下もわからなくなり、自分の体と下界との境界さえもぼやけはじめる。
いかに視覚に頼っていたかを、恐怖とともに思い知るのだ。
逆に、忍にとってはとうの昔に越えた経験でもある。思い出す方が難しい。今や日常の一部でしかなく、今も既に通路の構造まで把握していた。
「……」
「……」
今現在喋っていない方の案内人と目が合っている。
視覚障害者は非常に鋭い。忍が只者ではないことを間違いなく見抜いていて、探りにきている。
一方で、喋っている方は顔の向きで響き方が変わるため忍の方は向かない。当面はスルーするようだ。気になるだろうに、不慣れな女性客のために脱線せず務める様はプロフェッショルであろう。
「忍! ねぇ忍!」
先行する愛莉が叫んでいる。
「いるぞー」
「大丈夫? ねえこれ大丈夫なの!?」
「落ち着けよ。つーか、楽しめよ。マイクラでもよく洞窟行くだろ、ブラインドもたまにつけるだろ」
マイクラにおける暗闇は、明るさゼロでもかすかに見えなくもない。慣れたら松明無しの探索も可能である。
これを防ぐのがブラインドと呼ばれるオプションであり、ゲーム中の明るさゼロが文字通り何も見えなくなる。洞窟限定なのがせめてもの救いだが、松明がなければまともに進めなくなり、別ゲーと称するプレイヤーも少なくない。
元々はMOD――非公式拡張機能でしかなかったが、難易度調整として使い勝手が良いため今ではマイクラオンラインのレギュレーションやマイクラバーチャルオフィスの設定項目でも採用されている。
「松明置いてよ」
「無茶言うな――すいません、先に進めてください」
忍の発言で愛莉も「あっ」などと自らの醜態に気付き、押し黙る。言わば進行を無視してイチャついたのだ。穴があったら入りたいとはこのことだろう。
そんな愛莉を面白そうに眺める様はさすがにわかったようで、「あとで覚えときなさいよ」定番の台詞も吐くのだった。
通路をゆっくり移動した後は、部屋に入る。
忍は愛莉に気付かない程度に静音で行動しており、和室と洋室が混在していることや、ウッドデッキがあることなども把握しているが、愛莉は素直に案内に従って、発言を止めず手探りを続けていた。
部屋をぐるりと回る形で探索した後は、中央のテーブルを囲って座る。
「テーブルにぶつからないよう注意してくださいね。ゆっくり、ゆっくりと伸ばしてください」
「え、怖いんだけど」
愛莉が恐る恐る手を伸ばしてテーブルを特定する間も、忍は一息で当てており、何ならあぐらをかいて肘をついてくつろぐまであった。
「発見! こうなりゃアタシのもんよ」
指先がテーブルにヒットした愛莉は、両の手のひらをべったりとつけてスリスリし始める。
「忍どこ?」
「ここだが」
「手出して」
「断る」
「なんでよ! つかさ、こっち向いてよ」
「どっちだよ。見えねえから」
忍は舌を巻いた。
音の響きから方向を特定する要領を、愛莉はもう掴みつつある。
そのとおり、忍は愛莉の方を見ていなかった。
今もじっと観察してきている案内人と向き合っていた。暗闇はありふれた体験だが、視覚障害者との同座は新鮮である。向こうもそうらしく、おそらく本来二人で案内を分担するつもりだったのだろうが、一人に任せっきりで、忍との対峙に充てているようだ。忍にはそれが嬉しかった。
とはいえ、今は愛莉とのデートでもある。愛莉への注視も忘れない。
そういうわけで、忍はかなり忙しく過ごしているのだった。
着席が完了すると、コーヒータイムが始まった。
テーブル中央に置いてあるお菓子――チョコレートを食べつつ、案内人が淹れてくれたコーヒーを飲む。
忍は包装を開けてから放置したり、すする音だけ立てたり、と嗜むふりに留めた。摂取する物や量にも気を遣う忍にとっては当たり前のことだ。暗闇だから言い訳も要らない。案内人は気付いているようだが、見逃してくれるらしい。「美味しい……」愛莉は心底ほっとしているようだった。
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