15
朝から元気な快晴が街をくまなく照らしており、上着を手に持つ者や長袖をまくる者が珍しくない。そばの公園では早くも子どもが滑り台に群がっている。
五月十五日、日曜日の午前7時41分。
一階が全面駐車場の二階建て漫画喫茶をバックに、Tシャツジーパンのうるはが手を挙げた。狙っているのか無頓着なのか、胸の膨らみが少々目立つ。それは手の上げ下ろしで形を変えた。
「早いな」
「待ち遠しくてね」
うるははへらっと微笑むと、「ん」と手を出す。それを忍は握手と受け取り、「よろしく」言いながら握ってみるものの、握力が返ってこない。
「反対の手を想定してたんだけど」
「ああ、繋ぎたかったのか」
「デートだよ?」
「受付すぐそこなんだが……」
忍は逆の手で握り直して、二人並んで階段を上がった。
出入口に立つとシュインと自動ドアが開かれ、シックなオフィスのような内装が姿を表す。
受付でも手を繋いだまま、うるはは会員証をピッと読み込ませる。
「ごゆっくりどうぞ」
と店員二名のお辞儀を経て、フロアの奥へと向かっていく。
「漫画喫茶ってこんななのか」
「ここは大人向けで高級路線かな」
フリードリンクや置き菓子サービスの他、有名チェーン店の有人カフェも入っている。店内は綺麗で、ただ本棚を並べただけの味気ない空間ではない。レイアウトも、装飾も、絵も創造的なあそびも随所に散りばめられていて、忍はおのぼりさんさながらのきょろきょろっぷりを隠さない。
「会員登録してないけどセキュリティ大丈夫か?」
「顔パスだから」
「ああ。うるはって感じがするな」
常連になって仲良くなったり、高い金額を支払って特別待遇をつくってもらったりして居心地を良くするのがナナス流らしい。ティーラーズのスクラボで読んだことがあった。
その感想はつまり、スクラボの何気ない書き込みを忍が読んでおり、かつ覚えている証でもあって。
少しだけ先行する彼女の口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。実は忍はこれも察知していたのだが、指摘するほど野暮ではないし、照れてみせるほどちょろくもない。
うるはに案内された先は、店内最高級と思しきカップルシート。
というよりもはや部屋である。見た目もそれなりに広く、数人でグループワークさえできてしまいそうだ。ここでも会員証をかざしてロックを解除し、入室。靴を脱ぐスペースもある。
設備としてはソファーが1台、テーブルが2台に、二人で寝転んでも余裕のありそうなシート。テーブルは座って本を読む用と飲み食い用らしく、PCを置いて作業する類の、いわゆるデスクではなさそうだ。そもそもPCからして見当たらない。
「とりあえず読もっか」
「何でもいいよな」
「いいけど、ここで読んでね。立ち読みとか無しだから」
うるはが提示したデートプランは『漫画喫茶デート』。
カップルシートで二人、のんびり本を読みつつ喋りつつして過ごすらしい。
もう出ようとするうるはにつられて、忍も出た。
ロックはしないらしい。二人とも手ぶらで来ていることもあるだろう。
忍はうるはと分かれて、しばしマンガとラノベの水族館をたゆたう。癖で館内全域をスキャンした後は、ティーラーズのスクラボでも見たことのあるマンガタイトルの一巻をいくつかピックアップした。
部屋に戻ると、うるははもう寝転んで読み始めていた。
テーブルに積まれたのはライトノベル。背表紙のタイトルがやたら長くて、忍は読み飛ばしを即決した。
椅子を引いて腰を下ろそうとするが、
「忍君」
「……マ?」
「マ」
うるはは片手で器用に本を開いたまま、空いた手で隣をチョンチョンと指している。
今の忍に拒否権はない。
しぶしぶといった様子で移動して――同じように肘を立てて寝そべった。
「よいしょっと」
身を起こしたかと思えば、なぜか重なってくるうるは。トの字から交点を突き抜けたような形になっているが、ちょうど背中の位置にひときわ柔らかいブツがある。「あ、いいかも」うるはは勝手に満足しており、そのまま何も言わなくなった。
ひら、ひら、とページを重力に任せて静かにめくる音だけが聞こえる。
「……静かだな」
簡易的な防音機能も備えているらしく、大声でもなければ会話もできるだろう。
うるはは乗ってくることはなく、その横顔も手元から一切逸れなかった。
軽率にいじることも考えたが、ここはマンガを読む場所で、うるはは読書好きだ。
忍も素直に溺れることにした。
長寿エルフの冒険譚を八割ほど読み進めたところで、
「あぁ。可愛いなぁ」
「……もう読んだのか」
うるはは起き上がって、次の一冊を取っている。
軽く体をほぐしたり伸びを入れたりしており、健康に気を遣っていることがうかがえる。胸の強調がわざとらしい気がするが、忍は特に気にせず眺めていた。
「忍君。チロインってどう思う?」
小さなヒロイン、チビヒロイン、略してチロイン。
華奢な白い手に掴まれた作品のヒロインだろうか。はたまた身長140センチメートル台の自身とも絡めているのか。小首を傾げて、どこか挑んでいるような眼差しを向けているが、
「うるはがこの前造語してたやつか」
「うん。よく覚えてたね」
忍は話題を言葉の成り立ちに移すことで逃げた。
スルーされたうるはは一瞬だけ頬を膨らませていたが、忍はそれにも気付かなかったふり。
「反応もしたはずだが」
「関連項目としてチョロインって書いて、さらにまとめページもつくってたよね」
「拡充はしてないけどな」
「そんなにないよね」
「そうだな、ゲロインくらいじゃないか」
ゲロを吐くヒロイン、略してゲロイン。ちなみにピクシブ百科事典にも載っている。
うるはは「ふうん」と言いながらも、のそのそと忍のそばに近寄る。
頭が足に触れる近さであぐらを組む。
「ぼくのネーミングセンス、どう思う?」
「何とも。チョロインやゲロインに従うならちょろい、ゲロ、というふうに先頭も単語になっててほしいけど、小さなヒロイン、略してチロインも覚えやすくはある。まあ自分や身内が使うくらいならいいんじゃね? そういうの気にしてたら造語できんぞ」
「忍君もよく造語するよね」
なぜか短髪を撫でられるが、昨日もそうだったようにうるははスキンシップを重視するタイプなのだろう。あるいは短髪のチクチクが気持ちいいのかもしれない。
いずれにせよ、深くは気にせず忍はなすがままにされることを決め込んだ。
「楽だからなぁ」
「センスは正直ないと思うけど」
「その指摘は結構利く」
「一応凹むんだ」
「人間だからな」
「……忍君は造語の体力とフットワークが一般人離れしてると思う。なんで?」
なでなでがピタリと止んだ。
「マイクラが上手いから? ってなんでニヤついてるの?」
「いや、何でも」
「言って。ちゃんと言語化してほしい」
真剣な雰囲気を受けて、忍も体を起こす。
あぐらで向かい合う――が、うるはは背中と尻を向けてきて、すとんと収まってきた。「ん」手を要求されたので、渡してみると、自身の腹へと
「言語化」
「ん、ああ、なんていうか、やっぱりプロなんだなって思った」
浮かれた女の子である以前に、マイクラ配信者なのだと。
「そりゃそうだよ。忍君ほどじゃないけど、ぼくらもマイクラには費やしてる。人生賭してると言ってもいいくらいには」
「……」
ノブを倒すため、そして面白い見世物にするために、三人は日頃から知恵を絞っている。スクラボだけでも相当な試行錯誤の跡があるし、ノブを交えないミーティングや練習も度々しているようだ。
忍としては複雑な気持ちだった。
プロの自覚こそあるが、マイクラに費やす気概もなければ特段好きでもない。わらじとして優秀なゲームだったから始めただけであり、ティーラーズが生まれたのも、たまたま動画日記を見た社長がヘッドハントしてきたからにすぎない。
ある種の才能は疑っていないが、社長の使い方や演出が何よりも上手い。そうでなければ、未だに再生回数一桁の動画日記を上げ続ける物好きでしかなかっただろう。
他の三人のように、泥臭くも輝いているプレイヤーではない。
自分はステータスが高いだけのロボットでしかない……。
「ん? ひいた?」
「いや、感心したんだよ。お前らと仕事できて俺は幸運だと思う」
「忍君って地味にたらしだよね。褒め慣れすぎ」
この体勢に至るのが目的だったのか、うるははラノベを開いた。
「そんなもんだろ。ニートにはわからんかもだが、社会人は社交辞令をよく使う」
「ぼくらにはある程度本心もあるよね。それを表現する言葉を雑に使ってるだけで」
「上手い言語化だ」
会話自体は継続するらしい。
忍はそこまで器用な芸当はできないため、伏せたマンガには見向きもしないが、一方でクセがつくのが気になる性分ではある。
「……」
結局、一時的にホールドを解除して、エルフの冒険譚をぱたんと閉じた。
そんな仕草が忍らしかったのか、うるははふふっと微笑んでいた。
「そうだな。これもありきたりで適当だが、コアメンバーは家族のように思ってる」
「昨日も言ったね。ぼくは妹かな?」
「そこまでは言ってない」
「そのこだわりは何なの」
あははとうるはが笑う。
それでも目線は手元から外れておらず、ページのめくり方にも乱れがない。
「言語化するか?」
「要らない。話を戻したいんだけど。忍君の造語のフットワークはマイクラから来てるの?」
「マイクラは関係ねえな。エンジニアだからだろ」
「ソフトウェアエンジニア?」
エンジニアといってもインフラ、ネットワーク、ソフトウェア、システム、サイトリライアビリティなど多数存在する。忍はスクラボにてうんちく的に書き殴っており、うるはは読んだことがあるのだろう。
「ああ。世界で最も概念をつくってる人たちだ。俺達が普段使ってるアプリやサービスやシステムも全部この人達がつくってる。構想や設計をプログラムに落とし込む段階で大量の概念と名前が必要になる」
「リーマンなんだよね」
副業で配信しているのは忍だけだ。
うるはを含む他メンバーは全員、専業でティーラーズに就いている。そもそも億超えの収入があるし、やりがいや面白さも箱内の仕事で開拓できるから他で働く理由がない。
「羨ましいな。尊敬する」
「嘘つけ」
うるは扮するナナストロは収録以外には一切活動しておらず、スクラボやミーティングでも新しい活動を行うモチベーションはゼロだ。どころか収録中でも隙を見ればサボるムーブを差し込んでくる。
社内でも、社外のSNSや匿名サイトでも、ニートの愛称で親しまれている。
「専業主婦とかどう? 欲しい?」
「開き直ったな。俺は要らんぞ。むしろ邪魔だ」
「忍君はひとりでできるもんね」
「仮にできないにしても、金でどうとでもなるしな」
家事や移動に限らず、生活の大部分はお金があれば委託できてしまう。それで生計を立てている会社や個人も少なくない。
忍は頼っていないが、逆にうるははヘビーユースしているらしい。スクラボにはナナストロが書いた【メイドはいいぞ】ページがあったりもする。
「普段もひとりでしょ? 寂しくないの?」
忍の手を取り、恋人繋ぎで絡めてくるうるは。
腕がクロスになっているが、本は片手で器用に支えている。
「ないな。依存できるものがあるから平気だ」
「ぼくは本だけど、忍君は何? やっぱりマイクラ?」
「……」
会社員としての自分。
マイクラ配信者としての自分。
そして――
「……そんなところだ」
「間があったね? 何か隠してるでしょ」
「詮索はしてくれるな」
「いや、そんな大げさなものでもないんだけど」
うるはが苦笑する意味がわからず、「大げさ?」問う。
手持ち無沙汰なのもあって、忍もニギニギに参加することにした。
その手のひらは薄くて、柔らかかった。
というより堀山家が堅すぎるのだろう。以前さくらがひかれないための言い訳が面倒くさいと漏らしていた。
「詮索という言葉は、バレたら相当ヤバい何かに向けるニュアンスがあると思う」
「さすが読書家。俺はもっとカジュアルに使うけどなぁ」
忍はまさに指摘されたとおりに使っていた。使っていたのだと気付かされた。
そういうわけで回避を選ぶ。
不自然にならないよう、間も少し確保して、
「……さっきから思ってたけど、読んでるのかそれ?」
「うん。本読むのは得意だから。ひいた?」
「いや凄えなって思った。どうやってんだ? 脳内で音読だと追いつかないよな。画像認識?」
「ちょっと違うけど、そんな感じ」
「じゃあマイクラと似てるかもな。俺もあちこち眺めていったん記憶してから、ゆっくり処理するし」
「うーん。そっちの方が凄い気がするけど」
忍としては全く自覚がない。
単に幼少期から鍛え続けただけだ。
いつの間にか強くなっていた。鋭くなっていて、広く、深くなっていた。それだけのことだった。
「そんなものなのかもな。身も時間も注ぎ込んでると、そのうち処理性能がグレードアップする。勉強もそうだよな、学習曲線ってやつ」
「必ずしもそうじゃないけどね。アファンタジアって知ってる?」
「スクラボに書いてたよな、脳内でイメージが浮かべられないんだっけか」
「そう。努力以前に、特性次第では早期から伸び悩むんだ――」
そんな風に、うんちくも交えながら満喫デートを過ごすのだった。
午前11時前に店を出て、通行の邪魔にならないよう隅に寄る。
「また今度も遊ぼうよ――二人で」
「断る」
「即答で草」
「移動時間がもったいないだろ」
休日のお昼時でもある。地元民の良スポットでもあるのだろう、駐車場は満席に近く、今も二台の車が動いていた。
「じゃあ移動時間がなくなればいいんだね? 良い方法があるよ」
「自宅には招かないぞ」
「未来永劫?」
「そこまでは言ってない」
「いいね。チャンスはあるんだ?」
33歳、変人の忍でも社会人であり大人だ。うるはの好意に気付かないほど鈍感ではないし、一度断ってはい終わり、で済むほど単純ではないこともわかっている。
少なくともティーラーズは続くのだ。
「あまり期待しないでもらえると助かる」
社交辞令と申し訳無さを混ぜた、器用な声音が出る。
微笑んでいるのか、ほくそ笑んでいるのか。
うるはは嬉しそうに相好を崩した。
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