14
忍が高級ホテルで合宿に勤しむ一方。
堀山家のリビング、先ほど食事を済ませたばかりのテーブルはとうに片付いており、マイクライアントが四台も置かれている。
「しーちゃん上手だね~」
「ついてこないで!」
さくらはゲヘゲヘといやらしい笑みを浮かべながら、姪っ子である詩乃のアバター――緑シャツに明るい髪の女性アレックス、つまりはデフォルトスキンそのままのそれを追いかける。ちなみに隣り合って座っており、さくらは詩乃の画面もチラチラ覗くウザさも見せている。
詩乃のアレックスはくるりと振り返り、手に持ったツルハシを振り下ろすが、さくらは盾を構える。ガンッと硬い音が鳴る。
「ぱぱたすけて」
「パパ忙しいから。頑張って」
「ぱぱー……」
「しーちゃんしゅきしゅき、だいしゅき~」
娘の前に座る
そんな拓斗の隣に座るのが妻
「しーちゃーん、私とお家つくろうよ。ね?」
「やっ。たんけんするの」
「じゃあお姉ちゃんの洞窟を探検しよう。ここはつまんないでしょ?」
さくらは高さ2マスの空間を目ざとく発見し、頭を高速で打ち付けながらダッシュする。
マイクラはジャンプ時に加速する仕様だが、2マス天井だとすぐにぶつかってキャンセルされるため、何度も繰り返すことで素早く移動できる。満腹度の消耗も激しいが、ここは堀山家のレルムサーバー――要はマルチプレイサーバーである。食料など自動生成装置で無限につくれるから困らないし、今も牛肉を2スタック持っていた。
そうして詩乃に先回りした後、丸石を高速で置いて進路を塞ぐ。
「ああぁ!」
「ほらほら、お姉ちゃんが案内するからね」
「おねえちゃんのばかっ! おばさん!」
「お、おばっ!?」
画面内アバターもリアルの表情も慌ただしい娘と義妹を見て、佑里香はふふっと相好を崩す。
唯一マイクラをプレイしていない彼女の手にはワイングラス。こくっと最後の一口を飲み干した後、マイペースに探索を続ける隣の夫をじろりと見やる。
「……何?」
「別に。貴方の考えてることがわからないなって」
「ただの英才教育だよ」
すでに忍によってクリアリングされた洞窟とはいえ、わずか四歳でスムーズに動けているのは普通ではない。ニ年前から拓斗によって仕込まれたものだ。「本当にね」拗ねて相手にされなくなったからか、さくらも絡みに来る。
「声と音楽がいいのになー。音楽はつぶしが利くのになー」
詩乃の教育方針については過去揉めたこともあるほどだが、拓斗は絶対に譲らなかった。
今は全面的に拓斗が握っている状態である。普段は完璧超人の名を欲しいままにし、温厚でもある拓斗が、この点だけは頑なに譲らなかった。さくらも佑里香もとうに諦めているが、だからこそ、この話題は愚痴や不満としてよく挙がる。
かつんとグラスが置かれる。ビールのように体を傾けながら注ぎ、再び口に含む佑里香。
口内で転がしてしっかりと味わった後、
「そもそも英才なんて要らないんだけどなぁ。平凡に生きてほしい」
「同意しかねるよ佑里香さん。今の時代、力を持たないと苦しいよ?」
さくらは詩乃の子守をやめたらしく、滑空の必需品、ロケット花火を放つ音が手元から響いている。
水流を登ることさえ端折ってショートカットしたといったところだろう。
「意識が高すぎるだけだと思うよ。この人もそうだから麻痺するけど、普通はそんなものじゃない?」
「普通って言葉。害悪だから使わない方がいいよ」
「ほら。コンプレックスにとらわれてて苦しそう」
「佑里香さんが能天気なだけでしょ。専業主婦は楽でいいよね」
「そうやってレスバを仕掛けるところもまさに。血に飢えてる戦士なの? 苦しくない? お姉さんが話聞こうか?」
ちなみに佑里香の方が二歳ほど上であり、どちらもアラサーだ。
「……」
「オレを睨むな」
普段の佑里香は物静かな淑女だが、アルコールが入ると色んな意味で強くなる。見た目もステータスも口も強いさくらでも軽くいなされることが多かった。
「ぱぱー……」
「しーちゃん。そこは兄貴の秘密基地だから。じっくり過ごしな」
「うんっ!」
一人になったのか不安気な詩乃を、拓斗がすかさずフォローする。
そんな夫を佑里香は黙ったまま見つめていた。
さくらも少しだけ口を止めている。
場の支配者は子供だ。落ち着くまでは乱してはならない。
幸いにも詩乃はすぐにおとなしくなった。子供に似合わない集中力は見ていて不気味ですらある。座り方も子供特有のだらしなさは見られず、拓斗の教育が行き届いていることを示している。
「――どうせなら建築すればいいのに。こんな場所でうろちょろしても意味ないでしょ」
現在詩乃が探索しているのはワールド初期地点の南側、忍が開拓してきた地域にある洞窟だった。
「拓斗ってなんか忍を買ってるところがあるよね」
「わかる。私よりも好きなんじゃない?」
「でしょ! おかしいよね!?」
「兄貴にも見習えるところはあるよ。特に几帳面さは並のビジネスマンを凌駕している。情報過多の昨今、整理整頓の感性は重要だ。兄貴はその役に立つ」
「整理整頓って無能がやることでしょ」
「しーちゃん、パパ風呂入るけどどうする?」
「おばあちゃん」
今も料理に執心中の薫子を入りたい、ということだ。
「わかった」
拓斗は立ち上がって席を佑里香に譲った後、
そもそも几帳面云々からしてでまかせだった。偉大なる兄の成果物をいちいち教えてやる義理はない。
冷蔵庫からミネラルウォーターの2リットルボトルを取り出し、コップも使わず喉に流し込む。ふぅと一息ついた後、仕舞ってから、キッチン最奥の壁にもたれた。
エプロン姿の母の手際を眺めつつ、立ち込める匂いを愉しむ。子供の頃からよくやっていたことでもあった。
「料理を教えるつもりはないの?」
敏感な聴力は未だに健在らしい。包丁を器用に動かす薫子が小声で言う。さくらや佑里香には届かない声量だし、角度的に読心もされない。
「無いね。料理なんて優先順位低いでしょ」
「サバイバルは?」
「要らないでしょ。現代ではただの趣味だよ――あ、それは欲しい」
博識な拓斗でも知らない、どこかの国の郷土料理と思しきスープの味見を買って出る。趣味に口を出す意味はないため、美味いなどとの感想もいちいち言わない。
薫子は返された味見皿を受け取り、
「佑里香さんに任せたら? 自分の人生を生きなさいよ」
「あはは、母さんみたいに抜け殻になるって?」
拓斗はおどけてみせた。声音も表情もリアクションもアメリカンのごとし。なのに、声量は抑えられている。
不自然な上、高等でもあるが、二人にとっては容易いことだった。
「……悪くないものよ。お母さんはこっちが性に合ってる」
「オレは違う」
「それで自分じゃできないからって娘で晴らす、と」
「そんな酷い親じゃないさ。兄貴もなんだかんだ甘いからね。しーちゃんとは仲良くなってもらって、切っても切り離せなくする。別に体の関係になったっていいし結婚したっていい。
もちろん三親等が結婚できないことを知らない拓斗ではない。拓斗は兄が絡むと過激な物言いをすることがある。
「……」
俯いたまま手を止める薫子。
息子に唖然としているわけではない。悟らせないため視線を投げないが、詩乃の様子を観察しているはずだ。拓斗の教育はとうに施され始めている。その影響を確認したいのだろう。
親としての道徳にも無関心だし、このタイミングで確認し始めるところが母らしくて、「あはは」拓斗はオーバーに吹き出してみせる。あとでさくら達に言い訳するための、陽気さの演出でもあった。
「忍で何をする気なの?」
小声でありながらも声音は異様に重い。
息子に向けるそれでは到底なく、詩乃が聞けば泣き出してしまうだろう。
忍の本質を知らない薫子ではない。そう捉えるのも無理はなかったが、
「何も? オレはさ――」
いつまでも兄貴を見ていたいんだよ。
悪びれもなく言い切った。
「……詩乃ちゃんは今何をしてるの? 忍が探索した洞窟を歩かせてるようだけれど」
ちなみに薫子はマイクラをしていないし、忍がノブであることも知らない。
ただ忍の凄まじさは知っているため、ゲームにおいても非凡な才覚を発揮できうることは容易に想像できた。この質問も忍のそれを端的に教えろという意味だ。
「ああ。一見するとただの探索済洞窟なんだけど、松明やブロックの置き方が秀逸なんだ。一切の無駄がないし、初心者でも迷わず帰れるようになってるし、何より探索漏れがない。ふらっと立ち寄っただけだぜ? ランダム生成された三次元の迷路なんだぜ? 兄貴の活動時間を後でチェックした見た時、思わず鳥肌が立ったよ」
活動時間を見るための
「さくらは気付いてないの?」
「雑魚に気付けるかよ」
乱暴な言い草だったが、拓斗も人間であり鬱憤を晴らす手段は必要だ。
忍の他には、薫子もその対象であった。
「気付ける人は少なえよ。でも、たしかに兄貴の凄さが充満してるんだ。詩乃にはしっかりと感じ取ってほしい」
「まるで美術品ね」
「審美眼とは違うけどね。もっと役に立つ感覚さ」
「楽しそうなところ悪いけど、さくらが気になりだしてるわよ」
拓斗は母親や父親にしか話さないこともある、というキャラを普段から演じている。その方が発散しやすいからだが、さくらにして見れば面白くなくて、よく気にかけられる。
「わかってる。はぁ、早く寝てくんねえかな」
「風呂まだなんでしょ? 一緒に入ったら?」
「冗談でしょ」
拓斗は何食わぬ顔をテーブルに戻った。
さくらからは詩乃も巻き込んで三人で入らないかと持ちかけられ、酔った佑里香のアシストもあったが、この程度のあしらいなど仕事よりもかんたんである。
拓斗は一人、風呂に入って。
湯船の内から、珍しく自宅を空けている兄に想いを馳せた。
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