12

 人は誰しも意識と意思を持て余している。

 溢れんばかりのそれらが自然になくなることはない。

 適切に発散できねば、みにくさをさらけ出すことになる――


 そんな有象無象とは違う、と七瀬うるはは自分を評する。


 中卒? だからどうした。

 施設育ち? だから何だ。

 天涯孤独? それが何だというのだ。


 本さえ読めれば、あとは何も要らなかった。


 そうは言っても生活がある。

 ワークライフバランスならぬワークブックバランスは大事だ。読書が犠牲になっては意味はない。

 うるはは要領が良かった。ワークをどうやるかなどどうとでもなった。たまたまマイクラと出会って、たまたま才能があって、たまたま社長の目に留まったから今に至る。それだけのことだ。別にこの巡り合わせが無かったところで、どうとでもできた。


 ティーラーズは想像以上だった。

 間違いなく運が良いと断言できる。


 それでもまだ上があった。


 理想は不労だ。

 不労取得でもいいし、専業主婦でもいい。対人関係はノイジーだから前者一択だろう。

 手段など問わない。金だってある。ティーラーズをやめたって、もう生きていける。


 そうだ、もう満たせている。

 早くやめてしまえばいい。箱がどうなろうと知ったことじゃない。


 なのに。


「あ、死んだ」


 愛莉の要求で、灼熱とマグマの世界ネザーにてスーパープレイを連発していた忍が足を踏み外す。

 視界一面がマグマとなり、間もなくドボン――それが確定した未来のはずなのに、忍はなぜかクラフト画面を開いていて、持ちうる板材をすべて投入してボートを大量につくっている。

 マグマに触れることさえなく、ボートを置いてはジャンプして、また置いて、とマグマボート渡りで駆けていく。ボートはすぐに溶けてしまうが、こうして使い捨てていけば延命できるのだ。


 マグマボート渡り自体は大した技術ではない。うるはも三分でマスターした。

 問題はその先、ホットバー内のボートを使い果たした後だ。ジャンプしている間にインベントリから寄せてくる必要があるのだが――忍は難なくこなしてしまう。

 ボート用のスロットは2個しか空いてないのに、何一つ手元を狂わせることなく、マグマの湖を渡っていく。

 ちなみに画面自体はかなり見辛い。足元のマグマと持ち物一覧インベントリ画面とがチラチラ切り替わっているためだ。


「まだ死んでねえぞ」

「……わざと?」

「いや俺も終わったと思った。装備無しでハート3.5だから燃えた時点で死ぬし、渡るしかねえよな、他に何かあるか、でも時間ねえわボートづくりだな、たぶんたくさん要るよな全部つくっちゃうか、うんもう間に合わねえやるしかねえってことで作業台置いてクラフトして、落ちてる間にボートつくった」


 言うは易し。

 そこまでを落ち始めた段階で、あるいはその前から判断して行動に移してみせた判断力からして凄まじい。判断を具現できるプレイヤースキルも言わずもがな。


「その割には余裕そうだけど」

「だから反応するの遅れたろ」


 こんな神業をアドリブで出せるのは世界でも忍一人だろう。

 今もマグマを渡りつつ、キーボードとマウスの激しくもリズミカルな打鍵音移動音を出しつつも、うるはの会話を拾っている。


 ふと悪戯心が湧いて。


 ふっ、と。

 忍の左耳に息を吹きかけてみる。


「ふおぉい!? 盤外戦はやめろ」

「あははは」


 お手本のようなリアクション。でも手元は乱れていないし、何なら岸に到着した。無理ゲーなピンチを切り抜けたのだ。

 安堵の気配すらも見せない忍は、律儀にもこちらを振り向いて、なおも不服を表明してくる。自分と同樣、本心は冷めてるタイプだろうに、よくやるものだ。日常でさえ練習機会に充てる様は紛うことなきプロ。


「ごめんごめん。おとなしくしとくよ」


 宣言どおり、うるはは黙って眺めることにした――


「……」


 激しいプレイのはずなのに、景色に溶け込んでいる。

 ずっと見ていたくなる。

 隣で読書することだってできるだろう。


 だって、綺麗だから。


 洗練された動きは視覚的に美しく、生み出される音も心地良い。

 昔登ったアルプスを思い出す。

 豊かな自然の、険しい水流は、人を殺せる破壊力があろうとも目と耳を惹いた。


 そうだ。

 そういう存在を求めていたのだ。


 静かで美しくも、退屈と寂寥を紛らわせてくれる力強さを。

 そんな矛盾を体現した幻想を。


 彼と付き合えたら。

 彼のそばで、一緒に暮らせたら――


 貴重な生プレイにもかかわらず、うるはは半分以上を妄想世界に浸していた。




      ◆  ◆  ◆




 アタシは思い出していた。


 ティーラーズに誘われたことを。

 ノブとの出会いを。



 ――今日から俺のファンは引退してもらう。


 ――俺達は対等なチームメイトだ。


 ――ファンサは一切しないし、俺への崇拝も許さない。



 姿も見せないくせに、開口一番、はしごを外されたことを。


 上等だと思った。

 元々渋い声が好きで、ノブの声は悪くなくて、でもボイチェンでつくられた声らしいということまでちゃんとわかっていた。アタシは人生を見失う痛々しいオタクではない。音声の切り抜きを私的につくってストックする程度だ。ライトな範疇だろう。なのに。


 それがアタシを、アタシだけを向いて、真摯に語ってきただけで――私は撃ち抜かれてしまった。


 なんて残酷な幸運なのだろう。

 その渋ボは人生史上、最も好きな声としてダントツに躍り出たのだ。


 そしてそれは、今なお君臨し続けている。


 それがアタシを呼ぶ。

 わかっている。ただの仕事だ。


 それはとても優しくて。時にはいじわるで。

 わかってる。ただの収録だ。茶番だ。ロールプレイだ。

 それでメシを食べているのだ。ノブというキャラクターとして、ラキ=キラというガワと掛け合っているだけ。


 それで良かった。

 それだけでも世界で一番幸せなポジションにいる。

 これ以上を望むのは度が過ぎているというもの。なのに。


 ボイチェン無しの地声もなぜだか魅力的で。

 むしろコミュ障やチー牛を彷彿とさせる鈍さを伴った低さが愛くるしくもあって。


 そのくせ、



 ――そんなことよりもマイクラの鍛錬やお前らとの交流に充てたい。



 そんなこと言わないでよ。もっと社交辞令感を出してよ。

 だよね、いっつもそう。ノブは、忍は、いつだって遠慮をしない。正論も内心も平気でぶつけてくる。アタシに興味がないことは知っているけど、でも機械ではなくて、大切に思ってはくれていて。ずるいじゃん。

 そもそもさ、スクラボだからって何書いてもいいわけじゃないんだよ。一体私がどれだけあなたの言葉を読んだと思っているの? あなたの書き込みに救われたと思っているの?

 現物は思ったよりもおっさんだったけど、想像どおりの人物で泣きそうになったんだよ。うるはがいじりやすいシチュエーションをつくってくれていて本当に助かったし、未瑠奈が介抱されるポジションに収まってくれて本当に救われた。二人がいなかったら、たぶんアタシは決壊していたから。


 あぁ、うっとうしいな。さっきから鼻を御するのに忙しい。

 脳内もあのドギツイ匂いがフラッシュバックされている。

 ねぇ、なんであんなに汗びっしゃだったの? あんな匂いをしているの? 墓場まで持っていくけど、思わず洗濯カゴ漁って嗅いじゃったじゃないの。


 今だってそう。実家が田舎で、農家で、果物の品質を嗅いで見極めてきたからか、アタシは鼻も利く。だから洗浄加減もわかる。体臭もよくわかる。

 忍と社長は間違いなく潔癖だ。

 うるははずぼらな方。

 麗子は可も不可も無く。だけど垢抜けてないのか匂いの演出スメル・コーディネイトも無いからわかりやすい。あるいはインスタの地雷系コーデは画面越しにも伝わってくるほどクオリティが高かったから、普段は付けないだけかもしれない。

 いずれにせよ、いつもならうるはと麗子の体臭を我慢することになるだろうに、今は違っていた。


 聴覚と同じで嗅覚にも指向性を持たせられる。カクテルパーティー効果は耳だけじゃない。


 私の嗅覚は、彼だけを向いている――。


 薄いながらも、たしかに存在する男の匂い。薄いはずなのにくらくらしそうになるし、鼻をひくつかせそうになってしまう。どうかしてるよね。思春期じゃあるまいし。


 ……そうだよね。


 きっともう、アタシは負けてるんだ。

 落ちてるし、何なら堕ちてる。


「はぁ」


 未瑠奈もうるはも意味深な独り言を差し込んでたけど、わかるなぁ。

 我慢しても良かったんだけど、これくらい吐き出すくらい良いでしょ。どうせ忍も聞いてる。拾ってはくれないみたいだけど。


 はぁ。いつからだろうな。

 ただの田舎娘がインターネットと出会って。のめり込んで、アホみたいに取り込んで強くなって調子乗って。

 マイクラと出会って。楽しくて、調子乗って、人生こんなもんかと知った気になったところでティーラーズと出会って、頭ガツンと殴られて。

 追っかけてたら、自分が参加ジョインすることになって、有頂天になってたところではしごを外されて。


 アホみたいに鍛えられて。指も声も頭も使わされて。

 登録者数が増えて。バカみたいにお金も入ってきて。それでも満たされなくて。

 ううん、満たされてるけど、まだ足りなくて。もっと欲しくて。いやお金や名誉の話じゃなくてさ。


 アタシはどうしたらいいんだろう――


 神プレイの鑑賞に、内省に、とアタシは久しぶりにどちゃくそ忙しい時間を過ごした。

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