10
仕事ゾーン中央のラージデスク、各辺に一人ずつ座っている。
出入口側にノブこと忍、その正面にはラキの中の人
社長はというと未瑠奈の後方、ベッドの一つを陣取り、仰向けで果てていた。放置プレイ気質は合宿中も例外ではない。
「あのさ未瑠奈」
「なに?」
「何じゃなくて。距離感バグってない?」
「人見知りだから」
未瑠奈は忍の真隣に座っている。丸椅子がくっつくレベルで近い。
「デレデレするなノブ」
「してねえよ。あと忍な」
翌日は外出も組まれているが、外でハンドルネームを呼び合うわけにもいかない。今現在全員には本名呼びの制約が課されている。
「いいなー、ぼくもノブ君に抱きつきたい」
「お前は散々抱きついたろ。あと忍な」
「え?」
うるはのひっつきっぷりを唯一知らない未瑠奈が忍を凝視する。なぜか袖もちょこんと掴んでくる。
「未瑠奈も離れような」
「くわしく」
「進まないから。本題に入ろうぜ」
それでも未瑠奈は離れようとしない。そろそろ慣れただろうし、ぞんざいに扱ってもいいかと忍は考え、振り払おうとしたところで――
「みんな私を舐めすぎてる」
「お、おう?」
「普段全く人とつるんでないから耐性がないの。メンタルやられちゃう。今から議論するんでしょ? 落ち着かないと何も出来ないよね、今はここが落ち着くからここがいいここでいい」
一息の早口でまくしたてる未瑠奈は、紛うことなき本物だった。
愛莉でさえ「あ、そう……」顔をひきつらせている。
「……おっさんのそばだと臭いだろ。ほら、愛莉の方が良い匂いしてそうだぞ」
さり気なく牽制しつつ、顔にはっきりと出してしまった愛莉の失態もカバーしてみせる忍だが、「くんくん」未瑠奈が選んだのは鼻スンスンだった。ご丁寧に
「大丈夫。無臭」
「そういえば忍君、風呂入ってたよね。服が汗だくだったけど何してたの?」
交通機関を使わず二十キロほど走ってきただけだが、余計な注目を集める必要もない。うるはもただの雑談であって本気で気にしているわけでもあるまい、というわけで後半は無視して前半にフォーカス。
「なんで知ってる?」
「洗濯カゴ見たからだけど」
洗濯カゴはキッチン・倉庫ゾーンに置いてあり、一日四回存在する回収タイミングの前に入れておけば乾燥込みで返ってくるようになっている。
「人数分分かれてたし、誰のかわかるようにして蓋もしてあったはずだが」
「うん。開けて取り出して嗅いだよ?」
「嗅いだよじゃなくて……」
忍はどさくさに紛れて未瑠奈の手を振り払いつつ、頭を抱えてみせる。
配信者は社会不適合者だというが、ティーラーズも例外ではなかったらしい。特に忍は普段は大企業JSCに務めるリーマンであり、リテラシーの高い社会人と過ごすのが当たり前なだけに落差が凄まじい。
「ノブの洗濯物だよ? 気になるよね?」
「ミーハーすぎんだろ」
「私も後で嗅ぐ」
「嗅がなくていいから」
とはいえノブは3000万人のスーパー配信者でもある。
大物有名人は些細な私物にもプレミア価格がつくというし、そういうものかと軽い気持ちで残る一名を見る。
「あ? 喧嘩売ってんの? コイツも嗅ぎに行くのかなーって今思ったでしょ?」
愛莉はスクラボにて【ノブゲッサー】ページをつくった張本人であり、忍としては一番警戒している相手なのだが、この場で火に油を注ぐほど愚かではなかった。
「もういいだろ。サーカッション始めるぞ」
合宿最初のイベントはサーカッション――サークルディスカッションと呼ばれる、事務所オリジナルの議論である。
誰でもいいので誰かが提案を言い、その場で意見を交わして結論を出す。少なくとも全員とも賛成、反対、お任せのいずれかを言うか、親指のジェスチャーで示さねばならない。反対時はサムズダウンだが、これに侮蔑の意図がないことは事前に周知される。何も言わず示さない場合はお任せとみなされる。
賛成反対の全員から最低一回以上意見を引き出した後、提案者が最終判断を下す。これで一巡。
また誰かが次の提案を言い――と、提案と議論のサイクルをぐるぐる回していく。本当はファシリテーションも細かく行うが、この四人はあうんの呼吸ができるため不要だ。
発言もすべて録音するため、議事録の記載は要らない。
むしろ口頭ベースの瞬発的な対話に専念するために、いかなる脱線も許されない。
「提案、ノブのライブ配信解禁」
愛莉が早速議題を撃つ。サムズアップは三人、サムズダウンは忍一人のみ。
「反対だ。希少価値を損ねる」
「希少価値って何よ?」
「正体不明感の演出だ。人は正体を知るまでが一番燃えるし、知った後はすぐ飽きる。承認欲求やマンネリに勝てない奴らはそのうち解禁してそこで伸び悩むが、ノブは違う。リアルタイムな配信を一切しないレベルで徹底してきた」
「ノブ君は喋りも下手じゃないし、解禁してもいいと思うけどね」
覆面による価値のつり上げ以外でも勝負できると言っているのだろう。
「だから反対だって。ボロが出ないよう気を遣うのが面倒くさい。そんなことよりもマイクラの鍛錬やお前らとの交流に充てたい」
「もしかして口説かれてる?」
「キモいんだけど」
「私も好き……」
「別に口説いてねえようるは、キモいのは悪かった愛莉、あと未瑠奈は抱きつくな」
未瑠奈の拘束は乱暴に解く。ガーンとの表現が似合う露骨な驚愕を貼り付けていたが、忍は迷った末、もう出し惜しまないことを決め込む。「反対でいいな?」忍は提案主にアイコンタクト込みで催促。間もなく、「提案は反対となりました」主の愛莉がクロージングを行った。
これで一件分が終了。
「提案。マイクラ以外のゲームもやりたい」
未瑠奈による提案。賛成2、反対2。
「個チャンでやれ」
既にラキと麗子は個人チャンネルもガンガン回しており、マイクラ以外のコンテンツも扱っている。
ラキは最もVTuberらしい活動っぷりで、流行りのゲームから雑談、歌配信、また資金力に物を言わせてスタジオによる3D配信も気軽に行ってみせる。
一方、麗子はゲーセンの音ゲーとして随一の人気を誇る『コウニズム』に注力しており、専用スタジオで配信を行う。インスタも運用しており、地雷系ファッションをアップロードしていて人気らしいが、忍は興味が無いためそこまで見ていない。
「ぼくも同感。契約があるわけじゃないけど、ぼくらはマイクラ配信者として集まったチームのはず」
「……」
未瑠奈も愛莉も事務所の方針は知っている。挽回できる言い分も思いつかないらしく、またいたずらに引き伸ばすのも推奨されない。提案は後で蒸し返すこともできるのだ。
未瑠奈はすぐに「提案は反対となりました」クローズした。ちなみに、あとで録音を音声認識させるために提案とクローズの文言は厳格に統一されている。クローズだけ敬語なのもそのためだ。
「提案、ノブの建築解禁」
愛莉による提案。これも賛成2、反対2。
内訳もさっきと同じで、反対派は忍とうるはである。忍はノブというキャラや事務所の方針をストイックに守るガーディアンであり、うるははワークライフバランス重視派であった。女性三人の中でも唯一個人チャンネルを持っていない。
「建築はできないし、やりたくもないなー」
ノブはそのプレイヤースキルからは信じられないほど建築面は拙い。豆腐ハウスすらまともにつくれなかったり、花やイカスミの使い道すら知らなかったりする。
実力者はある程度はオールラウンダーになるものだが、ノブは界隈でもよく話題に上がるほど偏っている。
「マイクラしかしない。サバイバルしかしない。なんで? 調子乗ってない?」
愛莉の指摘にうるはと未瑠奈もうんうんと同意する。鋭い忍は密かに捉えているが、ベッドで電池が切れてる社長までひそかに、かすかに頷いている。
「リソースの問題だ。俺はノブとして在り続けるために、何をどれくらいどこに注ぎ込むかをストイックに制御している」
正面の提案主、愛莉と睨み合う忍。
「ごめん、よくわからない」
「わかりやすく言うとアスリートだな。起床してまずはこれをして次にこれをして、いついつまでにこれとこれをして、メシはこれだけ食べて、配信では意識をこれくらい使って、その後の練習ではこれくらいにして、睡眠はこれだけしてってのを全部設計してるんだよ。そうだな……建築しろって言うのは、ピッチャーに四番打者になれって言ってるようなものだ」
「大谷翔平がいるじゃん」
「一緒にするな」
忍はその程度と一緒にするなという意味で言ったのだが、そう捉えた者は一人もいない。うるはは「まあさすがにね」と漏らしている。
間もなく愛莉は反対でクローズした。
「提案。発展形ワールド企画を立ち上げる。ラキクラとか」
またもや愛莉の提案である。
配信者複数人やウン十人を参加させたサバイバルワールドを立ち上げ、長期的に建築を発展させたり、一緒に冒険や進捗を達成したり、あるいはいたずらや抗争といった茶番を演じたりといったことを行う企画はいくつも存在する。
息の長いものは何年も続いているが、長期化するとワンパターンとなるため、ここ最近は定期的にワールドごとリセットする運用が多い。
それはともかく、慣例的には四文字かつ最後にクラをつける命名が多かった。
票は賛成1、反対1で愛莉と忍。残二人はまだ示していない。
「ナナクラの方が響きが可愛くない?」
ナナストロことうるはが名前の議論をしだすが、「反対だな」忍が再び提案ごとぶっ刺した。
「……却下ばっかじゃん」
「理由はさっき言った。俺に新しい方向性を続ける余裕はない。もちろんノブの希少性を維持する前提でな」
「忍」
「どうした未瑠奈?」
未瑠奈がぐいぐいと袖を引っ張っている。
「建築しなくていいなら、参加してくれる?」
言うや否や、「いいじゃんそれ!」愛莉が立ち上がった。ばんとテーブルを叩き、ネイルの整った指で未瑠奈を指す。
「セキュリティハウスつくってノブに挑ませるとかできんじゃん!」
「お姫様マイクラみたいにノブ君のプレイを引き立てる茶番も混ぜられそうだよね」
うるはも乗ってきたことで3対1の構図となったが、
「なるほど……と言いたいところだけど、長期的に見ると
「……」
「まあ、そうだよねー」
「うん……」
忍が痛いところを突いたことで形成が逆転する。
拡張設定の無い、素のマイクラで、新規にワールドを始めた状態から何らかのゴールを目指すというスタイルを指す。初期設定かつ初期状態のマイクラを楽しもうというわけである。
実を言うと、プリミティブの提唱は社長であり、クラオをマクロソフトに持ち込んだのも社長で、さらに言えばティーラーズを立ち上げたのもプリミティブを世に知らしめるためなのだが、この件は忍しか知らない。
それでも皆、わかっている。
プリミティブがティーラーズの根幹を支える価値観であること。
複雑すぎてオタクとゲーマーの遊びに終始しがちなマイクラにプリミティブの制約を課すことで、大衆にもリーチできる簡便さを担保していること。
そして実際にそのバランスを最初に開拓し、ノブのスーパープレイも餌にして視聴者を独占し、今なお他の追従を許さない先行者利益を得続けているということ。それを証明する桁違いの給料――
だから誰も、何も、覆せない。
そもそもティーラーズは先進的な組織パラダイム『ティール組織』に則って運営されてきた。従来の階層組織やボランティア組織では到達できない高みにいる。
当然のことながら各種議論や検討も徹底的に行われている。その結果もすべてスクラボに書いてある。
発生しうる大半の議題は、既に潰されているのだ。
このサーカッションも、意味合いとしては顔を突き合わせてワイワイ楽しもう、お互いを知ろうとの目的が強い。議論はおまけみたいなものだった。
それでも思いや欲求は止まらない。抱え込むと苦しい。
だから発散する。今もそうである。
忍はしばしば現実を刺す役割を買うことが多かった。
事務所のスーパースターであると同時に、内部の秩序にも絡むガーディアンでもあるのだ。
しゅんとする未瑠奈を、ぽんぽんと撫でる。
「……アンタら何なん? 兄妹?」
――大丈夫だ、さくら。兄ちゃんがついてる。
――大丈夫だよ
忍は交友関係は狭いが、深さはそれなりにはあったものと自負する。
よく思い出すのは幼少期や児童期で。
今浮かんだのも、ぼろぼろに擦り切れ、泥と涙でぐちゃぐちゃな弟妹で。
「――ああ、悪い。思わず」
「ううん。いい」
未瑠奈は嬉しそうに、あるいは気持ちよさそうに目を細める。
「可愛いもんね。ぼくも後で撫でていい?」
「もうちょっと仲良くなったら」
「断られてて草。アタシは良いよね?」
「まだ先は遠そう」
「気難しい子猫じゃん。聞いてよ、うるは。アタシも実家で猫飼ってるんだけどさ――」
難しい現実を前に、しばしの逃避を選んだ愛莉。うるはも異論は無いらしく、二人は猫の話で盛り上がり始める。
忍は雑談が好きではないため、このまま撫で続けることでしばしの時間稼ぎを図ることに。未瑠奈も特に恥ずかしがることもなく委ねているし、何ならもっとと催促するほど図々しかった。
数分の後。
破ったのは未瑠奈ではなく、
「ねぇ」
愛莉が真剣な面持ちをつくっている。両肘を立てて両手であごを隠した、ゲンドウポーズと呼ばれる格好。
「仮に……もし仮によ? 忍が一ヶ月くらい入院したら、どうなるの?」
「収録のストックを使い切るほど動けないって意味か?」
「ええ」
ティーラーズは個チャンを除けば100パーセント収録のみを扱っており、ストックにも余裕があるため、数週間程度なら休んでも支障の無い体制となっている。
忍はまだ使っていないが、三人は二週間以上の休暇を取ったことが何度かあった。
「投稿頻度落ちますって告知するしかないだろうな」
「ふうん」
「……俺がいない間に新しい企画ねじこもうと思ってない?」
「もちろん」
にっこりと清々しいまでに言ってみせる愛莉を見て、「もちろん」忍は思わずオウム返し。
「言わせてもらうけど、プリミティブばっかりは飽きちゃうのよ。いや楽しいけど、もっと楽しいこともしたいじゃん」
プリミティブの重みを知っている上での吐露。
「マイクラってせっかく色んな楽しみ方があるのに――もったいないじゃん」
「みんなともっと遊びたいよ」
声芸声真似も上手い愛莉は、意識的か無意識的か、まるで寡黙な少女がここぞで絞り出したかのような儚さを醸し出している。
場を呑み込むとは、息を呑むとは。
きっとこういうことなのだろう。
未瑠奈も、うるはも。
社長さえも頭を起こし、片肘をついてこちらを見ている。
忍は全てを把握していた。素直に感心もした。
そして空気も読みにいく。呑まれた一人として愛莉を見つめ、生唾も飲み込んでみせる。
「……遊びたいのは俺も否定しないが、事務所の方針はプリミティブだ。方針を保つことで業界の地位を維持してることもわかるよな?」
「そうだけど」
「それがプロってもんだろ。仕事なんだ」
それでも忍はガーディアンだ。
やることはいつも、いつでも変わらない。
誰であろうと刺す。
何度でも。
「そうだけどさっ!」
「そもそも無理してコンテンツにすることもないだろ。普通にプライベートで集まればいい」
なるほど、と唖然顔をつくってみせたのはうるは。それがツボに入ったのか、未瑠奈は一瞬「ぐふっ」吹き出して忍の腕に隠れながら堪えている。忍は内心汚いと思ったが、口に出さない優しさは持つ。
「プライベートだと集まんないじゃん。特に忍とうるは」
「融通は利かせられるぞ。あるいは一時的に投稿頻度を変えてもいい。俺達が遊ぶために頻度を落とす。別にうちは営利を求めまくる資本至上主義でもないしな」
まさにティーラーズの強みであった。
会社として必要最小限に小さいから小回りが利くし、ティール組織的運営のため暴走もしづらい。何より筆頭株主は社長自身で、株主総会すら社長の独壇場と化している有様だ。早い話、趣味の駄菓子屋経営のようなものである。よってノルマやプレッシャーに苛まされることはない。
とはいえ、自分達の都合だけで頻度を減らすほどラキは身勝手ではない。
更新を心待ちにする視聴者は多いのである。
プロとして怠惰を許さない。
「うぅ……うわぁあああっ!」
頭を揺らし掻きむしる愛莉。みかんのイヤリングも激しく揺れているし、何なら顔にぶつけている。忍の耳はその接触音まで綺麗に捉えていた。
数十秒ほどたっぷり待った後、
「愛莉。保留でいいか?」
顔に髪を張り付けたホラーシーンみたいな愛莉も「ええ」承知したことで、
「提案、プリミティブ以外の活動を行うために、活動頻度を減らして遊ぶ時間をつくる――結論は保留となりました」
流儀に則った提案を差し込み、保留としてクローズさせる。
この後もサーカッションはしばらく続いた。
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