9

「わぁ、本物だあ」


 背中側から布団に潜り込み、抱きついてくる誰か。

 年齢確認されそうなロリ寄りの声と、背中に緩く押し当てられた感触が女性だと告げている。


「……社長。社長。この子供は誰ですか?」


 早速体を起こして取っ払いつつ、社長に押し付けようとする忍だが、相変わらず振り返りもしないし無言を決め込んでいる。


「ノブ君、そんなこと言うんだ?」

「だるいから社長に押し付けようとした」

「ナナストロです。リアルでははじめまして、ノブ君」


 忍の手のひらを両手でもみもみしながら、にこりと微笑む女性。

 座っていてもわかるほどに小柄で、おそらく140センチメートル台。童顔で、現実には珍しいツインテールをしているが、不思議と痛々しさはない。華奢で、薄暗くてもわかるほど色白だが、お持ちのブツには自信が表れている。感触から考えても、平均サイズを押し上げる側だろう。

 格好は忍以上にラフで半袖半パンだ。シャツには一言、『働きたくないでござる』とプリントされている。


「ノブだ。本名は堀山忍。33歳」

「七瀬うるはです。27歳だよ」

「お互いアラサーか」


 うるはの眉がピクッと動く。


「名前、そのまんまじゃん。無用心だなぁ」


 忍の感想は無かったことにしている。

 それはともかく、ティーラーズで唯一VTuberのガワを被ってないのが忍で、名前も自分で決めたものだ。被らなかったことも含めて、単に面倒が勝っただけである。


「顔合わせも終わったし、寝ていいか?」


 うるはの拘束を解く忍。

 力を加えるまでもない。少しのフェイントと振動で意表をつけば簡単に解ける。それも忍の観察眼があってのことだが、本人にしてはただの日常でしかない。

 たくましい手のひらがするりと抜け、うるはは違和感を抱きかけるが、忍はもう背中を向けて倒れ始めている。


「いいよー。ぼくも一緒に寝る」

「邪魔はするなよ」

「あ、うん」


 あまりに忍が自然体で包容力が大きい感じなので、うるはの方が当惑するのだった。忍もそんな同僚を横目でしっかりと捉えていたが、スルーを決め込み、布団を被る。

 うるはもすぐに追従してきた。


 もう一度抱きついてきて。


 ぎゅっ、と遠慮の無いホールド。


 それでも飽き足らず、腕が伸びてきて胸を撫でる――脈を測っているらしい。


「ノブ君、もしかして女慣れしてる?」


 忍の脳裏に浮かんだのは小さな姪っ子と乱暴な妹だったが、いじられるのは目に見えている。


「別に慣れてないけど、お前らは女というより家族だろ」

「妹?」

「そこまでは言ってない」


 家族という物言いにはうるはも否定しない。

 ティーラーズのコアメンバーはそれだけ濃密に過ごしてきた。たとえ本名や容姿や地声がわからなくても、収録とスクラボと打ち合わせにより五年以上の積み重ねがある。現代のテクノロジーと方法論に頼れば、そのくらいにはできてしまうのだ。もっともこれにはそもそも社長の辣腕――人選とフォローの妙も多分に絡んでいるのだが。


「妹いるんだ?」


 頑なに個人情報を守ることもできたが、このオフ会の時点でコアメンバーへの覆面バリアは解かれたも同然。忍は「ああ」肯定することに。


「ナナスは?」

「ぼくはひとりっ子だよ。彼氏も友達も家族もいませーん」

「天涯孤独か。うらやましいな」


 軽い調子とはいえ、重たい事情であるはずなのに、忍の返しは何とも軽快で。


「あははっ、やっぱりノブ君だぁ」

「べたべたするな」


 と言いつつも拒絶はしない忍。

 下手に攻防を繰り広げるよりも耐えた方が早い。うるはも口数が多い方ではないし、すぐに大人しくなるだろう――


 そんな忍の目論見どおり、数分後にはうるはの吐息が忍の首筋を撫でた。






 午前8時41分。


「おはようございまーす」


 第一声で陽の者だとわかる明るい女声が仕事ゾーンに響いた。


「早いな。まだ一時間あるぞ」

「社畜時代の癖ですかねー。遅延に警戒しちゃう」


 中央のラージテーブルでコーヒー片手にくつろぐ社長のそばに行き、隣の丸椅子を引いて腰を下ろす。右手に持った袋をテーブルに置いた。お土産である。


「全然抜けてねえじゃねえか。律儀だなぁ」

落花生らっかせいです。マジで美味いんでぜひ――ん? んんっ!?」


 彼女の視線が部屋の隅、最奥のベッドを捉える。

 布団が盛り上がっているが、一人分にしては少々太い。というより後頭部が二つ見えている。彼女はバンッとテーブルを叩いた後、駆け足で向かって――ばっと布団を引きはがす。


 安らかな寝顔の横顔が並んでいる。

 片方はだいぶ童顔のようだが、どちらも良い歳をした大人であり、微笑ましさなどありはしない。しかしいやらしさや堅苦しさもなくて、彼女は思わず相好を崩す。


「くつろぎすぎでしょ。ほらっ! 二人とも起きて!」


 ゆさゆさと二人の肩を揺らす。彼女がぶら下げたイヤリングも派手に暴れている。

 その遠慮の無さに社長は苦笑して、


「寝かせてやれよ」

「この二人だからどうせ早出はやでしてるでしょ。ナナスは知らないけど、こっちは絶対やり過ごそうとしてるだけよね。おい! 起きろやおらっ!」


 肩揺らしから頬叩きにエスカレート。ぺちぺちとの小気味よき音は出入り口にも届くほどだった。

 それでもまるで反応がないため、彼女はニヤリといやらしく微笑むと。

 頬を指でなぞりつつ、耳にも顔を近づけて、「起きないとキスしますよー」お得意の声芸でささやく。


「……ASMRで荒稼ぎできそうだな」


 忍の負けだった。


 ラキという女の容赦の無さは嫌というほど知っている。ティーラーズの中では最もアグレッシブな配信者であり、有言実行の体現者と言っても過言ではない。


 忍は仰向けになって、こちらを見下ろす女を視界に収めた。

 オレンジだかブラウンだかの明るめのミディアムショートに、耳から下がるみかんのイヤリング。垢抜けたメイクと自信に満ちた表情は、どこにいても馴染めそうだ。


「勉強してるんだから。ゾクッと来るでしょ?」

「いや別に」

「リアル耳舐めしますよー?」

「おっさんの耳で良いならくれてやるよ。今なら耳垢もついてるぜ」

「うん、ノブだわ。ブレなすぎでしょ」


 あははと笑いながら、忍を見下ろす双眸が隣を向く。


「ナナスも寝たふりしてるのわかってるからね」

「……ねえノブ君。ラキの中の人ってどんな感じ? ぼく、陽キャは怖いんだけど」

「こっち見てほしいんだけど」

「陽キャの格好をしたオタクだから気にするな。今どき珍しくもない」

「アンタもアンタでむかつくわー」


 軽く応酬しつつも、うるはの頭を掴んで強引に振り向かせるラキ。


 天使ラキ=キラと、異世界盗賊シーフナナストロ。

 二人の中の人が、上下逆さまの構図で顔を合わせる。


「はじめまして。ナナストロの七瀬うるはです」

「はじめまして。ラキ役の山田愛莉あいりです」


 そのまま会釈する光景がシュールで、「いや起きてやれよ」忍は苦笑い。


「うるはさんは何歳?」

「27だよ」

「アタシは25。タメ口でいいよね?」

「もちろん。愛梨って呼ぶね」

「じゃあアタシもうるはでいいか」

「よろしく愛梨」

「うん、うるは」


 そのまま握手まで交わす二人だった。

 忍は綺麗にスルーされている。あるいはいじり待ちか、いじられ待ちかもしれないが、付き合うのも面倒なため、代わりに布団をぶんどり、背中を向けることに。


「うるははいつ来たの?」

「昨日の午後」

「はやっ」

「外出するの苦手だからさー。絶対消耗するなって思って」

「わかる」


 日常生活では縁のない、リアル女声の雑談をBGMにしながら。

 忍はもう少し惰眠を貪るふりをする。






 無限に会話を繰り広げるうるはと愛莉に忍は感心しつつも、自分には振ってこないことにも感謝。二十分の積極的仮眠パワーナップを二回も差し込むことができた。


 睡眠は最も静かで高頻度な鍛錬であり、貯金がかなり効く点が一線を画する。

 睡眠を制する者は人生を制する、とは口うるさく言われたものだった。そんな忍にとって、合宿開始前という場面は非常にやりごたえのあるチャレンジでもある。ひとりこっそり楽しんでいるのであった。


 そして午前9時57分。


 ベッドメイクを行う忍の五感が、出入口から覗く最後の一人を捉える。

 次に捉えたのは愛莉で、「あっ!」たしかな声量で場の注目を制御――全員の視線が一点に集まった。


「あ……こんにち、わ」


 つばのついた帽子を被っている。人と目を合わせるのが苦手なのだろう。すぐに俯き、つばも触って引いているが、忍の動体視力は片目を隠す前髪やそばかすも捉えていた。

 愛莉はうるはと首を傾げている。社長は相変わらずラージテーブルで準備に勤しむのみ。


 箱内でしかつるまない配信者と言えど、れっきとした社会人だ。ガチの陰の者であるという雰囲気を瞬時に見抜いており、様子見に徹しているのだろう。


「その帽子、陰キャップですよね?」


 動いたのは忍だった。

 社交辞令の笑みを貼り付けつつ、近寄っていく。


「イン、キャップ?」

「帽子のキャップと陰キャを合わせて陰キャキャップ、陰キャップ。ハロの飛鳥みなとがグッズ販売してる」

「あー、ガチ陰キャの」


 ハロと言えばアイドル売りで知られる大手VTuber事務所『ハローグラム』を指す。配信者であるなら知らぬ者などいない。

 その中でも陰キャ気質を全面に押し出したのが飛鳥あすかみなとであり、所属タレントハロメンが語る種々のエピソードもガチ感が漂っていてミームになったこともある。登録者数も箱内トップ5に入る大御所だ。忍が知っているのも偶然だった。

 愛莉の疑問に応えつつ、ドアにしがみつく彼女との距離を詰めていく。

 鍛錬の一環で動物を追いかけることもあり、猫や鳥を始め、ビビらせずに近寄る要領は知っている。それに比べたら人間など取るに足らない。


 もちろんそんな高度な発揮がされているなど、この場の者達には知る由もなく。

 彼女本人も、いつの間にか接近を許していた。


「ノブです。本名は堀山忍。最年長なんで遠慮なく頼ってください」

「こ、声……。だいぶ違うんですね」


 忍から出る声はノブのそれ――ラキが渋ボと称するものではなかった。低くはあるが。


「ボイチェン使ってるからね。普段はリーマンだから身元バレするわけにもいかないし」

「ほん、本物?」

「もちろん」


 忍はさりげなく部屋を出て、彼女と残るメンバー全員が視界に入る位置取りへ。

 これで彼女は誰とも目を合わさず、忍だけを見ることができる。


 俯いた顔が恐る恐る上がっていき、最後には帽子も取られた。


 肌を見れば年齢はわかる。見るからに最年少だ。

 片目を隠した姫カット。控えめなそばかす。小動物のように今もおどおどしているが、反面、ノブへの興味が勝ったようで、目は輝いている。まばたきも忘れているようだ。


 スタイルも相当偏っており、愛莉が健康的なアスリート体型だとするなら、こちらはモデル体型。

 しかし発育は誰よりも凄まじく、胸部の自己主張はゆるふわなワンピースを経ても微妙に殺せていない。もっともワンピース相手にそこまでわかるのは忍だからこそだ。


「中川、麗子です」

「うん。よろしく。後ろにラキとナナスもいるけど、挨拶する?」

「……ひとりずつなら」


 忍はサイン会を仕切るマネージャーのように、一人ずつ応対させて自己紹介を済ませた。

 10時開始はとうに過ぎているが、明日はともかく今日のスケジュールについては参考でしかなく、気にするものではない。忍はあえて雑談を継続し、特に普段から嫌というほどやってる収録の話を話題の中心に据えた。仕事の話ならコミュ障でも盛り上がる。


 三十分ほどかけて、麗子の本調子を取り戻すことに成功する。

 終盤はむしろオタクの早口が鬱陶しいほどだった。


 麗子とはもちろんガワの名前である。

 彼女は鳴海未瑠奈なるみみるなと名乗った。21歳だという。メンバー内では最年少であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る