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「忍さんって実は優秀なんですか?」


 レース案件検討用に新しく立ち上げた平面世界スーパーフラット

 先のモダンオフィスに触発されたのか、美咲は宙に浮かびながら一人でオフィスを建造している。


 対して忍は地面で停止しており、デフォルトで存在する村人に近寄られてガン見されていた。


「メシ食ってるから後にしてくれ」


 忍はあえてずずっと音を立て、クチャラーも演じてみせるが「今お喋りしたいです」効き目はゼロ。


「さっき散々話したろ」

「緊張しすぎて何もできませんでした! ネコゾーにしにがおですよ!? 動画で見たアバターが私の目の前にあるんですよ? 宮崎さんって私を呼ぶんですよ? おかしくないですか?」

「知らねえよ、落ち着けよオタク」


 言葉は荒ぶりつつも、建築の手は止まっていない。ブロック配置の照準は露骨に乱れているが、かなりのマルチタスク脳を持っているようだ。


 時刻は12時半すぎ。

 つい三十分ほど前まで、みっちりと交流タイムに浸かっていたところである。実は忍は交流には興味がないため、スクラボの使い方やマイクラの話に誘導していた。そういう実務的な話であれば、雑談のような無目的な会話を苦手とするコミュ障でも乗り切りやすい。

 対して美咲はひどいもので、普段のコミュ強や器用さからは信じられないほどしどろもどろであった。


平社員ワーカーなのが信じられないです。なんかくすぶってませんか? 副業とかしてます?」


 ティーラーズであることは会社には伝えていないし、伝える必要もないものの、副業の手続き自体は正式に経ている。もちろん教える義理などなく、「別に大したことないだろ」テキトーに答える忍。

 まったくもって普段どおりである。ノブとして鍛えられたメンタルはこの程度では揺れない。


「ありますよ。だってあの場は完全に忍さんが支配してましたもん」

「俺じゃなくてデイリー組のおかげだな」


 忍の所感では、デイリー組がいなければ成功しなかった。最悪ハブられながらスクラボばっかりいじってる男になることも覚悟していたし、何なら想定もしていた。


「サラリーマンとは別枠だし、大手が真面目な大組織以外に頼るのも珍しいし、何ヶ月も参画させるから金額も相当だろう。クラオにはそれだけ本気で取り組んでるってことだ。デイリー組のパワーは強く設定されていた。なら味方につけた奴が勝つ」

「私の先輩が優秀すぎる……」


 ブレない忍に対して、美咲は目に見えるほど――文字通りアバターの挙動にも表れているほど落ち込んでいる。

 忍は他人には興味はないが、今後美咲には忍が嫌う対面コミュニケーション役として頑張ってもらうつもりだ。嘆息も出さずにフォローを続ける。


「だから大したことなくて、俺は俺のやり方で勝負しただけ。逆に当初どおり定例会議ベースのやり方になってたとしたら、俺はポンコツだっただろうな。たぶん定例会議は嫌だぁって駄々こねて場を乱してた」

「あぁ、やりそう」

「正直俺は会議で拘束されるのが大嫌いで、絶対に避けたかっただけなんだよ。そもそもこのレース案件に力入れたのだって、他の仕事だとうざい管理職がついて管理されるのが嫌だからだしな」


 JSCの平社員ワーカーには必ず管理職がつく。それゆえ管理される。

 平社員に人権は無い、とはよく言ったものだ。


 マクロソフト案件はそれを許されない。いたずらに管理職分の費用を出すことを許さないのである。大企業の殿様商売も所詮は国内の話にすぎない。グローバルな巨人には通じない。

 だから案件を勝ち取れれば、管理職無しで過ごせることになる。

 もっともセルフマネジメントも必須であり、これができずに潰れる社員も少なくないのだが、忍は違った。


「ほら、怠け者は怠けるために全力で努力するって言うだろ? 俺は拘束されないために全力で努力する」

「素敵です結婚してください」


 もうセクハラどうこうの浅い関係でもないので、二人きりなら忍もいちいち気にしない。


「だからどさくさはやめろ」

「真面目に惚れ始めてます」

「俺も真面目に言ってるんだが、美咲と恋仲になる気はない」

「体の関係は?」


 忍を動揺させようと何でもないことのように言う美咲だったが、「ないな」同樣に忍が怯むことはない。


「じゃあ親友でいいです」

譲歩的要請法ドア・イン・ザ・フェイスもやめろ」

「……なら、友達なら。友達なら、アリ……ですよね……」

「しおらしく言ってもダメ」


 忍は水筒を置き――置く音を決して聞かせないあたりは相変わらずである――アバターも操作して美咲の目の前に移動する。屋根の微調整に夢中なウサギ着ぐるみの背中を叩く。


「俺達は会社の同僚で、今は同じプロジェクトに属する仕事上の同僚ワークメイトだ。それ以上でもそれ以下でもない」

「……」


 アバターも声も止まる美咲。


「でも揉みましたよね?」

「それは悪かったって」

「許します。だから私の好意から逃げないでほしいです」


 若手の成長には驚かされるというが。

 忍は今まさに、十以上も歳の離れた二年目の女性社員にそれを感じている。


 辛辣な返しをしたはずだ。

 それを受けた美咲の息が詰まったのもたしかに聴いている。


 そんな状態からすぐにリカバリーして、差し込んできた――。


「単純に疎ましく思ってるだけなんだが……」

「午後はどう過ごされます?」


 今日はこれ以上追及する気はないらしい。


「マクロソフトからスクラボのURLが展開されたらすぐに入るぞ。それまでは遊んどく」


 忍もおとなしく従うことに。

 フルフレックスとはいえ勤務中ではある、並の相手ならもう少し取り繕うが、忍ももう遠慮はしなかった。


「一緒にお家建てましょう!」

「建築はいいわ」

「忍さん、絶対建築しないですよね。ちょっと家つくってみてくれません?」

「絶対嫌だ」


 上手な建築には個性が出るが、下手すぎる建築にも案外出るものだ。

 忍はノブとして既に何度も披露しているし、ブロックの置き方やキャラコンはただでさえ独特。たとえ演じたとしても、癖を読み取られて結び付けられないとも限らない。


 その後も美咲には粘られたが、忍が折れることはなかった。




      ◆  ◆  ◆




 少し遡ること12時過ぎ。

 JSCやデイリー組との歓談から解散し、早速プロジェクト用のスクラボをつくってしまおうかと打ち合わせていた社員三人に、「ちょっといいかな」馴れ馴れしく声をかける男が一人。


 赤い作務衣を着込んだ青髪のアバターは視覚的にも権威的にもよく目立った。

 通りがかる社員も足を止めるし、遠巻きに見ていた社員もすでに数人が腰を上げている。


「え、あ、那秋さん!?」


 那秋太一なしゅうたいち

 チャンネル登録者数170万人を誇る配信者であり、マイクラを用いた教育で青少年育成に多大に寄与した人物としてマクロソフトの教育客員研究員エデュケーターフェロー招聘しょうへいされた人物でもあり、クラオ――マイクラオンラインでも一万人に一人しかいない最高ランク『ネザライト』を一年以上キープした実力者でもあり。

 マイクラ界隈で最も有名な人物の一人と言えるだろう。


「すげえ」

「本物だ……」


 マクロソフトは社員も多く、ワールドも無数にあるため出会うことは非常に珍しい。そもそも那秋がスキンをこれに切り替えたもの一分前のことであり、誰一人彼が観覧していたことに気付いていなかった。


 防波堤が壊れたかのように、わっと社員が集まる。

 社員の、特にマイクラの仕事に携わる者にとっては雲の上の存在だ。彼に憧れて入社したとの声も毎年のように聞く。


 那秋はアバターのアクションにてどうもどうもと軽く応えた後、星野に向き直って、


「そのスクラボ、僕も入れてもらっていいかな?」

「えっと……」


 社内のプロジェクトは基本的にオープンだが、他企業も関与する共創になると事情が異なる。プロジェクト外メンバーの扱いはこれから設計するつもりだった。セオリーで言えばプロジェクト外秘に倒すのが無難ではあるが。


「レースには僕も注目してるんだよね。教育に生かせる余地も大きい。スクラボだとROM《リードオンリー》でもキャッチアップしやすいでしょ?」


 ここで「那秋さん、スクラボ知ってるんですか?」と部外者からの振り。他にも発生しているが、きりがないため、


「もちろん! メモ帳としても使いやすいんだよ」


 那秋はそれだけ回収してから、


「責任は僕が取る。必要なら説得もするよ」


 客員研究員フェローの立場はかなり高く、裁量も権限も大きい。マクロソフトジャパンでは幹部にも等しい。


「……でしたら、わかりました」

「お願いね。ああ、メンバーには内緒にしておいてね。緊張させてもいけないから」


 最後にもう一度集まった面々に軽く声と視線とパンチを送った後、


「みんなとランチしたかったけど、次の会議があるからまたね」


>那秋太一がログアウトしました。



「……」


 太一のクラバーがタイトル画面に戻る。

 その左手――ちなみに太一は左右両方でマウスを使っているダブルハンドだ――はもう動いており、サーバー一覧から『ハシビロコウ』を選んでカチッ。


 ワールドが読み込まれる。

 プロだけあってPCへの投資も惜しんでいない。読み込みは数秒もかからない。


 この世界は非常に狭く、黒曜石で囲まれたXYZいずれも10マス長の正方空間がすべてである。


 間もなくパッと、持ち主のアバターが出現した。ログインではなく透明化の解除といった挙動。


「――おう、ナッシュじゃねえか」


 那秋太一には一応『ナッシュ』なる愛称があり、公式サイトでも書いているのだが、すっかり立場も名声も膨らんでしまい呼ばれる機会はほぼなかった。だからこそ「ふっ」安堵すら漏れる。


「久々に呼ばれたよ」

「お互い持ち物が増えたからな。で、用件は?」

「相変わらず用件人間だなぁ」

「サボじゃねえぞ」

「ワンピースネタやめろ。忙しくて最近追えてないんだよ、ハッシーと違ってな」


 このワールドはハッシーこと橋本泰和ひろかず用の受信箱インボックスであり、太一とやり取りするための個別ワールドだ。

 クラバーを多用する泰和はメールやTwitterを公開しておらず、外部との連絡にもクラバーを使っている。チャットにも負けない管理機能を実現しているとみられるが、一般公開はされていないようで、その技術的詳細は太一でもわからない。


「余裕が欲しいならうちに来るか? ナッシュなら入れるぞ」

「どうせ僕の仕事量は変わらないだろ」

「教育をやめたらいい。もう十分やったろ?」

「……」


 橋本泰和。

 マクロソフトにマイクラオンラインを持ち込み、マイクラ配信者グループ『ティーラーズ』を立ち上げ、怪物ノブを飼い慣らしながらティール組織なる次世代組織運用を成功させた男。

 ライセンス収入はマイクラ買収時の開発者にも勝るとされ、ティーラーズの利益も相当出ており総資産は百億では済むまい。

 にもかかわらず知名度も存在感も薄く、物欲も無く、性欲とも孤独感とも無縁で質素な独身暮らしを続けており、毎日八時間以上眠っていて多忙とも程遠い生活をしていて。


 泰和とは友人である。

 十年以上前、マイクラが登場した際に可能性を見出した同志として出会った。泰和は対戦、太一は教育、と方向性が相容れず共に歩むことこそ無かったものの、フリーランスとして、経営者として、マイクラプレイヤーとして数多の相談や議論をしてきた。



 ――燃え尽き症候群。意外と手強いみたいだ。



 いつだったか、泰和の呟いた台詞がなぜか蘇っていた。


「第二の人生を歩もうぜ、アラフィフさんよ」

「……なぁハッシー、お前、もしかして僕に押し付けようとしてない?」


 それは踏み込んだ質問だった。

 たとえ小規模であろうと、友人相手であろうと、トップは心情を吐露するものではない。ところが「内緒な」泰和は軽い調子で即答してみせる。


 この男はいつだって迅速果敢だ。

 仕事もそう、プライベートもそう。まるで人生をゲームのように俯瞰し、素早く選択肢を決定してみせる。


「そうか」

「ああ」


 イヤホンから届く気配がぱたりと止む。それは狩りのために気配を殺して待ち伏せる鳥のようで、ハシビロコウの名もそんな泰和の習性から来ている。

 こうなっては向こうからのアクションは期待できない。


 付き合いは長い。太一は間を置かず、「用件が一つある」本題に入る。


「おたくのノブに、マイクラバーサスに参加してもらいたい」

「……」

「何故に長考」


 共演、コラボ、案件などノブは外との繋がりや仕事の一切をしない。それが価値を釣り上げていることは太一も理解しており、だからこそ一蹴されないのが不思議だった。


「……ノブを説得する根拠はあるんだろうな」

「ああ。は今、うちのプロジェクトに関わってるんだが、スクラボを使って進めようぜって熱心にプレゼンしてたよ。それが通るよう

「見返りに出演しろ、と? バーサスを壊したいのか?」


 マイクラバーサスはマクロソフト公式の生配信イベントである。

 国内各界隈から集めた有名配信者でチームを組ませ、ポイント入手で競い合う。界隈の風物詩として定着しており、ガチ寄りではなくエンジョイ寄りのエンタメとして年に一、二回開催される。


 そんな場所にノブを放り込んだらどうなるか――

 日々ティーラーズの実力者達と本気で殺し合い、クラオでも相対したら必ず死ぬといわれ『死神』の異名を持ち、箱外からは一切出たことがない箱入りでもあり。


 そんなノブの箱外デビューであり、ライブ配信デビューともなれば視聴者も偏るだろう。

 バーサス自体が食われかねない。


「ただのテコ入れだよ」

「具体的には?」

「これから考えるよ」

「話にならん」

「一緒に考えてくれよ」


 根拠を求めた時点で、泰和の天秤は振り切れている。

 それがわかっているから太一もニヤついて。


「久々に楽しめそうだ」

「仕方ねえなぁ。スクラボに来い」


 泰和のアバターがランチャーブロックを置く。

 太一もすぐに追従し――二人は議論に花を咲かせ始めた。

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