3
大田オフィスから自然の多いエリアに向かう。ダークオークの森に入る。
ダッシュジャンプで駆けていく忍を、美咲が追従する。
「二人きりです。フィードバックをください」
「明日書く、じゃダメ?」
「ダメです。気になって仕事に集中できないので今ください」
「今書くよ」
忍は立ち止まり、薄暗い森に湧くMOBに不意打ちされないよう土ブロックで壁をつくるが、その視界に大量の腐肉が割り込んだ。
「ゴミを投げるな」
「書くと時間かかります。言ってください」
「書いて残すことは大事だ」
数十個ほど存在する腐肉をまとめて返却する忍。そのまま放置するほど大らかではない。ドロップアイテムは地味にサーバーの負荷になる。忍は負荷軽減の行動にも余念がない。
「あとで私がまとめますので、お願いします」
「それなら構わない」
時短勢の小池と同樣、忍もあがる時間だった。早朝から勤務し、フルフレックスも遠慮なく使う忍は夕方以降は勤務しない。
すぐフィードバックが欲しい美咲は、そんな忍から譲歩を引き出したのであった。
「結論から言うと、シャイな人が多い」
「シャイ、ですか……?」
大田グループには既婚者が多く、飲みニケーションやイベントを好む陽の者が多い。JSC自体そっちが多数派である。既に何回も顔を合わせ、飲み会にも参加した美咲もとうに知っているだろう。シャイと言われて違和感を抱くのは自然なのだが、忍が言いたいことはもう少し広い。
「誰もが情報を晒したがるとは限らない。たとえば対面での会話に関してシャイな人がいるように、チャットやウィキへの書き込みにもシャイな人がいる。顔写真を登録したがらない人やビデオ会議でビデオをオンにしたがらない人もいるよな」
「ですね。みんな出してくれなくて寂しいです」
美咲はゴッリゴリに出す派であるが、八割以上が伏せている場合は空気を読んで伏せる。ちなみに忍は1on1などクローズドなコミュニケーションやワークショップなど特殊な会議のみ出す派。
「同樣に、こういう集合型会議やワークショップで自己開示したりされたりを嫌う人もいる」
「よくわからない感覚です」
「俺達、陰の者の当たり前は通じないことの方が多いぞ」
「一緒にしないでください。そもそも陰キャ陽キャという分け方は嫌いです。そういうレッテル、良くないと思います」
「そうか? 何も語らないよりはマシだろ。潔癖すぎると何も言えなくなる」
「フィードバックの続き。早くください」
「ああ、そうだったな……」
忍はしまったと口パクで動かした。
普段ならこんな寄り道はしないのに、懐いてくる後輩が心地よくてつい喋ってしまう。
(今までの俺には無かった体験だ)
わざわざミュートにして、あえて呟いてみせることで意志を固めようとするも、
>なんでミュート?
美咲の発言が早いのを見て、ふっと忍は相好を崩す。
(そうだよな。一応配信者だし、鍛錬と思えばむしろ好機だ。ノブ、行きまーす! ――いやこれも若い子知らねえだろ。俺も見たことないし、別に上手いこと言ってねえし)
もう一度苦笑した後、ミュートを解除して、
「色々例は挙げたが、とにかく、自己開示は思っている以上に好き嫌いと向き不向きが絡んでるって言いたかった。スクラボにもちらっと書いたはずだが、俺は自己開示含めて情報の開示に消極的であることをシャイと呼んでいる」
「ならせんぱ――忍さんは陽キャオブ陽キャじゃないですか」
「いちいち言い直さなくていいし、レッテルは嫌いなんじゃなかったか」
「忍さん相手なら気にしなくてもいいでしょ」
「さっきの部会でもなんでですかって言ってたよな。表ではちゃんとしてくれ。目立つから」
「もう遅いと思います」
「だよなぁ」
忍はESCキーを押して、切断ボタンをクリックしようとしたが――
「仮にストポイを通そうと思ったら、どうすればいいですかね」
「フィードバックは終わったよね」
「提案を通したい私に対するフィードバックなので、アドバイスもあるべきです」
「……」
こうしてやりとりを交わすにつれてテンションが上がり、声音も弾んでいることに美咲は気付いているだろうか。
あるいは自覚的に使うことでアプローチを仕掛けているのか。
神マイクラプレイヤーのノブでも、いや、だからこそ、後輩の心持ちを推し量ることはできなかった。
「俺もろくに経験がないから一般論だけど、通常は体裁を用意する。上司命令とかな。あるいは上司命令としつつも、どうしてもやりたくない人はこっそりとサボれる余地をつくる。催促のフォローを一回だけにしておいて、以降やらなかった人は黙認するとか」
「えっと、体裁が大事なのと、白黒つけずに曖昧な余地を残しておく?」
「ああ。品川さんや大田さんも、いや管理職ならその辺はよくわかってる。でも立場があるから、部会みたいな場で晒されたら立場に則ったことしか言えない」
「日本の悪いところですよねー。飲みニケーションなんて滅びればいいのに」
飲み会というオフの場で本音を語り合い、その内容は公の場では一切触れない――そんな独自文化は飲みニケーションと呼ばれ、世界でも日本にのみ存在する文化だ。
忍は滅びのくだりはスルーして、
「やり方としては、大田さんに根回しした上で大田さんの口から説明してもらう、だろうな。あるいは美咲が説明しているときに太田さんの援護射撃をもらってもいい。タイミング的には部会が自然だろう」
「品川さんは挟まなくていいんです?」
二人の直属上司は品川であり、その上が部長の大田である。
「委員会活動なら利害は無いし、気にしないと思う。むしろ余計な仕事増やして内心嫌がられそう」
「あー。じゃあ直でいいか」
「ほい、解決したということでお疲れ様」
「あ、しのぶさ――」
>堀山忍がログアウトしました。
「うー……」
美咲は思わず黒曜石をホットバーに移し、忍の開始位置を囲ってやろうと考えたが、忍は原始的サバイバルをしておりダイヤツールさえ持たない。
さすがに酷だと考えて、深層岩で囲むに留めておいた。
「いいんじゃない? 誘っちゃえば?」
「先手打たれてるんですよー。交際関係に繋がるアクションは受け付けないって」
「スクラボで?」
「スクラボで」
「自意識過剰で気持ち悪いわね」
タスクバーの時計表示は15:33を示している。
美咲はコーヒー休憩がてら高奈に『カフェチャット』を申し込み、早速承認されてビデオ会議をしていた。
カフェチャットとは、ある海外企業の文化で、誰でもいつでもどの社員に雑談ミーティング予定を飛ばしてもいいとするもの。JSCでは一日一回まで認められている。大田グループでも社内でもあまり使われていないが、美咲含め若手は結構使う。
本日は美咲も高奈も自宅からリモートだ。
どちらもビデオをオンにしており、美咲は相変わらず上品で圧の強い姿勢をキープしている。
対して高奈は新規事業向けのブレストを数回はさんだらしく、くたくたな様子で、高級な椅子にぐでっともたれていた。
「こういうの、どう誘えばいいかわかんないんですよ。強引な方がいいんですかね」
「人によるとしか」
「高奈さんはどうしてたんです?」
「私は自分からアプローチしたことないよー。恋人はともかく、結婚は打算だからね。ある程度長く付き合ってる中から、波長が合って生活が上手くいく男を選べばいいだけ。まあ合わなかったんだけどね」
「お若いですよね。早くからそういう決断をしたってことですか?」
「若気の至りよ。おかげで最愛の娘に出会えたからいいけどねぇ、ふひひ」
だらしなく微笑む高奈を見て、美咲もふふふと破顔する。
弥生が注いでくれた紅茶に一口つける。もちろん経験豊富の元執事がうっかり存在を悟らせることはないし、美咲も普段はお礼を言うが今は無視する。リテラシーの進んだ宮崎家ではリモートコミュニケーション分野でも教育が行き届いている。
「先輩の話を聞かせてほしいです。休日って何してるんですかね? 交際経験は? デートしたことあるのかな、女友達と出かけたことあるのかな、そもそも友達いるのかな――」
カフェチャットの話題は最初から一貫している。
週末忍をデートに誘うには、だ。
「もう宮崎さんの方が詳しいと思うよ。スクラボ漁ってないの?」
「漁りまくってますけど、意外とプライベートな情報が無いんですよね」
「わかる」
「え? もしかして狙ってます?」
「いやいやっ、狙ってない狙ってない!」
美咲の声圧が妙にリアルで、高奈はずれ落ちかかった姿勢を正すほど慌てたのだった。
「……なんだかんだ面白い情報が多いから私もウォッチしてるのよ」
スクラボではなく社内ブログなど他の媒体を指しているのだろう。忍は発信活動にも余念が無い。
「思想や工夫の話も多くて、よくもまあこれだけ書けるわねって思うけど、たしかに彼のこと全然知らないなーって」
二人の違和感はもっともなものだった。
忍はティーラーズ側のスクラボもヘビーに活用しており、プロとしてノブの覆面を保ち続けている。歴も厚みもその辺の一般人や会社員とは比較にならない。
「新人時代を思いだしてひねり出してください」
「堀山君ごときに頭使いたくないわ」
「私のためだと思って」
「考えてみればむかつく出来事ばっかだったから却下で――」
結局二人は三十分ほど話して解散した。
美咲はその後、少し休憩をはさんでから、忍とのスクラボを読み直す。
机上には会社の
ちなみに
そしてもう一つ、美咲が自分用につくった方は『忍ペディア』であった。
「……何ですか、弥生さん」
「いいえ。頑張ってるわねって」
画面を覗き込む真似はしない。モニタを見つめる美咲の様子を眺めているのだ。
「恥ずかしいからあっち行っててください」
弥生は「はいはい」と言いながら美咲宅を後にする。夕食用の食材の買い出しだろう。
一応仕事中であり、合鍵もあるため美咲もいちいち気にしなかった。
そう、美咲の認識では、これは仕事だった。
どうせ明日の顔合わせまで手持ち無沙汰である。だからこそ距離を詰めていこう、と。
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