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 週末をまたいで五月九日げつようび


 国内大手JSC――日本システムコンサルティングに無数に存在するワールドの一つ、大田オフィスでは、太陽がひまわりの首筋を照らし始めていた。

 ひまわり畑の傍らには低層ビルがあり、その内部は石英クォーツベースの白基調で統一されている。

 ビル内中央にはオープンスペースがあり、大田グループ所属の社員二十数名分のアバターが集まっていた。


 バーチャルオフィスさながらにスクリーンが降ろされ、パワポが投影されている。

 それを見つめるアバター達。一方で、手元にPCのランチャーブロックを置いてそちらを向いている者――要は内職している者も少なくない。


「――口酸っぱく言ってますけど、当社は人数多くて同姓同名もよくありますし、こういう誤送信は人間だから誰でも起こし得ます。でも起こしちゃダメだから自衛するしかなくて、今一度各自メールを送る時は気をつけてください。といっても僕達はほとんど使わないと思うけど、たまに使うときこそ危ないんでね、この部会が終わった後にでもすぐに確認しておいてください」


 セキュリティ委員の報告が終わり、部長の大田が進行を一つ進める。


「次はセミナー委員。吉川君お願いします」

「はい。今月も研修の案内が届いていて、特にAWSの資格系の講座が充実しています――」


>忍さん忍さん、何してるんですか?


 忍も例に漏れず内職組だったが、個別チャットにメッセージが届く。


>論文からコピペした英文を自動で翻訳するシステムを検討中


>あ、今朝見ました。プログラミングできるなんて素敵です


>エンジニアなら自製できて当然だぞ。できないとここの管理職達みたいになる


>ひえー


>ノリ良すぎだろ。ちゃんと話聞いてやれよ


 美咲は最近の若者には珍しくPCスキルが高い。タイピングも速くて、忍のテンポにもあまり遅れを取っていない。


「そういえば宮崎さん、今度アソを受けるんだっけ」

「あ、はい。受験予定です」

「事業部署内で競ってるから合格頼むね」


>正直だるいんですよねー


「はい! 頑張りますっ!」


>表と裏で違いすぎて草


 急に話を振られても卒なく対応できている。

 美咲は家柄もあってスペックが高い。そもそもJSC自体が国内の就活ランキングでも上位を争うほどの会社であり、新人は軒並み優秀だった。


>絡まれるとは思いませんでした


>腫れ物のご令嬢だもんな。興味が勝ったんだろ


>興味?


 先月の部会までと違うのは、美咲の着席位置が異様に近いことだ。

 というより忍の真隣である。基本的に一席以上空けて座るのがJSCの慣習であり、今も詰めて座っているペアはいない――要は目立っている。


>部会開始時は二席空けてたよな? いつ詰めた?


 実は忍は気づいているし、何ならいつ詰めたかの時刻まで分レベルで覚えているが、3000万人配信者ノブとして爪は隠した方が良い。このようなすっとぼけは息するように行う。


>発表が近いのでミュートします


 回答が来ることは無かった。


 セミナー委員の共有も終わり、続く行事企画委員は特にイベント無しで十数秒も経たずに通過。

 そして最後の報告は、


「ウェルビーイング委員、宮崎さん」

「はい」


 ウェルビーイングと言えば身体的にも精神的にも社会的にも経済的にも、要は総合的に良好であることこそが真の健康であるとの概念だが、委員としての活動は不明瞭であり形骸化しかけている。

 会社としてウェルビーイング経営が掲げられており、トップダウンで降ってきたのが数年前のこと。予算がつくわけでもない横文字タイトルの活動は、このグループでは若手に押し付けられる傾向にあった。


「資料を投影させてください」


 美咲のアバター――ウサギの着ぐるみを来たガーリーなスキンがジャンプダッシュでスクリーンへ向かう。何人かのそばや頭上を踏みながらの最短ルートだ。


(先月は社内ブログ記事の紹介だったが……)


 忍はミュートをつけたまま自宅の自席で独り言ちる。

 水筒に詰めた冷や味噌汁ご飯を流し込みつつ、休憩がてら傾聴を決め込んだ。


 普段なら部会ごときに傾聴などしないが、発表が近いなどと断りを入れてきたのが気になっている。美咲は人前の発表にも強いタイプで、VTuberも問題無くこなせるだろうと忍は見ている。

 そうでなくとも距離の詰め方もあるし、わざわざ資料もつくってきたようだし、どことなく嫌な予感がして――


 美咲は制御ブロックを叩き、部長よりも慣れた様子で別の資料を投影し出した。


「みなさん、ストロングポイントファインダーってご存知ですか」


(スクラボで俺が取り上げてたやつ)


 自室で一人、頭を抱える忍。

 アクションを取る必要などないのだが、配信者としては論外なので日頃から動くようにしている。傍から見ると滑稽だが、一人暮らしなら見られる心配もない。そもそも忍はその程度では乱れない。それはともかく。


「ストロングポイントファインダー――通称ストポイは才能診断ツールです。人には34の才能があって、どの才能が強いかを強い順で出してくれます」


 近年はこの手の診断ツールが流行っている。SNSではMBTI診断が有名だが、これらの本質はメンバーをタイプ別に分類した上でタイプに合った尊重をしましょうというもの。

 美咲は端的に概要を説明した後、皆が結論の不在にイライラする前にそれを提示する。


「提案させてください。皆さんでストポイしましょう!」


 ビュンビュンと腕を振りながらジャンプも繰り返すウサギ。

 そのテンションとは対照的に、聴講者達はフリーズしている。まるで発表を当てられたくない生徒達のように、不自然に停止している。


 何人かが忍のアバターを見てくるが、忍は気付かないふりをする。

 美咲が共有フォルダにアップした資料を開いておく。これで内職ではなく手元で見ているのだと言い訳できる。実際、スクリーンに投影された側にも、忍の顔社員アイコンがちらりと表示された。


「大田さんグループで一年間過ごしてきました。チームやプロジェクトのアンマッチを不満に思う声も多数出ていたと思います。私自身もそうでした――」


(言い過ぎ言い過ぎ)


 それは去年メンターを務めた田中とは合わなかった、と言っているようなもので。

 たいていの会社員は日本の価値観にどっぷり使っており、文脈を余計に読もうとするハイコンテキストである。嫌味や牽制と取られてもおかしくはなく、安易に敵をつくりかねない。


(こんな空気読めない奴だったか……?)


「一人一人特性は違うと思います。それを可視化して、共通言語にしてコミュニケーションできるのがストポイだと思うんです。部門費を使う価値があると思います――大田さん、どうでしょうか」


 ストポイは一人あたり六千円かかる。ティーラーズ社員の忍には意識さえしない程度の端金だが、従業員を多く抱え予算的制約も多い大企業では高い壁だ。


「んー……」


 最前列に座る部長大田のアバターは一瞬だけ頭を動かし、言い淀んでいる。さして慣れていない大田の動きは停止することが多い。

 本来なら数人くらいが発言を挟んでくる場面だが、相手は美咲――JSC以上のバックを抱える爆弾社員。


 沈黙が続く。その間も「その」「あー」「なんていうか」大田はフィラー言葉で稼いでいる。

 部長がここまで気を遣うのも珍しい。


(ビビリすぎだろ。俺としてはやりやすくて助かる助かるマダガスカルだけどな――今の若い子に通じるかこれ?)


 忍はというと配信でウケを取る練習も差し込んでおり、何とも呑気なものだった。


「いきなり言われてもねぇ。みんなビックリしてるでしょ」

「なのでプレゼンさせていただいてます」

「予算も想定してないね」

「ウェルビーイング費を使います。去年の余りも足せば全員分足りますね」


 動かない大田に対し、美咲のアバターは配信者のように生き生きとしている。今も大田のそばに近寄ってスニークしたし、目線もしっかり合わせている。


「計上のタイミングが違うから去年のは使えないよ」

「あー、そうなんですね……」


 チラリとこちらを見てくる美咲。忍は気付かないふりをした。視点を切り替えて捉えているので、忍からは視線を合わせているようには見えない。


(――俺も覚悟を決めるか)


 仲良くなった美咲との付き合い方も含め、社内での立ち回りを再考せねばならなかった。

 ノブと同樣、忍も判断が早い。


 忍はミュートを解除しつつ、テーブルの上に飛び乗ってアテンションを集めつつ、


「すいません、コメントいいですか?」

「んー、何?」


 コバエが目に入ったような大田の声音はいつものことだ。忍も認識しているが、気にするほど脆弱ではない。


>わくわく


>悪いが期待には応えられんぞ


 行儀が悪いのでテーブルから降りつつも、美咲との個別チャットにも返していた。手元ではさりげなく秒間20打のタッチタイピングを叩き出している。


「宮崎さんへのコメントです。結論から言うと、できないと思います」

「なんでですか」

「あとで個別に説明します。部会が終わったらスクラボに来てください」

「今説明してください」

「公開処刑になるのでダメです」


 忍は気にしないが、仲間達の前でのネガティブ・フィードバックはハラスメントとも取られかねない行為である。

 時代が要求するリテラシーは刻一刻と変化している。殴るのは昭和まで、怒鳴るのは平成まで、指摘するのは令和まで。今は指摘の仕方にも考慮が必要な時代だ。


「……わかりました」


 忍はミュートを入れて、ふぅと一息。冷や味噌汁ご飯をもぐもぐと流し込みながら、空いた手で着席。


 美咲は完全に鳴りを潜め、部会はつつがなく終了した。






 部会が終わるや否や、忍は誰よりも先にオープンスペースを飛び出す。

 その後ろを、ウサギの着ぐるみが追いかけていく――


「懐いてますねー」


 育児により時短勤務中の女性社員が微笑ましそうに言う。


「というより毒されてないですか?」

「やめてよ田中君」

「大田さん、グイグイ攻められてましたねー」


 大田の周囲があははと陽気に包まれる。

 他の社員も既に解散したり、集まって別の会議を始めていたりしている。


「ちなみに私はストポイ賛成派です」

「言ってあげたら? 喜ぶよ」

「そこまではいいですよー。それじゃお疲れ様です」


 彼女の声は明るかったが、同時に社交辞令の色もはっきりしており、これ以上の会話を断つ圧もある。

 JSCのワーママには強い女性が多い。


「はいお疲れ」

「お疲れ様」


>小池真亜沙がログアウトしました。


 時刻は午後三時すぎ。時短勢の定時だった。


「――ストポイはともかく、このまま堀山君が負ってくれるのは正直助かるよ」

「大田さんぶっちゃけすぎです」


 無論、JSCで部長職に就く者が軽率な真似などしない。通話範囲内には田中の他、聞かれても困らない部下しかいない。


「レギュレーション拡充案件も勝ち取ったでしょ? 管理職が犠牲になることもないし、マクロソフト側で暴れてくれるのは全然構わないから、どんどん仕事増やして稼いでもらえるといいよね」

「大田さんも頑張ってくださいよ~、今期も予算厳しいですよ。あ、そうだ、急ぎ承認が必要な申請があるんですけど、今いいですか?」

「上限緩和申請だよね。トイレだけ行かせて」

「チャット送っておきます」


 その田中大田両名も、すぐに次のスイッチを入れる。

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