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美優を巻き、美咲を入賞に導き、さくらも逃走からの居留守でやり過ごして、ティーラーズの収録もこなした忍はまだまだ消化不良だった。有り余った分はこの後も発散せねばならない。いつものことだ。
マラソンもそうであるように日常生活も、そして人生さえも、一定のリズムで過ごすのが最も効率的である。
ゆえに忍はルーティンを好むし、多少であれば押し通った。
押し通れないほどの高いハードルが差し込まれることは滅多に無かった。
今度オフ会するから。
ラキの、ニヤつきを隠しきれていない発言。
麗子のダメ出し。
ナナストロによるスクラボURLの提示――
「悪いけど全力で阻止させてもらう」
忍はイレギュラーを認めて、臨戦態勢を宣言する。
「そんなアンタを阻止するわ」
「そんな二人を眺める私」
「そんな二人を眺める麗子を眺めるぼく」
件のページは【コアメンバー全員集合のオフ会を行う理由】。
既に社長が丁寧に詳細を書き込んでいるので、冷静に上から精読していく。
その間もカーソルがまとわりついてくる。Raki、Reiko、NaNasの三本が、行を降りていく忍のそれに追従する。ラキは子供のようにちょこまかと動き、麗子はピッタリとついてきて、ナナストロはマウスでスクロールしているのだろう、ぴくりとも動かない。
「……」
忍は何も言わず、ただただ黙って読み込んでいる。収録のように軽口を挟むこともない。
「集中してて草」
「ノブの本気」
「さすがに邪魔しないであげようよ」
「何言ってんのよナナス。麗子もだけど、眺めてないで戦ってね。真面目に事務所存続の危機だろうし」
コアメンバー――社長も含めた五人は五年以上の付き合いになる。
これまでティール組織、クラバー、スクラボと先進的な手法が社長の辣腕によって運用されてきた。特にスクラボのページ総数は現時点で13万を超えており、口頭の対話だけでは出せない密度をお互いが浴び続けている。
現代的組織の境地ともいわれており、実際社長はティール組織やスクラボを用いたコンサル業や講演業も営んでいて、マクロソフト含む大手企業から高額の料金を貪っている。もちろんこれらも社員間で折半しており、したがって誰一人金には一切困っていない。困っていないからこそ、存続は個人の信念や志向に左右される。
さて、ノブは事務所の顔であり、大黒柱であり、動機でもあった。
配信者グループ『ティーラーズ』はノブとそれ以外、とくくっても支障のない組織だ。それほどの中心人物は常に渦中にあって、それゆえ全員はとうの前からノブの思考回路と癖を知っている。
カーソルが動くだけの、静かな時間が続く――。
次の会話が来るまで二十分ほど待たねばならなかった。
「――なるほどな、いや、なるほどじゃねえけど。まさかの麗子だとはなぁ。てっきりラキだとばかり」
「ごめんなさい」
「謝るくらいなら我慢してほしいんだが。今からでも撤回するか?」
「それは無理」
積極的に関わりたがらないナナストロが「あはは」苦笑するほどの清々しさだった。
「吹っ切れてんなー……」
「もう我慢できないんだよ。はぁ、んはぁ」
唐突にハイクオリティな喘ぎ声が出てきたからか、傍観を決め込んでいた社長が吹き出す。
いつもならイジりが始まるが、誰もタッチしない。忍も息するようにスルーした。
「そんないやらしい声出してるから厄介なファンがつくんだろ。匿名サイト見てみろよ、地獄だぜ」
中川麗子は迷走していた時期があり、エッチな声や猥談の路線を出していたことがある。収録では出さないが、個人チャンネルの方では今もギャグとして稀に出すことがあるそうだ。
「そうやって戦力を削ごうとしても無駄」
「ぐっ」
最下行で停止したノブのカーソルが動き始めた。
要約を書くつもりなのだ。
>麗子の言い分
と一行書いた後、さらに箇条書きをぶらさげていく。
元は数千文字にも及ぶ
>マイクラ飽きた。
>やめそう。
>メンバーは好き。メンバーのためなら頑張れそう。でもちょっと足りない。
>特にノブ。
>ノブをもっと知れたら良さそう。
>会わせて。
忍は大胆に六行でまとめたのだった。
直後、麗子のカーソルが入ってきて、いいねの絵文字と自分のアイコンを差し込む。
スクラボでは自分の意見だと表明したい行の末尾にアイコンをつける文化があり、アイコン自体はショートカットキーで一発で挿入できる。絵文字と使えばスタンプ代わりになるし、もちろんコメントを書いても良い。
このように行を差し込み合いながらコミュニケーションしていき、行が貯まってきたら要約をつくったり別ページに退避したりして整地していく。
「そんなに会いたいか? ただのおっさんだぞ」
「中の人の品質は問うてない。知りたいだけ」
「品質わろた。ちなみにアタシも知りたいから!」
声もうるさければ、カーソルの動きも慌ただしい。
カーソルキーをガチャガチャする打鍵音も微かに聞こえてくる。
「うん、お前は俺のストーカーだもんな」
「す、スト!? そこまではひどくないでしょ!」
「【ノブゲッサー】ページつくってる奴の言い分じゃねえだろ。作成日は四年前だし、更新日は昨日なんだが」
「うっさいチー牛。うぬぼれてんじゃないわよ」
「うぬぼれはチー牛の特権だろ。と、それはともかく」
ノブは声音を変えて雰囲気を戻しつつ、ブラウザをスクロールさせて、上部に張ってあったリンクを一つコピー――最下行でペーストする。
【信頼関係構築の臨界点】ページ。
これをクリックして、中身を改めて読んでいく。
社長によって書かれたもので、チームと信頼関係の話である。
今でこそテクノロジーの発展によりリモートやバーチャルといった素を差し出さない働き方が実現されているが、一方で、人間の性質は原始的なままだ。
人間は感情的かつ非言語的で、それらを差し出す量に差があると信頼関係が重ならない、あるいは長くは保たないとのこと。そもそも三大欲求と同樣、欲求として純粋に欲しがってしまう。
ゆえにどこかでオフ――対面で会うことが必要で、現代でもビジネスではほぼ必ず対面フェーズがどこかで差し込まれる。
配信事務所であっても例外ではなく、親切にも各大手事務所の主要タレントの雑談配信が何個も引用されていた。
「社長には見えてたわけか」
「そうだな。麗子はパンクすると思ってた」
ここで珍しく本人が応答した。
社長は基本的に傍観者である。一日一度も口を挟まないことも珍しくないし、口論時も静観を決め込む。それが忍の独り言ちに反応してきた――
「麗子とはサシで話したのか? 説得しろよ」
「ノブ聞こえてる」
「聞かせてんだよ」
はぁ、と忍は音が乗らないようため息をついた後、一応の反論を試みる。
>以下のどちらが重たいか。
続いてニ行をぶら下げる。
>1:3000万を抱えるノブの覆面がバレることによる諸々の影響
>2:一メンバーでしかない中川麗子の脱退およびチームへの影響
次行に移り、
>前者の方が明らかに重たいだろ
忍はノブのアイコンを四個重ねた。かなりの強調である。LINEで言えばスタンプ連打にも等しい。
返事を待つ暇もなく、ラキのカーソルが飛んできて、「絶対反対」の四文字とともにアイコンがマシンガンのように連射されていく。忍の優れた眼と処理能力は21個であると瞬時に見抜くが、擬態には慣れている、数字を口に出すことはせず、
「多すぎ草」
配信者口調を差し込んで雰囲気の緩和を足す。
その間もラキのタイピングは止まらず、オタクが一息で喋ったかのような句読点乏しき長文が出来上がった。
「……だよなぁ」
忍は思わず苦笑。
ラキの主張は四人揃ってティーラーズなのであり、一人でも欠けたらノブの良さも殺される、というもの。そのとおりである。ティーラーズの動画は、もう長らくこの四人のリズムが定着してしまっている。
「ん?」
一箇所に留まることを知らないラキカーソルが、まだ居座ったままだ。
文言に悩んでいるのか。推敲するタイプではないはずだが――
>謝って。
麗子に謝れということだろう。
忍にも自覚はある。一メンバーでしかない、などという表現は意図的に書いたものだ。
>謝らない。譲らない。事実を述べたまで。
しかし忍は譲らず、次行に堂々と書き足した。
さて、次に何が来るか、と忍は見つめていたが、ラキのカーソルは動かない。
「……」
落ち着きの無いラキの手元が停止する理由など非常に限られている。
共通するのは、脳の処理が膨張した感情に割かれてしまっていることだが――
「ガチすぎて草ぁ。そこまでして会いたくないの?」
ナナストロだ。
普段の中性的美声よりもずいぶんと腑抜けたボイスで、聞き慣れないがゆえに意識が向く。配信者とは場の声に全神経を注ぐ真性の
「ぼくらと出会ったらどんな声で鳴くんだろうね?」
そして一呼吸遅れてもう一人の自分が幽体離脱し、場を俯瞰して、状況を理解する――冷静になるのである。
「いじめる前提じゃねーか」
「ノブくんはMだよね?」
「性癖に関するコメントは受け付けていません」
ナナストロと掛け合いながら様子を見る忍。
間もなく、
「……ありがとナナス」
穴に入ってそうなラキの地声が差し込まれた。
「悪かったな麗子。書きすぎたわ」
忍も即座に自分の主張を撤回してみせた。
「いいよ」
「みんなも悪かった。俺に代案はないし、メンバーのモチベは最重要事項だ。ティールの基本でもあるのになぁ……迂闊だったわ」
忍の脳内では麗子の脱退または活動一時休止を想定していたが、撤回してみせたのは至極単純、想像以上に分が悪そうだからだ。
忍とナナストロはともかく、ラキにとってコアメンバーは家族であろう。麗子の窮地を解決できなかった場合、しこりが残り、収録にも悪影響が出ることが予想された。
ラキの行動力を舐めてはいけない。経済力も強いし、収録データにも余裕がある。
一週間くらい休むことは訳無いし、社長を説得するなり半ばネタ気味なノブゲッサーを麗子とともにガチり始めるなりされる恐れもあった。ある日突然、中の人が訪ねてくるなんて展開も決して冗談ではない。
「ほんっとうにすみませんでした」
マイクの前でも頭を下げる忍。
忍にとっては平穏とルーティンが一番だ。
声バレ容姿バレのリスクもコアメンバーに限れば信用していい。ティーラーズで鍛えられた精鋭は伊達ではない、プロ意識もリテラシーも相当なものだ。
つまり忍が折れた方が良い場面だった。
だから即座に折れた。折れてみせた。
「――それで社長。オフ会のスケジュール感は? 今月中にやっちゃう感じです?」
「来週末の予定だ」
「早すぎでしょ」
「ノブも納得してくれたことだし、今日は解散する」
ガンガンと鐘の音が鳴る。クラバーにて社長が鳴らしたのだ。
「確認事項を書いておくから、今週中までに記入しといてくれ」
【第一回コアメンバーオフ会】ページに各自書いておけ、という意味だ。
それはさておき、社長がクラバーで
「ああ」
「あーい」
「わかった」
「りょ~」
コアメンバー全員の返事がハモるのはもっと珍しかった。
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