22
午後1時47分。
カッ、カッとスプーンと食器のぶつかる音が響く。堀山さくらは自宅の防音仕様な自室にて、母につくってもらったチャーハンを消化しながら動画を見ていた。
2023年フレッシャーレース杯のアーカイブ。
本来ならこの手の動画はまず見ないし、マイクラにもさして興味は無いが、配信エバンジェリストの肩書きを持つさくらは本件の配信まわりを支援している。関わった仕事の結果は見ておく、最低一つは学びをひねり出す、はさくらのポリシーだった。
といっても最初から最後まで視聴するほど暇人ではない。配信が問題無くできていることをざっと確認し、
微調整を経て、表彰シーンへ。
「勝ってて草」
兄こと堀山忍は左側、金色の台に載っていた。
隣には宮崎美咲――同じ部署の二年目らしい。二人ともアバターがぴくりとも動いていない。二年目なら緊張や不慣れもあるから仕方ないとして、バーチャルでも立ち回りは重要だ。もう礼儀作法が持ち込まれた段階に来たと言ってもいい。デフォルメされた世界だから何してもいい、止まっていてもいいとはならないし、むしろデフォルメされているからこそ非言語の見せ方は工夫せねばならない。
配信者だからじゃない。バーチャルオフィスに勤めるビジネスマンとして当たり前のリテラシーである。
「キモッ」
さくらは呟かずにはいられない。
幸いにも防音性能は高く、鍵もかけているため誰かに聞かれる心配などない。そうでなくとも配信者は一人で喋るのが仕事のようなものであり、独り言は職業病であった。
『――もしかしたらと逆走してみました。半シフトばかり練習してる変人なんですが、正直見せ場にしたかったというのもありますねーアハハ』
「笑い方もキモイ」
これ以上機嫌が悪く前に、さくらはブラウザのタブを閉じた。
残ったチャーハンもかきこむ。
ガチャンとテーブルに置いた後。
「――ワールドも見てみよ」
皿は奥に押しのけて、キーボードを引き寄せて操作することしばし。
Slackをチェックして立ち入っても問題無さそうだとを確認した後、チーム13のレース会場のワールドにログイン。さくらも協力者の一人であり、マイクラの設定もいくつか指南する必要があった都合上、権限は与えられている。
スタッフが数人ほどいたのでチャットで挨拶をした後、スタート地点から俯瞰していく。
「んー、よくわからん」
さくらは一応マイクラ上級者を自負しているが、レース競技は経験がないし興味もない。このコースの残骸を見ても何も評価できない。
それでも一箇所だけは明らかで。「これか」不自然に、しかも長く長く伸びている橋は視覚的に目立つ。
「ゴールと300マスも離れてないじゃん、何このコース」
さくらは試しに順路を辿ってみたが、方向感覚は間もなく失われた。目印の松明つき柱も目立つし、ゴールがそばにあるとはまず気付けないだろう。
「当てずっぽうのまぐれでしょ」
兄のチームが二位に入ったことが到底信じられない。
忍はマイクラが下手である。
堀山家のレルムサーバー――マクロソフトの公式マルチプレイ用レンタルサーバーでも建築はゴミだったし、作業効率も悪かったイメージしかない。エリトラを手に入れることさえできていなかった。
さくらと拓斗が北側で発展させていく一方、南側の忍の土地は豆腐ハウスが点在するのみ。装備も鉄だし、チェストもゴミばかりで、ダイヤをエリクサーのように保存しているのが初心者丸出しだった。
いや初心者にさえ失礼だろう。村に生成される小屋程度のクオリティすらつくれないような無能なのだ。
もう数年以上まともにログインしていないが、あれから状況が変わるとも思えない。
「宮崎美咲がよほど優秀なのか……」
その名前は社員に興味がないさくらでさえも知っている。新人成果報告のブログ記事も見たし、コメント欄で兄と激論を交わしているのも見た。高奈が器用に収拾をつけていたのも覚えている。兄の、自分を疑わない文面の数々も。「キモイ」さくらは頭を振った。
それで頭が切り替わったので、皿を持って席を立つ。
PCのロックも忘れない。自宅とはいえ業務情報は機密の宝庫――こうしてわざわざ自室で観戦していることも含めてコンプライアンスである。正直言って面倒くさいが、JSCの一員なのだから遵守して当然。ずぼらなさくらでも、この点は譲らないことにしている。
一階に降りて、キッチンのシンクに皿を沈める。
母はマットを広げてヨガに勤しんでいるようだった。皿を洗え、などと言われないうちにさっさと退散する。
「……散歩しよ」
今日は喉を休める日だし、仕事は午前中に鬼のようにこなした。やることがない。
かといって昔みたいにトレーニングに励むつもりもなければ、母のように新たな
既に健康体であるなら、軽い有酸素運動で十分だ――というわけで、行き着いたのが散歩であった。尊敬し敬愛し性愛する兄、拓斗もその効用を語っていたから間違いない。
さくらは骨伝導イヤホンをセットした後、自宅を出た。
この時間帯なら人も少ない、というわけでここ
静かな散歩はわずか数分で終了した。
帰宅中の忍が見えたからだ。
無視すればいいのに、あとをつけてしまう。
別に声を掛けても良かったが、素っ気なく応対されるのは目に見えているし、あの兄と往来では話したくない。
家に押し入って驚かせてやろう、ついでに宮崎美咲の話を引き出しながら茶化してやろうとさくらは考えた。
しばらく歩いて、忍の家まで残りおおよそ三分。
あの最後の曲がり角を曲がったら、あとは行き止まりの生活道路のみ。
忍が曲がり、見えなくなった。
そろそろ声を掛けてもいいだろう。家に入られた後だと居留守を使われる可能性が高い。入る前の接触は必須だ。
入れ替わりに出てきた住人――顔だけは知っている同年代のママと赤ちゃん。ベビーカーを引いているが、なぜか後方に向けた視線を解除するのが遅くて、
「――やられたっ!」
さくらは飛び出しながら骨伝導イヤホンを外し、親子に挨拶しつつも視線を飛ばす――
忍の走り姿が遠ざかっている。短距離走でもしてんのかとツッコみたくなるほどのガチな背中である。
足音は聞こえなかった。あの踏み込みなら音楽を聴きながらでもわかるほど響くはず。
ということは、意図的に抑えたのだ。
「……いや追いかけるほど子供じゃないって」
そもそも未だにトレーニングを続けている忍と、そうじゃないさくらとでは差がありすぎる。背伸びしても追いつくものではないし、あれでは自転車があったとしても間に合わない。
それにしても、ここで仕掛けてくるとは。
本気で嫌がっているのか。単に昔からの名残で仕掛けずにはいられなかったのか。
それ以上考えたくなくて、「キモッ」口癖を呟くことで平静を取り戻す。
さくらは普通に歩いて、行き止まりまで行った。
最奥が忍の家で、その手前が中田家。ドラム式洗濯乾燥機の音が聞こえる。今日は在宅なのだろう。そっちはスルーして、忍のインターホンを押す。
このボタンと言えばピンポーンと伸びるのが普通だが、この家のは全く伸びず半秒も響かない。少しでも再生時間を減らさんとする忍の性格を表している。
無論、これだけで出てくるはずもないだろう。
とりあえずさくらは連打をぶちこんだ後、我が物顔で庭に入った。
いつもなら引き返すところだが、仕掛けられたせいで腹の虫が治まらない。
「開いてないし――何も聞こえないし」
窓を開けようとするどころか、耳をぴったり当てるまであった。
「相変わらず気味悪いし」
家の中も寂しいが、外にもまるで何も無い。自動車はおろか自転車すらないのである。
さくらのような配信者ならまだわからないでもないが、忍は明らかにアウトドア派だ。余暇の過ごし方がまるで見えてこない。
庭とは反対側に回る。
中田家と隣り合っている部分であり、塀はあるが二階にまで届いていない。飛び移るのはパルクールでもしない限りは不可能だが、お互い窓を開ければ直接話せる距離ではあった。「ん?」人目を感じて、中田家の方を見上げてみたが、カーテンが敷かれているだけだ。
「美優ちゃんの部屋だっけ。こんな偏屈の隣人だなんて可哀想に」
そして忍の方からは一切音がしない。
さくらのように防音室をつくっているのならまだしも、普通に生活していて物音一つしないのはありえない。静音行動は教育の重点項目だったが、未だに踏襲しているとしか思えなかった。物好きもいいところだ。
「キモイ」
それで興が冷めて、さくらは間もなく去っていった。
◆ ◆ ◆
カーテンの隙間から器用に、しかし食い入るように凝視している双眸があった。
「あの様子から見て、やっぱり音は漏れてない」
「ハウスメーカーはうちと同じはず。なら漏れるはず」
美優である。
平日な上、母高奈も在宅だが、平然と学校をサボっている。
美優は賢い。学校の勉強など苦にもならないし、将来食べていくための手段などいくらでもある。高奈も物分りが良いためサボるななどとは言ってこない。何なら午前中は紅茶のおかわりを届けたし、仕事する母と同じ空間でのんびり過ごしたばかりだ。
昼食の後はクラオ――マイクラオンラインに勤しんでいた美優だったが、先ほど忍の外出や帰宅を検知するセンサーの反応があったため、こうして窓に張り付いている。
「……防音?」
「それらしい工事や業者の出入りには覚えはない」
「建築の段階で織り込まれていた?」
「何のために?」
対岸の窓を見つめる。
カーテンが無く、部屋内の仕切りを上げ下げするタイプの部屋。
滅多に上がることはなく、窓が開くこともない、開かずの間――
美優は大胆にもシャッとカーテンを開け、出窓のスペースで両肘をつく。
「ねぇおじさん。そこで何をしているの? 気になるなぁ」
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