19

 真紅の森をトラブル無く抜け、続くネザー要塞――レンガの天空通路もひたすら直進していく。


 火炎魔物ブレイズが放つ火の玉は無視し、黒き骸骨剣士ウィザースケルトン――通称ウィザスケだけは慎重に2マス天井をつくってから無効化しつつ、殴って落とす。身長3マスのウィザスケは高さ2マスには入ってこれない。

 その間もブレイズがうるさいので、土の壁をつくって射線を塞ぐ。


 忍の的確な指示と正確なブロック積み、あとは火の玉に当たらなかった運も重なって、二人はノーダメージで天空通路を通り抜けることができ――


 コンコン。


 ノックの音だった。

 美咲が反射的に画面から顔をあげようとする前に、「集中しろ!」忍が声を上げる。


「ちゃんと予定は取ったしクロスチェックもした! 問題はない!」


 忍には珍しい、張り上げた声に、美咲も頷くだけでそれ以上の反応を放棄する。

 ノックはさらに二回続き、覗き見も入ったが、相手はすぐ引き上げたようだ。もっとも忍にとってこの程度の情報処理など造作もないことであり、相手の顔も容姿も持ち物も格好もばっちり視認していたが。


「次が正念場だぞ。玄武岩だ」

「玄武岩!」


 ネザーで嫌いなバイオームランキングをつくったら、まず間違いなくダントツになるだろう。


 玄武岩の三角州。

 マグマの岩礁地帯ともいうべき地形であり、上級者ですらノンストップで移動することを諦める。至るところにマグマ溜まりがあり、いやらしい1マスの穴も空いている。高低差も激しく、足場も狭くて、おおよそ人が行き来する場所ではない。


「ダッシュはするな。安全優先で進め」

「並走ですよね?」

「ああ」


 1マス足場が多い上に、体当たりしてくる四角い悪魔マグマキューブとの攻防も発生する。二人固まって移動していては踏み外す危険性が高い。かといって、少し余裕を持って追いかけるやり方をすれば、今度はマグマキューブに道を塞がれて詰んでしまう。普段なら倒せばいいが、今のレースは丸腰。分裂もしてくるマグマキューブを倒すのは得策ではない。


 よって、お互い少し離れて並走するのが良い――と、二人はすでに打ち合わせていた。


「落ちないように、落ちないように落ちないように」

「美咲が嫌いな臨機応変だ。時間かけてもいいから、ゆっくり確実に行け」

「わかってま――わぁぁっ!?」

「落ち着――」


 忍には何が起きたのかが見えていた。

 頭上から突如、マグマキューブが降ってきたのである。


 自分の画面は配信されないため、美咲から見られるのを防ぎさえすれば良い。

 よって観察者スペクテイターから見えない操作――視点の切り替えは今の忍でも多用しやすいし、実際、コースの頭上にも地形があるのはわかっていた。それでもその上に何がいるかまでは見えないし、この高さでは音も聞こえない。

 一応、忍は上から落ちてくるポイントが多い方のルートを選んだつもりだが、引いてしまったのは美咲で。


 運が悪かったとしか言い様がない。

 忍ならすぐにリカバリーできるし、そもそも驚いて乱す真似などしないが――


 落下ダメージの音に。

 マグマブロックを踏んで火傷する音も。

 忍ほどになれば音の間隔だけでわかる。美咲の平静は壊れた。


「先輩、せんぱいっ!?」


 美咲は落下したのだ。

 マグマキューブの奇襲によって。


 マグマに落ちてないのが幸いだが、こうなるとおしまいだ。美咲にはまだハイパーイレギュラーを切り抜ける素養がない。要はパニクっている。


 そしてマイクラにおいて、パニクった人が助かる率はほぼゼロである。

 世界で最も売れているコンピュータゲームではあるが、生易しいゲームでは決してない。


「少し戻ってブロックを積み上げろ」

「マグマキューブがいて無理です!」

「ギリギリ通り抜けられる!」

「無理です!」


 忍の目で見れば、たしかに通り抜けられた。

 が、それもマグマキューブの前進により潰える。


「ああああ!」


 まるで配信者のリアクションを見ているようで、実は忍は少しだけ愉快な気持ちだったのだが、そうも言ってられない。

 しかし、忍だからこそ状況の打開可否は一瞬でわかった。



 美咲は死ぬ。



 マグマキューブが美咲の背中に体当たりする。


 美咲は悲鳴をあげながらも、その場でブロックを積もうとする。


 逃げられるわけがない。


 抜け道を塞いだ方からも攻撃を食らい、また落ちて。

 吹き飛んでもいるため、一体目のキューブとの距離も近くて、即行でもう一発食らう。


 あと一発で死ぬ。


「待ってください待ってください待ってください!」


 美咲はブロックをばらまいているが、パニクったまま適当に積んだところで逃れられやしない。


>宮崎美咲はマグマキューブに殺害された


 まもなく死亡ログが流れた。


「……」


 パニックシチュエーションが終わった時の反応は二つに分かれる――絶叫か、無言か。

 美咲は後者らしい。


「――たのに」


 死亡しても持ち物がなくならない設定キープインベントリのためアイテムは無事であるが、事態は最悪だ。

 喪失のショックで、美咲はしばらく使い物にならない。

 ぽろぽろと心の内も漏らすことだろう。横顔を見た限りでは涙も出そうだ。と、忍は冷静に観察していた。


 その脳内ではすでに次手を展開している。

 といっても今さら走り直したところで入賞はできまい。忍は既にログの様子から他チームらの実力にもあたりをつけている。ティーラーズで散々養われているからこそ楽観視などできない。入賞はできない。

 ならば、一か八かの策に賭けるしかない。


「ここまで来たのに」


「先輩がリードしてくれたのに……」


 美咲のお漏らしは無視して。


>堀山忍は溶岩遊泳を試みた。


 忍も行動を開始する。




      ◆  ◆  ◆




 やっぱり先輩は間違ってなかった。

 一緒に働きたいです、と配属希望を出した私の直感は正しかった。


 まともに打ち合わせもさせてくれなくて、その癖すぐテキストで正論パンチを打ってくる先輩。

 一緒に仕事し始めた時の印象は最悪で、心の中で死を唱えたことも何度かあったほどだ。


 スクラボ? スクライブボックス?

 話題ごとにページをつくる? 箇条書きで並べる? 自分のアイコンを書いて、その下にぶら下げる?

 意味がわからなかった。出社しろとまでは言わなくても、オンラインミーティングを設定して話し合えばいいだけだ。それ以外の選択肢なんて無いはずだ。


 仕事させてもらえなかったのも気に入らなかった。

 ハラスメントで訴えようともよぎった。


 ともあれ、私にはやることがなかった。

 先輩が書いたスクラボをひたすら読むくらいで。


 幸いにも時間はあった。一人だったから集中もできた。


 それで落ち着いて、理解も進んで、思わず書き込んだ。

 先輩はすぐに反応をくれた。雑談にも広げるし、重箱の隅をつつくような指摘もするし、どうでもいいうんちくも書いてきた。

 テキストコミュニケーションなどさして珍しくないはずなのに、新鮮だったのだ。


 スクラボのコツがだんだんとわかってきて。


 それからは早かった。

 私達は日中スクラボにこもって、仕事の話から趣味やプライベートまで、色んなことを書いた。書きまくった。

 短い付き合いなのに、何年もつるんできたかのような錯覚も得られて。私はずいぶんと遠慮がなくなっていった。自分の家柄のことも忘れていた。


 そして先輩は、そんな私を拒まなかった。

 顔は見せてくれないし、打ち合わせもさせてもらえないけど。


 そんなときに、この案件が飛び込んできて。


 スクラボで徹底的に情報収集と議論をして。作戦も決めて。


 マンツーマンで一緒に練習をして。


 高奈さんの言う通り、先輩はマイクラが上手くない。特に建築のセンスはひどいもので、美術の脳内回路が死んでいるのかと思うほどだった。

 なのに、どこか頼れるところがあって。

 大田グループのワールドでも死んでいないし、今この大会でもほとんど失敗をしていない。

 動作はゆっくりでも、確実に前へ前へと進んでいる。周りもよく見えていて、IGLとしての指示も適切で。


 何より私を知っていて、私のために尽くしてくれているのがわかって。

 何でも見通されているようにも感じられて恥ずかしさもあったけど、心地も良くて。楽しくて――。


 勝ちたかった。

 私はまだ先輩に何も返せていないから。

 二年目なのに、何の成果も出せていないから。


 褒めてもらいたかった。

 よくやったぞ、って。その調子だ、って。

 これからも一緒に頑張っていこう、って。


「ごめん、なさい……」


 涙が止まらない。


 先輩に応えられなかった自分が。

 不甲斐ない自分が。


 たくさん練習もしたのに。

 ゴールデンウィークも費やしたのに。

 だからこそ、こんなしょうもないミスで死んだことが悲し――


 ふと、胸に違和感を覚える。


 昔からよく遭っていたからわかる。間違いようが無い。



 



「リカバリーはできている。早く追いかけてこい」


 先輩の声が届く。

 ジャッ、ジャッと規則正しい設置音も聞こえてきた。間隔は早い――半シフトだ。


「外傷なしに正気に戻す方法がそれしかなかった。早くしろ」


 この人は何を言っているのだろう。

 殴るつもりだったのだろうか。


 揉まれた感触が蘇る。


 大きな手のひらと、岩肌のような質感。

 それが分厚いブラを飛び越えて、力強く乳房を押し込んで。

 まるで厚さもサイズも握り方も把握しているかのような、確信的な掴みで。


 でも不思議と不快感は無くて。

 ううん、そんなんじゃない――私はただただびっくりしたのだ。


 あれほどどうしようもなかった気持ちが、まるでポリバケツを垂直に割いたかのようにドパッとなくなったから。


「早くしろ美咲!」

「はいっ!?」

「ネザーに入ったら、後ろ向いて橋を渡れ」

「はい!」


 声も指示も認識できている。

 先輩がまだ諦めていないことも届いているし、今見るべきものがなにかもわかる。

 それは隣の横顔ではない。

 目の前の画面だ。


 動かすべきも口ではない。

 手だ。手首だ。指だ。


 ネザーゲートをまたいでネザーに移動する。

 言われたとおり、後ろを振り返る――


「橋が……」


 ネザーでは珍しくもない光景だ。


 幅1のブロックが地平の先まで伸びていた。

 よく見ると、自分の持ち物からブロックが消えていることに気付く。いつの間に操作したのだろう。ルール違反が一瞬頭をよぎったが、チームメンバーが隣り合って過ごすことは珍しくない。むしろそれが出社のメリットだ。


「侵入防止だ。飛び越えろ」


 ゾンビピグリンの侵入を防ぐためだろう、高さ2マスの柱を超えるためのアスレチックもついているので早速飛び越えて。


 意図も状況もわからないまま、美咲はただただ走り、跳んだ。

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