18

 かすかに雪が積もり、植物もまばらで。

 標高は120を超え、雨の代わりに雪が降って。

 起伏も激しくて、踏み外せば一撃で落下死するほどの高低差も少なくない。

 そんな冷帯――吹きさらしの丘を越え、多少木々が増えてくる森も通り抜けると、いよいよ高度が下がってくる。


 忍と美咲は水バケツに持ち替えて、バシャ、バシャと飛び降りていく。

 中には高さ20を超える飛び降りもあったが、水バケツ着地は重点的に練習したテクニックの一つだ。美咲は失敗もなくこなしている。忍は演技のため何回か失敗した。

 むしゃむしゃと肉を食べる忍に、「早く行きますよ」ウサギ着ぐるみのパンチが入る。PvPはオフのためダメージやノックバックは無い。


 原生林のバイオームに入るが、すぐに深くて大きな穴に迎えられる。

 これも水バケツ着地で手早く降りていく。水を垂らして流れに乗るやり方もあったが、IGLたる忍の指示で採用しなかった。


 滝のように垂れたマグマのおかげで穴は明るく、程なくして底にまで到達。既に高さYはマイナスになっている。

 先も広い洞窟が続いているが、真っ暗であった。松明もなければ石炭も取っていない。とはいえマイクラの暗闇はたかが知れており、目を凝らせば何とか見える。


「俺と並走しろ。抜かしてもいい。MOBは一切無視して、地面に空いた穴には気をつけろ」

「わかりました!」


 ゾンビのうめき声やクモの鳴き声、接近されたクリーパーの導火音や憎きスケルトンの放つ矢まで、レースは一気に慌ただしくなっていた。

 忍はともかく、美咲も意外と冷静でダジャブ――ダッシュジャンプブロックを差し込む余裕もあった。


「洞窟移動の練習してて良かったですね」

「MOBも落ち着いた。肉食うぞ」


 焼き豚を消費して満腹度を回復させる。満タンになれば、その余剰分がダメージの回復に充てられる。体力ゲージのハートマークがピカピカ反応して血色が戻っていく。


「退屈な練習に付き合わせて悪かったな」

「いちいち拾わなくてもいいのに」


 美咲が忍の方を見てくる。

 忍も迷ったが、パートナーを堂々と観察できるチャンスでもあるため、あえて振り向いた。

 ふわっと微笑する後輩を前に、忍も同じ表情を返す。


「先輩って意外とコミュ障じゃないですよね」

「そう言われたのは初めてだな」

「ちゃんと反応してくれますし、不思議と親近感も湧いてきます」


 洞窟内は起伏や凹凸は緩やかであり、薄暗さとMOBに気をつければ難度はさほどでもない。

 美咲もその事に感覚的に気づいているのだろう。パフォーマンスも落ちていないし、むしろ安定しているまであった。本人の言う通り、喋りながらの方が強いらしい。マルチタスク脳なのだろう。配信者の資質だ。


 なら雑談を遮る必要はなかった。

 本当は極力黙ってプレイしたいし、IGLになるなら絶対王政的に制御したかったが、このレースは美咲にかかっている。忍は我を抑えて会話を回す。


「すでにスクラボでお互い自己開示しているのと、あとは同調効果ミラーリングだな」

「え? 狙ってやってたんですか?」


 相手と同じ仕草を真似すれば親近感が湧くという心理学的テクニックである。


「当たり前だろ」


 とはいえ忍としては、必要以上に仲良くなりたいわけでもないため、故意にテクニックに頼ってますと主張することで一線を引こうとする。

 対する美咲は、あははと可笑しそうに笑った。どころか「いいなー」などと意味深なことを呟いている。忍は聞かなかったことにして、画面に現れた変化に食いつく。


「溶岩湖だ」

「……本当ですね。明るい」


 地下深くには大きなマグマの湖が生成されることが多い。


「水を流して黒曜石足場をつくる可能性も想定してくれ」


 視界が少しずつ明るくなっていき、やがて――


 マグマによる明るさと洞窟の暗さのグラデーション。天井は高く、それを支える深層岩の太柱が無造作に立っている。アクセントとしてわずかに砂利や鉱石も見えている。


「ああ、壮大な景色」

「そりゃまあマクロソフトの天才エンジニア達が練りに練ったアルゴリズムだからなぁ」


 マイクラがマクロソフトに買収されて久しいが、だからこそ細部のクオリティが上昇した。

 洞窟を始めとする地形の生成はその典型例だと言えよう。ランダムに、しかし人間が見ても違和感のないように、さらにプレイヤーが無理なく移動できるように、かつ飽きないように多様なパターンを生成するのは非常に難しい。


 眼前の巨大溶岩湖はワールドボーダー内全域に広がっている。ここを通るしかない。


「美咲、ベッドを置いてくれ」


 置いてもらったベッドをすぐに叩く。

 リスポーン地点の設定である。これで仮に死んだとしてもここから復活できる。


「黒曜石足場をつくる。タゲは頼んだ」


 タゲとはターゲットの略であり、MOBの標的になれ、つまりは囮になって時間を稼げと言っている。


「任せてください」


 美咲もすぐに便乗した後、忍を背にしてMOBと向き合う。

 ゾンビとクモとクリーパーが計6体。飛び道具持ちのスケルトンがいないのが幸いだった。


 美咲がタゲを買っている間、忍は地面に水を垂らしてはすぐに回収し、を繰り返すことでマグマに水を流し込んでいく。溶岩湖のような溜まったマグマは、水を受ければ黒曜石になる。これを繰り返せば足場が広がっていく。


 やがて対岸が見えてきて、ネザーゲートも見えてきた。

 黒曜石が3個ほど足りない。マグマや水をバケツで運んで自分で埋めなければならない。


「ネザーゲートがあったぞ。

「はい!」


 忍は出来かけのゲートの上部から水を垂らし、空になったバケツでそばのマグマを拾ってはその水のそばに流すことを三度ほど繰り返す。

 中継の目がいつ来るかわからないため速度は抑えたが、それでも手さばきに迷いはなく、美咲がつく前にネザーゲートは完成した。何なら点火もしているし、ベッドを置く余裕さえあった。無論、ノブの驚異的な観察眼から間に合うと判断したこと、また今現在MOBを巻いている最中の美咲にもこちらの画面を見る余裕が無いと確信してのことだ。


 まもなく美咲も到着。


「小さいですね」


 大会などイベントで事前設置されるネザーゲートは大きめ、かつ派手めになりがちだ。美咲にはそれがわかるだけの感性があるらしい。忍は油断ならないなと内心感心を抱いた。


 美咲のリスポーン地点設定を待った後、二人揃ってゲートに入る。

 紫色のもやがうねうねと空間を捻じ曲げ――


 赤みがかった世界へと足を踏み入れる。



>チーム13は4位です。



 ネザーは中間ポイントであり、自チームの現順位が知らされるようになっている。


「4位!? ミスってないですよね?」


 忍の微妙な小細工が絡んでいる。たとえば溶岩湖を渡る時にペースを落とすなど、ここに至るまで少しずつ時間稼ぎを差し込んできた。無論、独走しすぎて目立ちすぎるのを防ぐためである。


「焦るなよ、ベストを尽くそう」

「はいっ」


 二人はもう走り出していた。


 初期地点はネザーの荒地。

 周囲には炎がめらめらと燃え盛り、殴らない限りは敵対してこない腐敗した豚人ゾンビピグリンがブヒブヒ闊歩している。地形は広いが、深層岩の小柱が松明付きで建っているため進行方向はわかる。

 美咲は何も疑っていないようだが、忍はすでに視点移動を駆使して周辺探索を完了していた。


 後方、南側は行き止まりで溶岩湖が広がっている。進行方向は北側だが、東西にも地形は伸びているようだ。ワールドボーダーが敷かれていないのも気になる。


「まあそうなるか」

「先輩?」

「描画距離固定だから遠くまで見えないなと」

「そういえばボーダーも無いですよね」


 制作上の理由だと忍は推察する。

 ネザーは地上以上に地形が険しく、かつ少なく、幅50マスの制約では「どこにも足場が無い」状況が頻発しかねない。今回のコースはマクロソフト側で用意されたものだが、方針上、自然生成された地形には手を入れないだろうし、足場づくりブリッジングで競わせる意図もあるまい。それではコースにならないため、ボーダーで区切るのはやめて、松明つきの柱でガイドすることにしたのだろう。


「こっちだ美咲」

「あっ、すいません」


 コースはかなり変則的で、地上で直進していたのが嘘のよう。

 美咲は早速次の柱を見失っていた。ネザーでの探索には慣れていないのだろう。地上や洞窟とは色合いが違うため、目ざとい上級者でもネザーでは通用しないことがある。日常的にエンドラ討伐をしているような物好きでもない限り、中々養われない。


「俺についてこい」


 忍の指示に、美咲も行動で応える。

 二人並んでぴょんぴょん跳ねながら荒地を駆けていくが――高低差も激しい。階段ブロックを登るかのごときジャンプが早速続く。


「ブロックは温存したいが、時間食いそうなら遠慮なく使え」

「臨機応変ってことですか? 私が嫌いなアドバイスの一つです」


 思わぬ地雷を踏んだらしい。

 ラキと同じことを言っているのもあって、忍は思わず吹き出す。


「何笑ってんですか」

「何でもない。可愛いなと思って」

「か、かわっ……」


 唐突のダメージ音。美咲が少し踏み外して4マス下に落ちたのである。「何してんだ」美咲はすぐにブロックを積んでリカバリーしつつも、隣の忍を睨む。


「迷うなら遠慮なく使え。人生は温存よりも投入だ」

「先輩ってエリクサーも躊躇なく使うタイプですよね」

「そりゃ使うだろ」

「私は温存しちゃいますねー……」

「エリクサー症候群だな」


 RPGにはパーティー全員を全回復させたり強化させたりするような超貴重アイテムがあるが、これを使わず温存し続けてしまう者が相当数存在する。

 ビジネスの文脈でも登場するくらい有名な言葉であり、ため込み症や汚部屋といった特性との関連を調査した論文まで存在した。


「ぶっぶー。正式名称はラストエリクサー症候群でーす」

「細かすぎて草」

「先輩の真似ですよ? スクラボでよく細かい指摘してくるじゃないですか」

「スクラボは別にいいだろ。読むだけだしスルーもできる」


 ずいぶんと高所まで登ったが、地形が開けてきた。

 マグマの滝や川が目立ち、進行方向にもがっつり流れている。


 そこに忍は躊躇なく突っ込み、ダジャブで飛び越えていく。


「先輩危ないっ!」

「いや大丈夫だし、美咲の方が上手いだろ」

「念のため念のため……」


 逆に美咲は尻込みしてしまい、3マス積んでから飛び越えていた。


「満腹度は回復しとけよ。次はピグリン要塞っぽい」

「あー……苦手なやつ」


 豚人ピグリンが大量に生息する箱型の建造物。

 中は入り組んでおり、さしづめ立体的な迷路であるが、パターンもあるため、慣れたら作業である。


 荒地から地続きではあるが、内部を突っ切るのは危険性が高い。

 よく周囲を観察すると、目印の柱は要塞内部の他、外側にも一本立っていた。見上げなければ気づかない位置だ。


「上から行こう。ここに俺と一緒に乗ってくれ」

「一緒に、ですか?」


 ピグリンや獰猛な豚ホグリンがちらちら見えている中、忍は土ブロックを一つ置き、その上に乗る。

 後続していた美咲もすぐに追いつき、飛び乗った。


「スペースキーを押しっぱなしにしてほしい。俺が足場を積み上げる」

「ブロックの節約ですね」


 美咲がその場で跳ね始めたところで、忍もタイミングを合わせて飛ぶ。

 ジャンプの周期を美咲と同期させて、それからブロックを積み上げていく。


 ジャッジャッ、ジャッジャッ、と一定のリズムで積み上がるブロック。「凄い……」美咲の呟きは無視して、積むことしばし。天井が見えてきた。


「まだ動くなよ」


 足場を2マス2マスの4マスに延伸した後、半シフトで通路を伸ばす。

 弓持ちのピグリンはいないため撃ち落とされる心配はないが、ホグリンは2体。すでに興奮しており、こちらをる気マンマンだ。


「助走つけて飛び降りて、そのまま突っ切るぞ」


 忍はもう飛び出していた。美咲もすぐに続く。

 ホグリンに追いかけられ、途中ひょこっと出てきた剣持ちのピグリンも加わるが、ダッシュジャンプの方が速い。美咲も慌てず突っ切れたようだ。


「すぐに3マス積め」

「はい!」


 忍にはすでに次の地形が見えているが、早すぎる状況判断は非凡だ。あたかも今から先を観察する素振りで、しばしきょろきょろして、


「地形はなだらかで普通に走れる。先は赤森だ」

「あー……」


 真紅の森。

 『赤森あかもり』とも呼ばれるが、赤い草木の生い茂った視界の悪いエリアであり、地形もでこぼこしていて、ピグリンとホグリンが多い。危険地帯として嫌うプレイヤーも多い。


「ホットバーは整理しとけよ。できたら行くぞ」

「大丈夫です!」


 忍は隣の画面をチラ見する。

 土ブロックも無駄無く束ねているし、無駄な空スロットもなければゴミアイテムも持ってない。隙を見て几帳面に整理したり捨てたりしていたのは何度か見た。


「少しダメージを食らうが、ダッシュジャンプで飛び降りろ」

「結構高くないですか?」


 死なない程度ではあるが、崖にはなっている。

 後方、というより真下にはもう豚が群がっている。


「ハート4つくらいだな。早くしろ」


 早速忍が飛び降りたので、美咲も追従する。忍は癖で視点切り替えをしており、美咲がダッシュせずに飛んだことを認識した。とはいえ崖の下にMOBはいないので問題はない。

 着地した美咲を待って、すぐにダッシュジャンプを再開。


「赤森の前で肉を食べて、その後はノンストップで突っ切る」


 まもなく真紅の森に到着し、焼き豚を食べた二人。

 側方から剣で斬りかからんとするピグリンは無視して、前進を再開する。

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