13

 午後一時前。

 忍が戻ってきても、二人はまだ居座っていた。

 少し距離をおいて眺めてみると、わざわざテーブルと椅子をつくって、二人仲良く並んで座っている。しばらく眺めていると、テレポートコマンドを打たれて目の前に引き寄せられた。


「堀山君。やり方変えた方が良いんじゃない?」


 高奈のアバター――パンダを意識した白黒模様の女の子が腕を振っている。その先は向かいの席。座れと言っているのだ。


 おとなしく腰を下ろし、二人のアバターと向かい合う。

 正面は高奈のパンダ女子。左手には美咲のウサギ着ぐるみ。青空教室ならぬ青空カフェではあるものの、業務とは思えない、ファンシーな光景だった。


「やり方? 何の?」

「練習の。習うより慣れろが良いと思うけど」

「具体的に言ってほしい。わからん」


 はぁ、の嘆息の後、


「社内外のアスレチック系のサーバーで実践練習した方が良いんじゃないの、と言っています」

「ありがとうございます。意味は理解しました」


 おかしなやりとりに、ぶはっと吹き出したのは美咲だ。


「宮崎さんも注意してね。見ての通り文脈コンテキストを汲み取れない奴だから、ちゃんと言わないと通じない」

「書けば通じますよ」

「スクラボ? 物好きねー」

「高奈さんもどうですか? 慣れたら楽しいですよ」

「遠慮しとく。否定はしないけど、書くだけじゃ限度が――」


 ビィィン、と机に矢が立つ。


 忍がわざわざ立ち上がって、わざわざ弓と矢を持ち、わずわざ下を向いて放ったのだ。


 発射に限らず、マイクラ内では色々なアクションが行える。

 たとえ会話で割り込めずとも、こうして行動すれば注目を集めることができた。クラバー用語ではアテンション・アクション、略してアテンションと呼ばれる。


「それで、そう主張する理由は?」


 険悪な空気にならないのは、互いによく知った仲だからだろう。

 忍とて完全に読めないわけではない。このメンツだからこそ遠慮せずアテンションを放ったのだ。


で普段ゲームもしない堀山君はわからないかもしれないけど、技を個別に練習するよりも実践を重ねた方が成長しやすいのよ。特にマイクラはランダム性の強いゲームだからなおさら」

「ランダム性?」


 美咲の問いに、「うん」高奈が続ける。


「遊ぶ度に地形もアイテムもMOBも違うでしょ? 一応シード値の概念はあるけど、基本的に同じシチュエーションは二度と来ない。だから毎回臨機応変な対応が要求されるの」

「先に個別練習して、慣れてから実践にしても良いと思いますが」

「間に合わないわよ。プロや上手やゲーマーならともかく、私たち一般人には臨機応変に対応できるだけの反射神経がない。ないから、さっさと実践を繰り返して養わないといけないの。本番まで時間無いんでしょ?」


 論破されたと解釈した美咲が、ギギギッとこちらを向く。

 そのリアルな動きだけでもマウス操作に習熟していることがわかる。


 高奈は見てのとおり、普段から余裕があるし、好奇心も旺盛だ。去年の美咲のプレイも見ており、美咲がゲームにもマイクラにも慣れていることは知っているのだろう。


「それでアスレチックを練習する、と」

「そっ。アスレチックはとっくに開拓されきったメジャーなジャンルよ。社内だけでもサーバーはたくさんある」

「却下だな」


 忍は喋りながらも、手元ではスクラボを操作していた。

 以前書いた覚えがあった気がして、ページを探しているのだ。


「なぜ?」

「ちょっと待って、スクラボで探してる」

「今言って。確固たる思いがあるなら、すぐ喋れるはずよ」


 その物言いは受け入れられない忍だったが、今反論することではない。見つからないため、諦めてクラバーのウィンドウに戻ってきた。二人から見れば、固まっていた忍のアバターが息を吹き返した。


「まずレースとアスレチックは違う。対人格闘でたとえるなら、レースがガチの殺し合いなのに対して、アスレチックは武道の試合――いや試合ですらないな、ただの演舞だ」


 世界随一のプレイヤースキル持ち『ノブ』の台詞でもあるが、二人が知る由はなく、もちろん高奈も知るはずがなくて、


「それは大げさじゃない? 全く同じとは言わないけど、アスレが上手い人が例外なくレースも上手いように思えるわ。普段結構動画見てるけど、そう思う」

「私もそう思います」


 着ぐるみとパンダが向かい合ってうんうん頷き合っている。


「因果関係が違う。アスレチックが上手いからレースが上手いんじゃなくて、レースが上手いとアスレチックもできるんだよ。暗殺者の格闘は、演舞にもひけを取らないほど美しい」

「やたら物騒なたとえはさておき、そうかもしれないわね。私も断定できるほど習熟してるわけじゃないけど、堀山君の主張にも感じるところはあったわ。レースとアスレは違う――そうだとしましょう」

「次にレースは通常のプレイとも違う。レースには戦闘も整理整頓もクラフトもPvPも要らない」


 PvP――プレイヤー・バーサス・プレイヤーの略で、単に殺し合うことである。対人攻撃の可否は設定項目の一つであり、ワールドやレギュレーションによって変わってくるが、マイクラオンラインなど対戦のシチュエーションでは明示的に許可されていることが多い。


「戦闘とPvPって同じじゃない?」

「MOBと戦うことを戦闘と言った。話を戻すと、そういうわけでレースに必要な要素はずいぶんとシンプルになる。基本的な技の洗練具合が勝敗を分ける」


>なるほど~


 美咲が手を打つ絵文字つきのチャットを垂れ流している。


>スクラボに書いただろ


 忍が返事をしている間にも、「シンプルなのは同感だけど」高奈もまだまだ引く気は無さそうだ。


「それでも実践で養わないといけないと思う」

「そうだろうか」


 高奈の動きと発言が止まった。


 傾聴の姿勢。


 十年以上前、新人研修時のグループワークではそうはならなかった。

 空気を読まずに一人だけ折れない忍と、皆のためにしつこく食い下がる高奈。彼女の涙目と叫び声――

 それが今やマネージャーにまで昇進し、社内でもシングルマザーを公言してその手の講演会やインタビューも行うほど有名になった。若手有望株の筆頭なのは間違いない。

 そうなると多忙となり、余裕もなくなり、未だに平社員でしかないような相手の情報など見向きもしなくなるのが常だ。それが忍が散々体験してきた常識であった。


 実を言うと、忍はそろそろ折れようと思っていた。

 無駄に熱くなる必要などないし、下手に自分を出せば身バレに繋がる。ノブの知名度を考えるなら石橋を叩きまくってもばちは当たらない。


 それでも隠すのはやはり窮屈で。

 真剣な同期には真剣に返すのが誠意で。


「養わないといけないのはイレギュラーが起こるゲームだと思う。マイクラで言えばPvP、別のジャンルで言えばFPSがまさにそうか。人を相手にしたゲームは、基本的にイレギュラーが起こる。それもかなり強いもので、素人はびっくりするだけで何もできなくなる」

「そうそう。それが言いたかった」

「俺はこれをハイパーイレギュラーと呼んでいる。わかりやすく言えば、女性が痴漢や盗撮に遭ったときに動けなくなるのと同じだな」


 ちなみに忍の造語であり、ティーラーズ側のスクラボでも定義のページがつくられていたりする。


「結論を言って」

「今回のレースにイレギュラーは無い」

「根拠は?」


 忍は全体チャットでスクラボのURLを共有した後、


「今回の背景はもう考察してある。この案件では、レースに関する純粋なプレイヤースキルが求められる」

「PvPは含まないってことね」

「ああ。陸上で言えば個人競技の形式になるだろう。それもマラソンみたいに一緒に走ることすらない。出場チームごとにコースとなるワールドを複製して、同時にスタートさせるはずだ」

「……見れないんだけど」

「考察したって言いたかっただけだよ。二人きりのプロジェクトだから中田さんは見れない」


>宮崎さんこっそり招待して


>おけまるです


>おけまるじゃねえよ、いいわけねえだろ


 こっそり行われているチャットの方でもしっかりと釘を差しておく。

 あのスクラボは、忍が美咲というただ一人の読者を想定して書いたものだ。美咲もまたそうだろう。この想定公開範囲を乱す行いは一発で信頼関係を壊す。

 もっとも、これは高奈のジョークである。美咲向けに場を和ませる意図もあるのだろう。


「中田さんの心配は正しいと思うが、それはハイパーイレギュラーに対してのものだ。今回のレースでは要らない」

「理屈はわかったわ。でもその考察の信ぴょう性がわからない」

「というわけで宮崎さん、判断してくれ」

「え、私でぃすか!?」


 振られるとは思わなかったのだろう。

 しっかり噛んだのも二人とも聞こえていたが、スルーする程度の良識は持っている。


>逃げたわね


>エビデンス至上主義は嫌いなもので


>データと信ぴょう性は大事よ。だからあなたの意見は聞いてもらえない。


>平社員を脱せないのよ!


>別にこのままでいいし


>強がり乙


 あ、えっと、などと美咲が狼狽えている間、チャット欄が少しの賑わいを見せた。

 美咲は意思決定を下す重みに辟易していたのだが、そのやり取りを見て、「ふふっ」相好を崩す。


>落ち着いた? これが狙いでした


>嘘つくな


「ありがとうございます高奈さん」


 すぅっと息継ぎ。

 音声も、チャット欄もぴたりと止んで。


「先輩の方針を継続します」

「……了解。宮崎さんが良いなら文句はないわ」

「文句だったのかよ。終わったなら練習再開するぞ」

「わっ」

「……わ?」


>中田高奈がログアウトしました。


 美咲のリアクションはシステムメッセージの前であり、高奈がいなくなったことに対するものではない。忍には意味がわからず、オウム返ししかできなかった。


「いいですね。先輩の、そういう口調」

「あ、ああ」


 同期相手のぞんざいな口調を美咲に向けてしまったのだと気づく忍。


「いいから練習しよう」

「ふふふっ、無理して取り繕わなくてもいいんですよ?」


 少し迷ったが、仮にこの大会に上位入賞して案件を勝ち取った場合、今後も美咲との仕事は続く。ある程度親しい方が何かとやりやすいのは間違いあるまい。


 そもそもノブであることを差し引けば、自意識過剰であろう。

 33歳平社員、彼女いない歴=友達いない歴=年齢の童貞である。大手のJSCではあるものの、いや、だからこそ際立つ魔法使い感。女だろうと、男だろうと、誰も寄ってくるはずなどないのだから。

 ノブであることがバレさえしなければいい。それだけだ。


 というわけで、忍はこう答えた。


「別に取り繕ってはねえよ」

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