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「チームは最低二人だけど、人員に余裕は無いからあと一人かな。君が選んでいい」

「私が、ですか……」


 有給休暇により忍が不在の朝。


 美咲は上司品川から呼び出しを受けて、件の案件にアサインされることとなった。

 大田グループのワールド、そのオフィスの広間にて、ベンチに並んで座っている。近接しているため、クラバー内蔵のボイチャ機能が使える。それで話している。


「本番は五月六日金曜日。期間が短い上に前日までゴールデンウィークだから、あまり練習はできない。宮崎さんがやりやすい相手を選ぶのが第一だろうね。あとは、プレイヤースキルも必要だから若い子の方が良い」


 上司の自分を選んでくれるなよ、と遠回しに圧をかける品川。

 読み取れない美咲ではない。状況から考えると該当者は一人しかいないのだ。ならはっきりと言えばいいのに、言わないというのは、当人からの反論を恐れているのだろう。あくまでも明言を避け、美咲に判断してもらうことで責任を美咲になすりつけている。


「わかりました。決定したらお知らせします。今日中でいいですか?」

「いいよ。それじゃよろしくね」


 品川は立ち上がると、ダッシュでフロアを駆けて行った。机を飛び越えたりしているが、現実はともかく、マイクラ内では許される。

 今日は部長の大田もログインしているため、そちらにつきっきりのようである。


「……」


 美咲も立ち上がるが、その場で動かなくなった。

 同僚と何人かすれ違うが、声を掛けてくる様子はない。忍ほどではないが、美咲も腫れ物扱いである。学生時代からそうだったから今さら気にはしない。


 美咲の脳内は作戦を練っていた。

 誰を選ぶかは決まっているが、納得できる理由を提示できねばおそらく受けてもらえない。どころか彼は自分なりに適切な対象を考察して対象者もとい犠牲者を導いてしまうだろう。いつものように長文テキストを書いて、Teamsで送りつけるのだ。「うう」またギスギスが加速するかと思うと、気が重くなる。


 リンゴンとチャイムが鳴る。クラバー内と、出社中のJSCタワーフロア内の両方――正午が来た。

 激混みの食堂に行く気にはなれない。

 美咲はあとで食べようと即決して、悩むのを再開。その素振りはアバターにも反映され、無意味にオフィス内をうろつき、ドアを開け、チェストを開き、トラップドアを開閉したりなどしている。ちなみに頭痛の種多きホワイトワーカーには珍しい光景ではないため、仮に見られたとしてもスルーされやすい。


 管制室コントロールルームと呼ばれる部屋に来た。

 このワールドに関する各種データやログを閲覧するためのランチャーブロックが揃っている。


「そういえば初めてですね、ここ」


 対忍向けの理由がすぐに思いつくとも思えず、美咲は漁ってみることにした。


「――データには表れるんだなぁ」


 クラバーはバーチャルオフィス製品なだけあって、社員の交流傾向に関するデータも豊富だ。生データ単体だと理解は厳しいが、昨今ではデータ分析技術も洗練されており、統計レポートとAIサマリーだけで事足りることが多い。


 美咲のボイチャ量および頻度は、昨年よりも明らかに落ちている。忍と組んでからである。

 その忍に至っては、何年も前から圧倒的に最下位――少なさで競うならダントツであった。


 美咲は時折生データも覗きつつ、気づけば三十分以上をそこで過ごしていた。


 このサーバーのイベントに関するログに差し掛かる。

 スクロールしながら眺めていたが、ふとひっかかりを覚える。


「見当たらない……? もしかして」


 観点として死亡ログ、そして忍をセットし、フィルタリングを試みる――


「該当無し……」


 このワールドで忍は


 そんなことがありえるのだろうか。

 美咲もマイクラ経験は豊富だ。マイクラオンラインで言えばストーンレベル3――七人に一人といわれる中級者帯程度だが、クラバーの経験もある。何年も過ごしていて、一度も死なないなどまずありえない。



 ――>冒険も建築もマジで何もしてないよ



 去年のメンター田中の発言を思い出す。

 それならば納得できないことはないが、JSCはさっき美咲が受けた仕事がまさにそうであるように、マイクラの仕事も請け負う会社だ。色々なイベントや活動もあり、マイクラ内でもそれなりに動く。大田ワールドも組織の一部であり、例外はないはず。


 美咲は無意識のうちに額の汗を拭っていた。

 指先が湿りを覚えたところで、拭っていたことに気づいた。

 が、美咲の長所の一つは鈍いことである――冷や汗をかいたという事実はもう無視されていた。


 忍にぶつける理由を脳内で組み立て始める。






 遅めの昼食を取り終えた後、美咲は忍が過ごすダークオークの森をエリトラで滑空する。

 このあたりは誰も足を運んでいないらしいが、所々板材ブロックが散らばっている。美咲であってもアスレチックっぽいとは理解できた。その割には統一感もなく、視覚的なこだわりも皆無に等しくて投げやり、いや即席感が強い。


 間もなく目当ての人物が見えたため着陸する。


「こんにちは。今、お時間大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃない。スクラボに書いてくれ」

「ではお隣、失礼します」


 美咲のアバターは忍の隣に階段を置き、腰を下ろした。

 これ以上喋れば集中を理由に拒絶されるだろうが、黙ってそばにいるだけならさすがの忍も何も言えない。美咲は仕事仲間ワークメイトであり、同じ場所で過ごすこと自体に何ら不自然は無いのだから。


 正面にランチャーブロックを置いて、スクラボを呼び出す。

 忍も居座っているようで、次の仕事候補を洗い出しているようだった。一昨日にChatGPTの調査報告書を提出したばかりだが、まだしばらくは調査が続くらしい。特定の顧客がついているわけでもなく、どんな情報をどれだけ伝えればいいかは忍が考えなくてはならない。正解の無い仕事が美咲は好きではないが、忍は好きらしく、嬉々として遊んでいる節さえあった。


>知らない用語ばかりです……


>どこから勉強すればいいですか? 私の仕事は? まだモラトリアムですか?


 美咲はこっそり書き込んだ後、そのページからは去る。

 応答を待つ必要はない。そのうち忍が何かしらコメントをくれるはずなので、またあとで見ればいい。そうやって非同期的に各自のペースで紡いでいくのが忍のスタイルだ。非同期コミュニケーションと呼ばれるらしい。


 美咲にもやることがある。


 新たにページをつくり、温めてきた持論を書き込んでいく。

 清書も要らなければ体裁さえ不要だ。スクラボは行指向的なツールであり、箇条書きで情報を書き並べるイメージで使うのが良いとされる。忍曰く、一度慣れたら二度と戻ってこれないらしいが、美咲もその居心地を知りつつある。

 何せパワポでつくると一時間かかる資料が十分じゅっぷんとかからないし、これだけラフでも、顧客や幹部はともかく、同僚には十分じゅうぶん伝わる。


>実は次の仕事があります → <URL>


 クラバーの個別チャットでページのURLを共有した後、美咲はいったん両手を離して水分と糖分を補給。

 今日も出社しており、気分転換も兼ねてリフレッシュコーナーの近くを陣取っている。さっきから人をダメにするソファが視界にチラついており必死に抗ってもいた。

 が、結局抗えず、フラフラと向かうこととなる――


 しばらく満喫して、席に戻る。


 スマホを見た限りでは、二十分ほどくつろいだようだ。

 他のチームではこうもいかないだろう。こうしたゆとりを味わえるのも、忍との仕事が非同期コミュニケーションベースだからだ。もちろん忍からお叱りを受けることもない。


 席に戻り、スクラボを確認すると、忍のカーソルが慌ただしく動いていた。


 サマリーと書かれた行に以下四行がぶら下がっている。


>了解。


>この仕事の名前が欲しい → ひとまず【レース案件】とする


>現状把握したい → 【レース案件の文脈】


>この仕事の向き合い方も検討すべきだ → 【レース案件をどれだけガチるか】


「よしっ」


 忍は受諾してくれたようで、美咲は思わず小声をあげた。

 直後、聞かれてしまったのではと気づく。音量的には怪しいラインだったが、なんとなく、聞かれている気がした。その上でスルーをしてくれているのだと美咲は感じた。


「聞き耳立ててくれてるのはありがたいです」

「そりゃどうも」


 発言になると途端に淡白になるが、無視されないのは非常に心強い。去年のメンター田中は、忙しさにかまけてか普通に聞こえてなかったことが多々あったし、ひどい時は確信犯的にスルーを決め込んできた。


「本当に助かってます」

「そいつはどうも。暇なら文脈のページを拡充してもらえると助かる。品川さんから聞いたことは全部出力ダンプしてほしい」

「だ、だ、ダンプ? ダンプカーですか?」

「出力するって意味」


 忍のカーソルを見ていると、案の定、【ダンプ】という文字列をつくっている。この括弧で囲むとページリンクになるため遷移できる。早速移動してみると、もう辞書的定義を引用しているし、ChatGPTに尋ねた結果も貼り付けようとしている。

 行動が早ければ、操作もタイピングも速い。

 このスピードで反論や指摘を書かれるとしんどいが、基本的には頼もしかっ――


「え? なんで消すんですか?」


 全選択からのデリート、でもしたのだろう。本当に一瞬で内容がクリアされていた。


「自分で手を動かさないと定着しない」

「……いじわるです」


 スクラボはノートとしても使える。業務中わからなかったことは都度調べて、こうして書くことで定着していくし、それができるだけのポテンシャルがスクラボにはあった。

 忍という人間は、その哲学を地で行っている。

 鼻につくことも少なくはないが、「はぁ、わかりました」美咲は露骨な嘆息を混ぜるだけに留めて、一応従うことにした。

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