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 JSC東京本社は港区に存在し、JSCタワーと呼ばれる。

 外観と来訪者フロアはきらびやかだが、実態は典型的な高層オフィスビルにすぎず老朽化も目立つ。パンデミックにより一時期は閑散としていたが、一応の落ち着きが見られ対面の重要性が再認識されてからは出社勢を増やしている。


 宮崎美咲も出社派で、今日もミーティング可能なフリーアドレスゾーンで細々と過ごしていた。


「……先食べちゃお」


 時刻は午前11時7分。

 フルフレックスのため、別にいつ食堂に行っても良いのだが、同社は生真面目な社員が多く、ここ本社でも十二時台が激混みする。美咲もそのタイプであったが、一時間近くも早く動けているのは忍の影響だ。


 食堂とは六フロアほど離れているが、階段を選ぶ。

 本人は無自覚だが、これも忍の影響。


 見晴らしの良い食堂。

 時間もあって人はまばらだ。外国人も多い。併設されたカフェでコーヒーを楽しむ集団もいて、美咲もつられそうになるが堪える。食事とティータイムは規則正しく。コーヒーは食事の後。これも忍の影響だったりする。

 サラダメインの定食を取り、会計ゾーンへ。トレイを置いて社員証をかざすことで精算が行われる。


 窓際のカウンター席を選んで、一人黙々と食べ始めた。

 無駄に姿勢が良く、食べ方も綺麗で、スマホのながら見も一切しないのは実家の教育の賜物だろう。スーツ姿だが、初々しさは無く、むしろ風格さえ感じさせた。本人に知る由はないが、美咲のオーラは実はかなり近寄りがたい。


 と、そこにまっすぐ向かっていく女性が一人。

 こちらはTシャツにジーパン、とずいぶんとラフである。


「おつかれー」

「お疲れ様です」


 断りも無く隣に座ったのは中田高奈――忍の同期であり、既に二回昇進してマネージャーとなっている女性である。


「あ、お弁当。可愛いですね」

「娘がつくってくれたの。私より上手くて凹む」

「あはは」


 コンパクトな三段重ねは白米、おかず、果物のラインナップ。


 この二人は所属的にも業務的にも無関係で、社内ブログで繋がった仲である。

 去年、新人だった美咲の成果報告記事に忍が空気を読まない長文コメントを書いたのがきっかけで、美咲と彼女の同期VS忍の構図でレスバが繰り広げられた。美咲は当時から宮崎建設令嬢として知られており、コメントも同期以外からはついていない状態であったが、そこに割り込んで事態の収拾に図ったのが高奈だった。

 その流れで個別チャットを交わし、美咲もあっという間に懐いたことで今は友人関係にある。


 コンクリートジャングルを眺めながら、しばし食事に勤しむ。無言だが気まずさはないし、高奈はスマホをながら見している。美咲が横目で覗くと、YouTubeを見ているようだ。ティーラーズ――美咲でも知っている超有名マイクラ配信者グループ。


「何か気になることがあるの?」

「わかりますか?」

「普段はもっと騒がしいもの」


 スマホをしまう高奈。


 美咲はここ最近の仕事に関する愚痴をつらつらと吐き出した。

 ヒートアップしそうになる度に、高奈は「一口食べてもいい?」「これあげる」などと食べ物を使って抑え込む。美咲の扱いにはすっかり慣れたものだ。


「――なるほど、堀山君が構ってくれなくて寂しいと」

「だからそうじゃなくて!」

「んー?」

「いや、えっと……まあ、はい、そうなります……」

「認めたね」


 高奈はニヤニヤしていたが、不意に嘆息とともに真顔に戻す。


「男の趣味悪くない?」

「そういうのじゃないです!」

「いや真面目な話、アレは無いよ」


 同期の高奈だからこそ知っている。


「プライベートではもちろん、仕事でも関わらない方がいい」


 堀山忍という男はおおよそ会社員には向いていない。

 我が強すぎて協調性が無く、その癖メンタルも強いというモンスターである。

 組織の人間は、それなりの立場でなければ常に管理されるものだが、その管理を忍はまさに嫌う。上手く受け流し、上手く使える者でなければ場はほぼ確実に乱れる。もちろん新人時代の同期連中がそれほど有能であるはずもなく、研修のグループワークは散々だった。


 同期を集めたLINEグループや社内Teamsチームはあるが、忍は入っていない。忍だけが入っていない。あいつは入れなくていいだろ、というやりとりも堂々とされているほどだ。


「勉強になるんです」

「それはちょっとわかる」


 高奈は賢くもあり、忍が発信する有益な情報はしれっと取り入れていたりする。


「毎日毎日スクラボを読んでスクラボに書いてるんですけど、なんていうか、密度が濃いんです。こんなこと今まで体験したことがなかった」

「出たスクラボ。二人きりのスペースでしょ? 何ページくらい?」

「800ページ超えました」

「多すぎない? 一緒に仕事したの今月からでしょ?」


 仮に30日だとしても、1日26ページのペースとなる。SNSで呟くのとは訳が違う。


「実は炎上した後くらいから誘われてたんです」

「気持ち悪っ」

「高奈さんが場を収めてくれましたけど、私は納得してなくてDMを送ったんですね。そしたらこっちでやろうって」

「あー、堀山君っぽい」


 美咲の行動もずいぶんと大胆なものだが、そこは飲み込む高奈だった。


「会話にホワイトボードを持ち出してくる系男子」


 シャクッとりんごをかじる高奈。

 同意を得られるかと思い、友人の横顔を見るが。「え、なんで?」妙に嬉しそうである。


「最近わかってきたんです。こういうところが堀山さんの良いところなんだって」


 スクラボは高密度にテキストを書くことに特化したウィキである。

 書き心地も抜群であり、その気になればチャットなしでも仕事を完結できてしまう。二人は知らないが、実際に忍が属するティーラーズではそうなっている。


 スクラボには何でも書き込める。

 通知もなければ時系列もないため、空気を読む必要もない。

 まるでマイクラのように、テキストを積んでいける。テキストの建築が組み上がっていく――


 忍とは仕事の話をした。仕事論の話もした。

 会社の話、趣味の話から、センシティブな部分だと性の話もした。

 忍の考え方やこだわりもたくさん読んだ。


 自分を生きている人なのだ、と。

 美咲は日に日に関心を、そして感心も寄せていった。


「でも物足りないんでしょ」

「そうなんですよ!」


 大きな不満を一つ挙げるとすれば、会ってくれないことである。

 打ち合わせすらさせてもらえない。テキストコミュニケーションで行えるならそうすればいい、いちいち会議体を開催する意味がわからない、馴れ合いじゃないんだとは忍の弁。

 また上司の品川曰く、三年の付き合いだが一度も会ったことがないそう。


 一方、高奈は、新人研修時に何度も顔を突き合わせているが、今言っても刺激にしかならないので伏せておいた。

 同時に、やはり堀山忍への憧憬には懐疑的である。

 テキストにこだわるということは、それだけ対面に問題があるということだ。本人も自覚しているし、だからこそ取り繕わない。会ってくれるとは思わないが、仮に会えたとしても幻滅するだけではないか――。


「やっぱり――」


 と、喉まででかかったところで高奈は引っ込める。


「やっぱり?」

「ううん、何でもない。二つほどアドバイスするとしたら、まず一緒に仕事する機会を逃さないことかな」


 代わりに建設的な助言を授けることにした。


「堀山君、真面目ではあるから、仕事上の同僚ワークメイトである限りは途切れないと思う。この先チャンスもあるよ」


 たぶん、という補足も飲み込む。励ましに中途半端な修飾は要らない。


 言い終えた高奈をぽかんと眺める美咲。

 カチャッと箸が置かれて、


「ありがとうございます!」


 後頭部が見えるほど頭を下げられるのだった。

 何気に若い女の子の体臭も漂う。娘の美優もそうだが、若者は皮脂の分泌が多くて体臭として現れる。たとえ清潔にしていても、香水や服の香りがあっても、嗅覚の鋭い高奈は捉えてしまう。


 あぁ、若いんだなぁと。中学生の娘を持ち、外側も内側も老い始めている自分とは全く違うのだ、と急に悲しくなることがある。

 ネガティブは禁止、ポジティブは大事だと言い聞かせているし、善戦もしているが、それでも現実は見える。寄る年波は越えられない。

 三十代でこれなのだから、この先どうなるのだろうと考えただけでも恐ろしい。


 もちろん、こんな心持ちなど表に出すものでもない。


「お礼にそれ、もらっちゃう」

「あー、最後に食べようと思ってたのに」


 サラダな定食には貴重な鶏肉を強奪する様は子供のようで、美咲もつられてふふふと笑い合った。


「もう一つは何ですか?」


 高奈は口をもごもごさせながら、「呼び方を変えて距離を縮めることかな」言いつつも弁当箱をたたみ終え、奥にどけてから、どかっ両肘をついた。


「忍さん、とか?」

「それだと馴れ馴れしすぎてハラハラ食らうかも」


 ハラスメントハラスメント。

 ハラスメントの概念を逆手に取って、相手の言動を安直にハラスメントだと断じることで相手を責めるハラスメントである。モンスター社員がよく使う手口である他、JSCではハラスメント研修で取り上げる。当然、美咲も知っている。


「先輩、がいいんじゃない? うちはさん呼び文化だけど、堀山君にだけは先輩って言う。男ならグッと来るでしょ。知らんけど」

「知らないんですか」


 二人の談話は食堂が混雑し始めるまで続いた。




      ◆  ◆  ◆




 一方その頃、美咲や忍の上司である品川は自身の上司大田とリモート会議の最中だった。

 品川はマネージャー――いわゆる係長にあたり、六人の部下を抱える。大田は部長であり、品川含めいくつかのマネージャーを抱えている。社員数でいうと三十人。


「――こっそり棄権、というのは」

「ダメだね。もうフレッシャーのリストは掲載されているし、彼女を棄権させたらバックが黙ってない」

「勝又さんであれば言い分は聞いてもらえると思いますが」


 美咲には専属の執事がついており、勝又という。品川が応対することが多い。


「上の決定だからねー。何とかして、だと」


 とあるマクロソフト案件――マイクラオンライン絡みの仕事が振ってきている。

 プロジェクトメンバーは社内大会の上位成績者から厳選すると決まっており、当部署もエントリーの対象となっていた。その白羽の矢が大田グループに、そして品川に立ったのだ。


 それだけならどうとでもなるが、新人か二年目を必ず据えよとのルールがある。

 大田グループの場合、該当者は美咲しかない。しかし美咲は宮崎建設令嬢という爆弾であり、生配信もされる場で共に活動したい者など皆無だ。

 上司命令ならどうとでもできるが、誰に頼んでも恨まれるだろう。

 品川は無能ではなく、安易な保身には走らない。信頼関係は大事なのだ。外資大手の文化も取り入れつつあるJSCでは、もはや部下の信頼無しには昇進はおろか滞留もままならない。


「持ち帰らせてください」

「悪いね。頼んだよ」


 恩を売るために苦労を演じる品川。その腹積もりはとうに決まっていた。

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