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生成AI――ChatGPT。
インターネットに書籍に論文に、と人類の叡智を知り尽くし、医師国家試験や司法試験にも合格してみせるほどの精度を持ち、機械ゆえに遠慮も気遣いも無用で使い放題なエージェント。
そんな革新的な技術にもかかわらず、国内での活用事例は少ない。JSCのような大手でさえも限定的な開放や各部門での調査検討に留まっている。IT後進国とも揶揄される日本の現状を憂うエンジニアやエリートは少なくない。
忍はさして興味が無かった。
むしろそれで良いとさえ思っていた。なぜなら周囲が遅いからこそ、鈍いからこそ、このような仕事も生まれやすいからだ。
それなりに面白く、拘束も少ない仕事がしたいなら調査の仕事に限る。正解がなく、自分が一番詳しくなれるこの手の仕事は裁量も得られやすいし、状況もコントロールしやすいからだ。
新しい事物の勉強を嫌う者は多いが、日々情報の洪水に溺れて色んなゲームやコンテンツに手を出すのに比べたら、ずっとかんたんだろう。忍はそう思う。
もっとも、このような仕事が存在するのはJSCのような体力のある企業だからこそで、そういう意味では大手に入社できた忍は運が良い。
無論、こんな軽い志では上には上がれない。大して評価もされず、持ち前の頑固さもあってむしろ腫れ物扱いであり、したがって昇進とも無縁。
だがそれでいい、それがいいと忍は考える。
「――以上です」
「はい、ありがとうございます」
報告書のレビューが行われている。
ちなみにクラバーの大田オフィスの一室に集まっている。二人は向かい合っているが、忍の隣には美咲もいた。
「内容は問題無いと思う。コマンドの例やURLはちゃんと正しいか確認してるんだよね?」
「はい」
「あとは、うーん、なんていうか」
品川のアバター――ネザライト防具と
機械オンチだと全く動きがないことが多いが、品川は今どき珍しくもないオープンなオタクであり、ICTへの造詣も深い。マイクラもお手のもので、忍のダークオーク森の反対側には壮大な聖堂を建築していたりする。慣れた者のアバターには、操縦者の感情が割とダイレクトに乗る。
それが間もなく、忍を向いた。
「表現が全体的に拙いよね。ネットのブログ記事みたい」
「Qiitaの初心者記事みたいな?」
「そう。これはブログじゃなくて報告書だからさ」
「事業部門内で共有するだけですよね? 体裁よりもわかりやすさが重要です」
「限度があるでしょ。遊びじゃない」
品川がブンブンと腕を振る。
「真剣ですよ」
忍は顔をふるふると横に振って否定の意を示した。
「直してもらえないかな」
「俺に体裁を取り繕う要領はありません。このまま受け入れてもらうか、文言が気に入らなければそちらで直してください」
「そういう問題じゃなくて、君のために言っている。ちゃんとした文書は書けません、っていうのはそろそろ卒業してほしいんだけどさ」
「書けないものは書けないですね。人には向き不向きがあります。不向きの矯正は、俺のためにはなってません」
品川は忍をスルーし、美咲の方を向く。
JSCという大企業の管理職は、荒波を生きてきた戦士とも言える。部下の遠慮なき物言いごときにいちいち感情を乱したりはしない。
「宮崎さんはどう? 上手く直せたら、そっちを採用してもいい」
「品川さん」
「堀山さんは黙ってて。本当に内容は問題無いんだけど、このラフな文体はできれば使いたくない。私も技術者だから気持ちはわかるけど、これを読む人たちはもっと頭が固い連中なんだよ。読者のことは考えないといけない。君はできないし、私も余裕はないから、他の人に頼むしかない」
「お言葉ですが、読者のことを考えているからこそ、こういうラフな文章に慣れさせるべきです。お堅い文章は正直わかりにくいし、つくるのも読むのも時間もかかる。もっとラフでいいじゃないですか」
「どう、宮崎さん?」
まずいな、と忍は考える。
スルーされたこと自体はどうでもいい。
問題は美咲だ。
今朝ド直球なページを見せたばかりだが、美咲は仕事をしたがっていた。喜んで飛びつかれてしまっては、後のフォローが面倒である。仕事の配分も変わるかもしれない。
要は技術調査が美咲に移っていけば、忍の仕事がなくなってしまう。いや仕事自体は他にもあって、まず困ることはないのだが、忍が嫌なのだ。面倒くさい雑務やプロジェクト支援ばかりになる。向いていないし、面白くもない。
ここで美咲が動く――ウサギの着ぐるみを来たアバターは、頭を振って、
「せっかくですけど、遠慮しておきます。私はモラトリアムですので」
「モラトリアム?」
>余計なこと言わなくていいから。
>仕返しです。
裏で個別チャットをしつつも、ひとまず忍は安心した。
ようやく理解してくれたようだ。
「……わかった。報告書はこれで受理する。直すかもしれないけど、いいよね?」
「もちろんです」
「それと表紙に載せてる所属が間違ってる。いいかげん覚えてくれ」
日本システムコンサルティング テクノロジー推進事業本部 ゼロイチ事業部門 第二事業部署 大田グループ 品川ユニット――それが忍や美咲の所属だった。
ゼロイチとあるように、新しい技術を調査して手札に貯めたり、新規事業や社内改善の案を考えたりする部門である。大田部長抱える大田グループは三十人の集団で、何でも屋の側面が強かった。
それはともかく、大企業の所属はどうしても長くなりがちだ。ついでに言えばネーミングセンスもないし、わかりやすさも微妙。最近は組織改編も多く、なかなか覚えられないのは何も忍だけではなかった。その証拠に、美咲のアバターがフリーズしている。美咲はわかりやすい。
「善処します」
「覚えられないなら辞書登録するといいよ。辞書登録ってわかる?」
「わかります。その発想はありませんでしたね」
品川のアバターが椅子から立ち上がった。
「レビューはこれで終わりだけど、あと一つだけ――進捗定例会議を設定しないか?」
「断ります。グループのウィキに日報と週報を書いているので事足ります」
「毎回読むわけにはいかないだろう」
「いえ、それは怠慢です。読み書きだけで済むのに、あえて会議を、それも定期的な会議を設定するのはエンジニアの足を引っ張っています。この前も共有しましたが、マネージャーのスケジュールとエンジニアのスケジュールは違います。エンジニアは創造的な仕事であり、まとまった時間と集中が必要なんです。マネージャーがそれに合わせなきゃいけない」
「変わらないね。宮崎さんはそれでいい? 不満溜めてるでしょ?」
そっちが狙いか、と忍は悟った。
品川のように定期的に会議を開いて顔を合わせようとする者は多い。政治が絡む世界なら非言語情報が必要だから致し方ないが、忍達は違う。
自分達が快適に集中できるやり方を選ぶべきである。
この点で忍に妥協の二文字は無く、新しいチームが出来るとほぼ必ず衝突してきた。
宮崎もどうやら顔を見たいタイプのようである。というより、最近の若手は一緒の時間を過ごすスタイルを好む。ティーラーズの収録前の過ごし方もまさにそうだ。
しかし、これは
誰とでも友達になれないとの同じだ。合う、合わないはどうしてもある。
そんな好き嫌いを超越するには一つしかない。
単純な話、密に過ごせるのは同じ信者だけだ。
「どう?」
品川が結論を急いでいる。プレッシャーをかけて言質を引き出そうとしているのだろう。
美咲が忍のやり方に不満を持っていることは知っている。
上司の品川に相談していることも知っている。
今日ここまでのレビューでは率直な言い合いをしてきた。正直になりやすい空気もある――
状況が揃っていた。だからこそ切ってきたのだ。
品川は強かな管理職だ。というより、JSCの管理職級は間違いなく強かである。そうでなければ大手の管理職などなれないし、務まらない。
配信者の世界にも化け物は多いが、こうした世界にも化け物は多い。
世の中、化け物だらけだな――。
と、忍は自分を棚にあげて呑気なことを考えつつ、なりゆきを見守った。
てっきり美咲は品川に同調するかと思ったが、そうはならなかった。
むしろ忍に肩入れしていると捉えかねない勢いであり、品川は珍しく狼狽えていた。
報告を終えて、休憩をはさんで午前十時。
さっきと同じ部屋で、今度は忍と品川のマンツーマン。
キャリア面談という、半期に一回行う業績目標設定の場だ。
ここで決めた結果を元に昇給や昇進が決まるため、社員にとっては最重要イベントの一つと言えるだろう。
忍のスタンスは変わらない。
高望みはしないし、昇進を目指すつもりもない。
現場の裏で、縁の下の力持ちとして、自分に向いている各種調査や検討を進めるのみ。そのアウトプットをもって組織に貢献するのみ。ナレッジワークなのだから定量的な見積もりなどできやしない。目標は雑でいい。評価面談のときには正直に実績を書けばいい。
品川も最初は上昇志向を焚き付けたり、組織の流儀やキャリア上のベストプラクティスなども教えていたが、ついに去年からは完全に放棄した。
褒めもせず、否定もせず、一応忍の目標に対するアドバイスだけはひねり出すという形でスムーズにやりとりが進む。
本来キャリア面談は一時間を要するものだが、忍の場合は二十分とかからなかった。
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