3

 収録を終えた忍は、ちらりと壁時計を見る。

 午後八時半。


「中途半端だな」


 忍のルーティンは決まっており、午後四時にはJSCを退社、その後家事やトレーニングを済ませた後、六時から九時までは主にティーラーズで過ごす。その後、もう一度トレーニングかマイクラをはさんで、午後十時頃就寝。

 ちなみに起床は朝五時であり、七時間睡眠と若干少なめだが、寝付きのよい忍はこれくらいが最適だと結論づけている。


「クラオやるか」



 マイクラオンライン。


 『クラオ』とも略される、マイクラのオンライン対戦サービスである。

 その内容は指定ルール下で指定勝利条件を満たした者が勝ちという競技的なもので、同ランク帯のプレイヤーがマッチングされて対戦する。

 ルールや勝利条件などを定めた単位は『レギュレーション』と呼ばれ、現時点で何百と存在した。


 マイクラオンラインが重視するコンセプトの一つが原始的プリミティブであり、新規ワールドで一から開始する形態が多い。

 最も有名なレギュレーションはエンドラことエンダードラゴン――ラスボスの討伐だろう。


 エンドラ討伐は元々RTAや配信者企画として鉄板ネタであったが、その取り組みをオンラインゲームとして一般化してみせたのがマイクラオンラインの功績と言える。

 月間アクティブユーザー数は世界で5000万を突破しており、国内でも1000万を超える。マクロソフトにも少なくない収益をもたらし、マイクラ自体の売上も拡大させた。


 ちなみに発案者は社長であり、このアイデアをマイクラ開発元マクロソフトに売り込むことで実現させた。マイクラがマクロソフトの所有物である以上、オンラインサービスも公式に実装してもらうしか手段が無かったからである。


 実はティーラーズも、この面白さを伝えるための材料として創設されたものにすぎない。

 つまり今やティーラーズは目的を果たした燃え滓なのだが、「もう夢は叶えたし」「でも仕事してないと暇だし」とは社長の弁。この事実は忍しか知らない――。



 忍はマイクラランチャーの最小化を解除し、マイクラオンラインのアイコンをクリックする。


 立ち上がったら、まずは待機競技一覧ウェイティングリストを軽くチェック。これは試合開始可能となった時にすぐ開始してもいいレギュレーションを登録しておくものである。

 クラオでは同ランク帯とマッチングするシステムだが、忍はネザライトレベル7――一万人に一人といわれる最高ランクに居る。当然ながらプレイヤーの絶対数も少なく、マッチングもしづらい。そのため遊んでもいいレギュレーションと時間帯を事前に登録しておくのだ。


 忍は自らのステータスをAccepting受付可能に変更した。

 こうすることでマッチングの対象となり、プレイヤーの揃ったレギュレーションがあればすぐに始まる。「おっ」変更後、数秒でもう始まった。


「エンドラ討伐か」


 何の制約もない――といってもデバッグ画面と設定画面は封印されるし、描画距離など各種設定も固定化されるが――スタンダードなエンドラ討伐。クラオの無い時代から模索され続けた、マイクラの代名詞。

 RTA勢を中心に各種手法は開拓されきっているが、それでもランダム性の高いゲームである。長丁場となりがちだし、運も絡むが、実力も精神性もすべてが求められる総合芸術と言えた。


 マッチされたプレイヤーが表示されている。

 忍の『ノブ』を含めて五人。といっても名前は表示されず、かわりに動物や食べ物の絵文字で固定される。忍はゴリラだった。

 アバターは自由だが、身元を隠す勢と隠さない勢に分かれる。忍はデフォルトアバターとして知られるスティーブ。他の三人も単色だったりと手抜きである。唯一、アイアンゴーレムを模倣した、可愛らしいアバターがある。日本の有名な配信者だったはずだが、忍は興味もなく深追いもしなかった。


 間もなく新規ワールドに放り込まれた。




      ◆  ◆  ◆




「これはたぶん勝ったわ」


 特徴的なもにょボイスの後に、ポリッと小気味良い音が重なる。きゅうりスティックを食べている音であり、彼の象徴する仕草の一つである。


 アイアンゴーレムに寄せたアバターがボートを漕いでいる。

 手にはライトグリーンの玉――エンダーアイ。海原をしばらく漕いだところで、再び投げた。アイは海中に沈んでいった。


「この辺ですね」


 物怖じせず海面を潜っていき、高速で持ち物を入れ替えてドアを手元に。海底に設置して、地面を掘って、すぐに潜って塞いで、バケツを何度か使って水抜きをして、また掘る――

 軽快な手さばきを前に、ライブ配信のコメント欄は感心と絶賛に溢れ始めた。あまりの流速に、一文をまともに読むことさえ難しい。

 同時接続数も三万を超えており、国内向けコンテンツとしては注目度の高さがうかがえた。



 パズル社所属、キューリ。


 元エンドラ討伐RTA日本一の実力者であり、プレイヤースキルの高さは配信者随一との呼び声が高い。ランクもネザライトであり、普段もその名に恥じぬ高難度プレイやスーパープレイで、日々多くのファンを魅了している。持ち前のもにょボイスもあって、主にママリス――20代後半以上の主婦層リスナーから絶大な人気を誇っている。


 好物はきゅうりであり、本人も水分補給手段と公言しているほどで、配信中もよくポリポリする。



「んー……」


 キューリが悩んでいる風に吐息を漏らす。

 本当に真剣な時は無駄なアクションは一切しないが、配信中はプレイヤーである前に配信者だ。リスナーの需要も理解している。差し込めるところは積極的に差し込む。


 たどり着いた要塞内を探索しながらも、キューリは迷っていた。


 このままエンドに突入するか、それとも少し装備とアイテムを整えるか。


 今回の初期リスポーン地点はかなり運が良かった。エンドへの到達も一番乗りだろう。

 しかし、プレイヤーは全員ネザライトランク。討伐の最中に割り込まれればあっさり漁夫られる恐れもあった。エンドの初期地点にマグマなどを仕込めば楽に迎撃できるが、これは閉塞オブストラクションと呼ばれ、このレギュレーションでは反則――うっかり何かを置こうものならペナルティで即死する。


「――いや、行こう。行きます!」


 このまま押し切ることを決めたキューリは一分を待たずにポータルを発見。

 いったんベッドを隠して設置してリスポーン地点を設定した後、ポータルに戻り、中央のマグマに飛び込む。もちろん溶岩水泳がしたいわけではなく、ドボンする前にブロックを置いて足場にしつつ、ぐるりと回りながら黄緑玉を詰めていく。RTAで行うムーブだ。間もなくバァンとパスが接続――エンドに入界。

 他に誰も進捗を出していないため、一番乗りなのは間違いない。


 早速橋をつくっていく。

 いわゆる半シフトと呼ばれる手法の一つ、ニンジャブリッジ。

 トットットットッ、と軽快に置いていき、コメント欄も沸く。


 ふと、キューリは手を止めて、スポーン地点を――黒曜石の足場の方を眺めた。

 深い意味はない。強いて言えば、直感のようなものだった。

 そして、こういうものが案外当たるのだ。


 一人のプレイヤーが出現した。


 名前にはゴリラの絵文字。

 誰であれプレイヤーはただちに迎撃しなければならない。キューリは配信者としての余裕を即座に捨てて、目の前のゴリラに突進する。


 鉄斧は既に構えている。RTA勢だけあって切り替え操作などお手の物だ。

 相手は石剣で、やはりこちらに突っ込んできている。装備強化よりもここに来る早さを優先したのだろう。こちらへの突進にも迷いがなく、ネザライト級相応の潔さと言える。


「おらぁ!」


 距離感的に先手を取れたとキューリは確信したが――。


 モモッと特徴的なブロック音。

 目の前に高さ2のネザーラックが積まれていた。


 連打のスピードも、とっさに地面に合わせたエイムも尋常ではない。ブロックを置くようには全く見えなかった。だからこそキューリも突っ込んだのだ。

 無論、斧は届かない。「くっ」キューリの勢いが殺されるが、ここで止まると命取りになる。

 ジャンプだけは続けて、次のダッシュを切れるようにしつつ、方向は相手側を向いたまま。一発入れて、いったん後退するのが良いだろう。入らなければ、それは相手も離れているわけだからそのまま後退すればいい。橋は未完成だが、壁をつくって防御しつつ延伸すれば間に合う。先に本島に着けば、立ち回りも圧倒的に有利になる。

 そのはずだったが、


「なっ……」


 ゴリラは空に飛び出していた。

 操作ミスでもなければ自殺でもない。熟練したキューリだからこそ、その洗練具合と確信ぶりを即座に理解した。

 急いで後退しつつ、手にはブロックを持つ。守りの体勢を固めるためだ。


 相手の生死など気にしない。どうせ生きている。

 ブロックをつなげる音の間隔が桁違いに短いのも気にしないでいい。この局面でテリーブリッジを発揮してくる神業は賞賛に値するし、きっと該当者は一人で、サインももらいたいくらいだが、素直に反応する余裕はない。


 ゴリラのつくった橋は、キューリのつくった橋からX方向に一マスだけずれている。この時点で落下ブロック――おそらくはTNTだろう――を落とす意図を理解したが、そんなことは関係がないはずだ。

 先に本島に着いた方が勝ちである。

 だからこそ一直線に向かっているのだが、「ダメだッ!」相手の方が若干早い。このまま行っても一発入れられて落とされるだけだろう。キューリだからこそ、少し先の展開も高精度にわかる。


 本島は諦めて、ダッシュを緩めた。


 瞬間、馴染み深いブロック音に、導火線に火がついた音――


「マジか」


 足場が壊される。無論、爆発に巻き込まれても即死だ。

 土台側に戻るしかない。背後をエイムして一瞬で振り返り、ダッシュジャンプで戻っていく。

 頭上のゴリラは追従しており、起爆させたTNTを落としてくる。ピラミッドで入手したのだろう、一個や二個では済まない。加えて火打ち石との持ち替えも早いし、何よりミスが無い。それはキューリでも再現できない練度であり、配信では見えないが彼の背筋を凍らせた。


 このまま土台で交戦しても負ける――


 歴戦の直感によりキューリは交戦の回避を即決――奈落に飛び込んだ。

 すぐに上方を向き、インベントリを開いて、エンダーパールをスロット1に持ってくる。もちろんすぐに投げた。


「頼む間に合ってくれ!」


 配信者としてしっかりと発言もする。

 神プレイとして切り抜かれる未来も一瞬だけイメージしたが、一方でそうはならないだろうとの確信もあった。


 極限の状況になると、頭が拓けることがある。


 キューリは自分の他に、もう一回だけパールを投げる音を聞いている。

 その放物線は落下中に下から見た限りではわからないが、自分の軌道よりもライナーであり、先に本島にたどり着く気がしていた。


 奈落に落ちる。


 ハートが削れ始める。


 一回削られたところでワープが始まった。

 黄色い地面。無事成功している。そんなことはわかっている。既に到着したはずのゴリラに先手をぶちこまなければならないが――さらにハートが減った。


 打ち込まれたのはキューリの方だった。


 PvPは先手が圧倒的に有利である。

 先に攻撃した側の情報がサーバーを経由して攻撃された側に伝わり、描画にも反映されるためだ。つまり攻撃された側では。ラグが生じる。

 音ゲーで言えば、密度の高い地帯で一度でもミスすると以後判定がズレていく現象と似ている。ミスした時点で圧倒的に不利なのだ。


 この現象を利用して、先手が一方的に攻撃を当て続けることをハメという。

 これほどのプレイヤーであればハメは外さないだろう。


 もちろん諦めるキューリではない。

 後手でも逆転した経験は山程ある。要はラグを予測して先読みして攻撃すればいい。PvPにおける好機は、最後まで諦めなかった者にこそ降りてくる。


 しかし防戦は及ばず、ハートを削り切られてしまった。


「……」


 配信中の無言は事故と捉えられることもあるほどの恥だ。

 それでも高度なバトルの結果であれば、多少は許してもらえる。真剣勝負後のショックはスポーツだろうとゲームだろうと関係がない。


 キューリは配信を頭の片隅に追いやり、先の戦いを反芻する――


 それでも次に喋ったのは、たった五秒後のことであった。


「いや、すげえわ」


「テリーブリッジしてたよね。ヤバいって」


「エンパ持ってたのも忘れてたよ。急ぎすぎるのは良くないね」


 もう平静を取り戻し、いつもと変わらない声調で喋りを再開する。


「最初からエンパで上陸してたら良かったね。でもそうしてたらさっきの攻防は経験できなかった。負けちゃってごめんなさいだけど、すごい学びだったわ。うん」


 コメント欄に書き込まれる労いと絶賛は相変わらず多い。

 対戦相手の話題は一瞬差し込まれる程度だ。正体を知っている者もいたが、知らない者の方が多い。そもそも大部分のコメンターも視聴者もそんな奴には興味すらない。このチャンネルでは自分が推しであり神なのだ、が。


 視聴者達はわかっているのだろうか。

 あのゴリラが一体どれだけのプレイヤースキルを持っているのかを。

 自分との間に一体どれほどの差があるのかを。


 それでも余計なことは言わなかった。

 思うことさえすぐに断ち切った。


 今は配信者キューリであり、視聴者のための存在なのだ。


「あー、別にサボってるわけじゃないよ。今行っても絶対勝てないし、手持ちもないからさ、他のプレイヤーと鉢合わせたら死ぬ。もう少し待ってから漁夫を狙おうと思ってる」


 視聴者と緩くやりとりをしつつも、ゲームを再開する。

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