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四月中旬、午後六時。都内のとあるビアガーデン。
会場は貸し切りであり、JSC――株式会社日本システムコンサルティングの、とある部署約三十名が横長の立ちテーブルを囲んでいる。
「――では、挨拶はこれくらいにして。乾杯」
「乾杯!」
カチン、カチンとジョッキが重なる。
一人だけ中身が空であった。部外者から見ても最年少とわかる女性――ニ年目の宮崎美咲である。
その隣に寄ってきたのは上司の男、品川。「宮崎さん、乾杯」「お疲れ様です」ジョッキを合わせる。
「あれ? 飲まないの?」
「PCを持参してますので」
「大丈夫じゃない? 節度持って飲むタイプでしょ」
「いえ、ダメです。研修でもありました。こういう油断がヒヤリハットやインシデントに繋がるって」
声量が大きく、声調も真面目だ。それゆえに目立つ。
「私もそう思うんです。事故を起こした人って、みんな自分が起こすとは夢にも思ってないんですよ。日頃から気をつけておかないと、やられるんです」
「あ、ああ、そうだよね」
「品川さんも持ってきてますよね? 気をつけてくださいね」
「うん」
美咲周辺の空気が一瞬凍ったが、当人に気にした様子はないし周囲も深入りしない。
上司の品川も非の打ち所のない笑みを浮かべているだけで、わざわざ「飲みすぎなければ大丈夫だよ」「シンクライアントだから最悪盗まれても大丈夫」「コンプラとしては理想だけど白黒で捉えてると苦しいよ」「現に今も煙たがられてるでしょ」などとは言わない。この声掛けも、上司としての義務感にすぎなかった。
品川は適当なところで逃げるつもりだったが、「すいません、お手洗いに」美咲はジョッキを置いて屋内に入っていく。この会場は屋上ビアガーデンであり、トイレは階段室を下った階下にある。
聞き慣れた心地よい喧騒に、バタンとドアの閉じる音が混ざった。律儀にも美咲が閉めたのだ。
「若いっていいですねぇ。羨ましい」
去年美咲のメンターを務めた中堅男性社員の田中だ。口元に白いヒゲがついているのを見て、品川はふっと相好を崩し、
「じゃあもらってくれる?」
「勘弁してくださいよー」
大きな声でネタにするほど性根は終わっておらず、小声気味だ。しかしネタにしないほど聖人でもない。
「真面目な話、彼女の仕事はどうするんです?」
「真面目な話、君の下につけたいんだけど」
「だから勘弁してくださいって――あ、ありがとうございます」
世話焼きの先輩からキャベツの乗った紙皿を受け取り、品川の前に置く。
ビールを喉に流し込んだ後、二人でバリボリと食べる。肉は肉奉行が焼いているため、しばらくは待ちだ。
「他にいないなら堀山に任せましょうよ」
「うーん……」
「宮崎さんだってラブコール送ってますよね? 堀山がいるからこの部署に来たって聞いてますよ」
「彼女は丁重に扱わないといけなくてね。現場には出せない」
「うちにも現場はありますけど。プロジェクトでも顧客と直接やり取りしてますけど」
「現場にも顧客にも出さずに上手く使えばいいよ」
「そんな余裕無いですって」
訳ありの女性若手社員となれば格好の話題だが、場の食いつきは驚くほど悪い。むしろ避けている節さえある。
それもそのはずで、宮崎美咲はスーパーゼネコン宮崎建設のご令嬢である。
品川は去年から上司やその上から口うるさく機嫌を損ねるなと言われているし、執事とも直々にやりとりをしている。同社はJSCの太客でもあり、決して無下にはできない。
そんな爆弾と関わりたがる者は、この部署にはいなかった。唯一、田中だけでは去年
「で、その堀山はどこですか?」
「来てないよ」
「今年こそ拝めると期待してんだけどなー」
JSCはいわゆる大手のシステムインテグレーターであり、従業員二万人を抱える大企業であるが、同規模同業種では先進的な働き方を採用しており表彰も多い。リモートワークもいち早く導入し、社員の半数以上は月に一度も出社しない。
それでも対面の欲求はなくならない。
パンデミックが落ち着きを見せた今、こうした集まりは増え始めており、品川らが属する小部署でも懇親会や旅行といったイベントを何度も開催してきた。
リモート派であってもこの欲求には抗えない。実際、ある一人を除けば、すでに全員が対面で会ったことがある。今この場も、その一人を除いて全員揃っていた。
品川はもう一度ジョッキをあおり、ふぅと嘆息してから。
「こういう歓迎会にも顔を出さないような人なんだよ。務まると思う?」
「まあまあ、そんな奴のことは置いといて。飲みましょうよ。あ、そうだ、品川さんもYouTube見てますよね? ティーラーズって知ってます?」
「ああ、ゴッドノブ? の神業動画は見たよ。二億回再生って凄いよね」
「ノブも凄いけどメンバーも可愛いんですよ。VTuberって知ってますよね?」
「さすがに知ってるよ。見ないけど」
「絶対見た方がいいです!」
◆ ◆ ◆
地味なファンファーレとともに進捗『エンドの解放』が達成され、
「……メシにするか」
同時刻頃、ある一人こと堀山忍はとうにリモートワークを終え、日課のハードコアエンドラ討伐に勤しんでいた。
クリアタイムは37分。RTAにしては平凡以下の数字だが、これはハードコアであり、制約としてデバッグ画面と設定画面の使用禁止も課している。
それでこのタイムを出せるのは相当な化け物であるが、忍の正体が『ノブ』であるならば納得もできる。
忍はPCにロックをかけ、一階に降りて、部屋着のまま玄関も出た。
ドアは電子錠であり鍵の携帯は必要無い。手ぶらを好む忍の、譲れないポイントの一つであった。
徒歩十分を待たずに目的地に到着。
五人家族くらいがストレス無く住める程度の一軒家だ。忍は躊躇なくドアを開けた。無用心だが、この閑静なニュータウンは治安も良い。それに何度も鍵をかけろと言っても改めないため、忍ももう諦めている。
「おかえり兄貴」
リビングはちょうど食事中のようだった。
テーブルに置かれた鉄板には広島風お好み焼きが乗っており、じゅうじゅうと香ばしい音と香りを届けている。母、弟夫妻、妹と四人分。全員席についており、壁掛けテレビのニュース番組や手元のスマホを見ている。
隣の寝室には子供の気配。疲れて寝ているのだろう。
忍は唯一挨拶してきた弟に手を挙げて返した後、冷蔵庫へと向かう。物色を始める。
ポケットから取り出した野菜袋に色々詰めた後、実家を出ていった。
滞在は二分にも満たなかった。
◆ ◆ ◆
バタンと戸が閉まった後、
「キモイなぁ」
妹のさくらが呟く。
「女の子がそんなこと言わないの」
「挨拶くらい口で言いなよ。お好み焼き美味そうだねーくらい言ってもいいじゃん。無言で冷蔵庫漁ってさ。袋持参してるのもキモイし。手先が無駄に俊敏なのもキモイし。お父さんに借金してまで家借りる意味もわからないし、独りだし、徒歩十分の距離感もキモイし。つーかさ、ひげくらい剃ろうよ。昨日も剃ってなかったでしょ。ねぇ、
「佑里香に振るな」
愛想笑いを浮かべる妻を横目に見つつ、弟
「拓斗は黙って。なんで忍なんか庇うの。私と佑里香さんだけ見てればいいの」
さくらの忍嫌いと拓斗好きは今に始まったことではなく、忍と鉢合わせすると大体こうなるし、言葉の節々からもよくブラコンが漏れる。
「できたわよー。誰から?」
「私!」
いただきますの後、さくらが腕まくりをする。
アラサーにしては健康的かつ若干筋肉質な上腕にはタトゥーがちらついている。金髪やピアスも含めて、さくらは女として舐められない武装に余念が無い。性格もあけすけで、長男忍への嫌悪感や次男拓斗への愛も隠さない。
全員に行き渡り、特にさくらがハフハフと夢中になっているところで、「借金って?」佑里香が疑問を口に出す。
「ああ、兄貴はあの家を一括で購入してるんだけど、お金は親父から借りたんだよ」
「一億ね」
父はオンラインゲーム等に使われるマッチングアルゴリズムの第一人者である。多忙を極め、あまり家にも帰って来ないが、億を軽く超える資産を持っている。
同時に厳格でもあり、社会人となった我が子には一切の金銭的援助をしない。そんな父相手にプレゼンを行い、一億の借金を勝ち取ったのが忍だ。
「大した行動力だ。尊敬してる」
「ただのバカでしょ。会社やめたらどうするの? 昇進もしてないし。未だにヒラよ、ヒラ」
ちなみにさくらもJSCに努めている。33歳の忍より一回り年下だが、既に『スペシャリスト』なる部長級の肩書きを持っており、年収は四桁に乗っていた。
一方、忍は未だに平社員な上、さして評価もされておらず、年収はさくらの半分もないという。この情けなさがさくらを苛つかせる。
「副業してるわけでもないでしょ?」
「……」
拓斗は反論したいのをぐっと堪え、へらに力を入れる。
お好み焼きは堀山家の定番メニュー――上手な切り方にはとうに慣れた。一口サイズに切って口に運ぶと、広島風独特の厚さが口内を愉しませてくれる。
「さくらちゃん、凄いもんね」
「ありがと佑里香さん」
「また歌うってツイートしてたよね。楽しみにしてる」
「期待していいよ。スタジオで
さくらは歌配信者としても活動しており、YouTubeのチャンネル登録者数は41万人。グッズやASMRその他ボイスの販売を手掛けていることもあって、こちらの収入も会社員顔負けだ。最近はVTuberにも手を出しており、諸々の準備には数百万円を投じた。その程度ならポンと出せてしまう。
JSCのスペシャリスト職もここから繋がっており、さくらは社内の配信
そんな才女から見れば、並の男など絞り粕に見えるだろう。
もっとも拓斗もできる側の人間であり、勤務先はGAFAMの一角マクロソフト。役職はマネージャーであり、こうしてのんびりとワークライフバランスを謳歌している。学生時代はスポーツでも勉強でも頂点を取ってきた。
さくらも、拓斗も、憧れるよりも憧れられる側の人間だ。
少なくともさくらは自分の強さを全く疑っていない。努力してきたことも間近で見てきたからよくわかる。誇ってもいいだろう。拓斗自身、昔はそうだった。昔は。
「……何ニヤニヤしてんの?」
「何でもないよ」
本物を知れば、嫌でもわかる。
才女などというものも所詮は器用貧乏、浅瀬の住人でしかないということを。
本物は深海の奥底にこそ存在し、そこに到達できるのは自らを顧みない狂人だけなのだということを。
だからこそ拓斗は決めている。
兄の聖域を守るのは自分だと。自分だからこそできるのだと。
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