24. エリマキ男

 総支配人のジェームズ・ブランドンはその肉付きの良い身体でふんぞり返り椅子に深く腰掛けたまま、見覚えのない若い男を上から下までジロジロと見た。


「誰だお前?」


 男は眉間に皺を寄せいかにも不審者を見るような顔で尋ねた。男が毎日黒い制服のジャケットの下に強いこだわりで着ている、首元と襟首にフリルのついたデザインのついたシャツ、そして計算高さと狡賢さを感じさせる鋭い目が、彼がパウロがよくスペインで観ていた自然番組に登場してきたエリマトカゲを彷彿とさせた。


 祖父は自分の名前と勤務先のホテルを告げた後で、本題を切り出した。


「私の友人のペドロを、職場に復帰させてくれませんか」


 エリマキトカゲは片方の眉をピクリと動かし、何言ってんだコイツとでもいうかのような明からさまな侮蔑の表情を浮かべた。


「ペドロっていうのはこの間辞めたあのロクデナシか。あいつは使えないと評判だったから、今更戻す価値などなかろう」


 友人を使えない認定され、軽くあしらわれたことに頭に血が昇りそうになるのを堪え、パウロは言った。

 

「ペドロは真面目で勤勉な人間です。朝も誰よりも早くきて掃除をし、他の人間が嫌がるような仕事を押し付けられても、笑顔で引き受けて最後まで責任を持ってやり遂げていました」


 パウロはこれまでペドロが先輩や同僚たちから受けてきた惨たらしい仕打ちについて、目の前の総支配人に切々と訴えた。あくび混じりに聞いていたその男は、まるで彼の話が、男たちが酒場で交わす下品な話以下のくだらないものだとでもいうかのように、ふん、と鼻で笑いながら、口髭を指で擦った。


「勤勉ね.……。真面目でありさえすれば渡っていけるというほど、この世の中甘くはない。君もそのことはよく分かっているはずだがな?」


 彼は口の片端を上げてニヤリと笑った。パウロは男を強い眼光でもって睨みつけた。男は怯む様子もなくほくそ笑み言った。


「この世は弱肉強食。出来損ないは淘汰され、一握りの選ばれたものだけが成功者への階段を上ることができる。ちょうど私のようにな。お前の友達はその資格がなかったというだけ、つまり負け犬なのだよ」


 その瞬間、イギリスにやってきて味わった泥をも飲むような悔しい思いの数々が脳裏に蘇った。現地の人間と同じ労働をしても決して平等に支払われることのない賃金。移民というだけで向けられる嘲りの目。汗水垂らし働けども働けども、一向に楽にならぬ生活ーー。


 パウロは拳を握りしめた。


「ペドロは負け犬なんかじゃない!! 彼は世界一誠実で真面目な奴だ!! 彼のような人間が報われるような、そんな会社を作るのがあなたたちの勤めでしょう!!」

 

 パウロは叫んだ。怒りのあまり頭が熱くなり身体が震えた。


「貴様……この私に逆らおうってのか?」


 ジェームズは脅しをかけるようにパウロをその狡猾そうな目で睨みつけた。パウロは負けじと言い返した。


「私はクビになっても一向に構わない。あなた達は何も知らずに、高みの見物をしているに過ぎない。いや、見えてすらいないのかも知れない。自分達より弱い立場の人間を嘲笑い、汗水垂らして働く人間達から背を向けて、さも当然なような顔をして利益だけ貪る。お前たちは金の亡者だ!!」  


 これまでずっと胸の内にしまっていた思いーーよもすれば墓場までしまっておくことになるかと思っていた思いの丈をぶちまけた。もうどうにでもなればいい。いっそクビにするなり、殴るなり蹴るなり好きにしてくれ。


「黙らんか、このガキ!!」


 激昂したジェームズの両手がテーブルを乱暴に叩く音が響き渡った。男の顔は醜く歪み、怒りの余り唇がわなわなと震えていた。


「お前は自分の立場を分かっていないようだ。私はお前などどうにでもできる。もう二度と働けんようにすることもな!!」


 興奮した様子のジェームズが立ち上がりパウロの前までやってきた。パウロは覚悟した。目の前の男によって社会的な死のみならず、最悪文字通りの死をもたらされる可能性があることも。だがそれも承知の上だ。唯一の親友は、この薄情で強欲な男と卑劣な同僚たちのせいで会社から葬り去られたのだ。自分にとって彼以上に大切なものなどない。友のためなら命も捧げられる。パウロは全ての危険を覚悟し受け入れるかのように両目を閉じた。


 ジェームズが憤怒に支配された顔でその大きな手を振り上げた直後、背後のドアが開く音がした。緊張で張り詰めた部屋に、晴れた草原の風のように爽やかな女性の声が響き渡った。


「お父様、遅れてごめんなさい」


 パウロは無意識に声のした方を振り向いた。彼は一瞬で目の前の女性に目を奪われた。彼女はまるでマーガレットの花のような笑顔をしていた。


「おお、セシル! よく来たな」


 途端にそれまで鬼のような形相を浮かべていたジェームズが別人のように相好を崩した。それもそのはず。彼はホテル内でも有名な、筋金入りのドーターコンプレックスだったのだから。


 このときパウロは思った。彼女はこのホテルの社長の令嬢なのだ。自分がいくら彼女に憧れたところで身分が違い過ぎる。我に返った彼がセシルから目を逸らそうとした時、彼女は彼を驚いたような顔でまじまじと見つめたあとこう言った。


「お父様……。私、この方と結婚します」


 パウロは突然のことに唖然とし、エリマキトカゲは白目を剥いて後ろ向きに卒倒した。

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