第6話 洗濯物の香り

朔司がお風呂に入る音が聞こえる。蒔乃はリビングでテレビを見ながら、洗濯物を畳んでいた。テレビでは音楽番組が流れており、今話題のドラマの主題歌が歌われている。

一臣は陶芸で使う染め付けの図案を考えると言って、二階の自室にこもっている。

主題歌に釣られるように鼻歌を口ずさみつつ、持ち主毎に洗濯物を分けていった。自分の物と水瀬家の二人の洗濯物が一緒くたに洗濯機で回っている様子が、彼らと打ち解けてきた証のようで嬉しい。

畳み終わった洗濯物を持って、二階に続く階段を上る。一臣の部屋の前に立ち、扉をノックした。

「おみくーん。洗濯物畳んだから、しまって。」

声をかけると、一臣がすぐに扉を開けてくれた。

「お、サンキュ。」

一臣は自らの洗濯物を受け取る。

「良い図案、思いついた?」

「いや、まだ。」

この通りです、と言って見せられた部屋には植物図鑑や古典柄の本などが散乱していて、一臣が苦心している様子が窺える。

「産みの苦しみだね。頑張って。」

「おう。」

言葉を交わして、蒔乃は階段を下ってリビングへと戻る。朔司の洗濯物は、彼がお風呂から上がったときに渡せば良い。当事者のいない部屋に立ち入るのは、気が引ける。

蒔乃は朔司の洗濯したばかりの服をそっと手に取った。誰も見ていないことを確認するように周囲を見て、そして朔司の服を胸に抱きしめた。

蒔乃は朔司のことが好きだった。

彼の優しさ、包容力。父性に引かれていると最初は思ったのだが、違った。恋心を意識したのは、高校生のときだ。

初めて、同級生の男の子に告白をされた。顔を真っ赤にして、勇気を振り絞って想いを告げてくれたことがわかった。だけど。その男の子の告白を受けるには、何故か罪悪感を感じてしまった。何故だろうと考えたときに、気が付いてしまった。

相手が、朔司さんなら良かったのに。

自分の想いに愕然とした。家族愛だと思っていた愛が、恋愛だったことに。それと同時に、蒔乃は自らの恋が叶わないことを知った。朔司にとって、自分は子どものようなものだ。

丁寧に言葉を紡ぎ、男の子の告白を断った。その子は何か吹っ切れたかのように、笑ってくれた。

ー…聞いてくれて、ありがとう。

清々しそうな笑顔を見て、羨ましく思った。自分には決して出来ないことだから。

男の子が去った後、蒔乃は泣いた。

なんて浅ましいのだろう。

それでも、会わなければ良かった、だなんて思えないぐらいに朔司のことを愛してしまっていた。

朔司の手や眼差しが、纏う空気。存在全てが、好きだ。

「…ごめんなさい。」

誰に捧げたのかも知れない謝罪を告げて、蒔乃は滲む涙を手の甲で拭った。

「何が?」

不意に鼓膜に響いた一臣の声に、蒔乃の心臓は飛び上がるように大きく脈打つ。

「え、っと…、いつから…?」

口の中が乾いて、声が出しづらい。

いつからこの行動を見られていたのだろう。

恥ずかしいやら、困惑するやらで蒔乃の挙動がおかしくなる。

「今。」

それだけ告げて、一臣はローテーブルを挟んで向かい側に座った。そして何も言わずにテレビを眺め始める。

「…。」

沈黙が辛い。

「…あの、」

「蒔乃さあ、」

口を開きかけて、一臣に遮られてしまう。

一臣はテレビの電源を切る。リビングが途端に静かになった。

「な、何?」

「親父のこと、好きなんだろ。」

あまりにも直球過ぎる一臣の言葉に、蒔乃は咄嗟に否定できず息を呑んだ。

「そんな、こと…、」

「あるだろ。少なくとも、泣くぐらいには。」

「これは、違…っ!」

「蒔乃。」

一臣の凪いだ声に、蒔乃は何も言えなくなる。しばらくの沈黙がとてつもなく長く感じた。

「…っ。」

「俺にしとけば。」

徐に一臣から発せられた言葉に、蒔乃は一瞬言っている意味がわからなかった。

「え…?」

「親父じゃなくて、俺にすればいいじゃん。」

「…何言ってんの。冗談止めてよ。」

蒔乃は無理矢理にでも笑ってみせる。

「第一、私のことをそんな風に見れないでしょ。考えてみてよ、キスとかさ。」

「できるよ。」

些か、むっとしたように一臣は言った。蒔乃の態度に腹が立ったらしい様子を見せる。無言で立ち上がり、蒔乃に逃げる時間を与えるようにゆっくりと近づく。一方で、蒔乃は縫い付けられたように微動だにすることができない。

一臣が膝をついて、蒔乃と視線の高さを合わせた。彼の影が降りて、蒔乃はようやく後退ろうと床に手をついた。

「逃げんな。」

蒔乃の手に、一臣は自身の手のひらを合わせて逃げ道を塞ぐ。一臣の瞳に映る蒔乃の顔が徐々に大きくなっていく。

こつん、と額と額が最初にくっつく。互いの睫毛が絡まり合うように重なり、鼻の先が触れる。くすぐるように呼気が混ざり合い、そして。

「…ごめん。泣かせる気は無かった。」

唇が触れあう前に、一臣は顔を上げた。蒔乃の瞳の淵からほろりと一粒の涙が零れていた。

「あ、れ…?」

涙の粒は玉のように膨れ上がり、頬を伝っていく。その熱い道筋に、蒔乃自身が困惑していた。両手で涙を掬い上げて、止めようとして必死になる。

「いーよ。無理しなくて。」

そう言って立ち上がり、一臣は蒔乃の頭を大きな手のひらでぐちゃぐちゃにするように撫でた。

「寝るわ。」

「え?あ…、お、お風呂は?」

明日入る、と言い置いて一臣は階段を上っていった。そのタイミングを見計らったように、朔司が脱衣所から頭をタオルで拭きながら出てきた。微妙な雰囲気の空気を感じ取ったのだろう、朔司はどうかしたのかと首を傾げる。

「何でもないよ。私もお風呂いただくね!」

蒔乃は手話も忘れて、手を横に振って自分の着替えを抱えて風呂場へと向かって駆けていった。

後ろ手に脱衣所の扉を閉めて一人になると、蒔乃は力が抜けたようにその場に座り込んだ。

さっき起こった出来事を思い出して熱くなる肌を冷やすように、両手で頬を覆う。

どうしよう。

小学生の頃、蒔乃は水瀬家に来た。それから数年。一臣とは姉弟のように育ってきたと思っていた。だが、そう思っていたのは蒔乃だけだったのだ。

…ーいつから一臣は自分のことをそんな目で見ていたのだろう。

そう思い、だが次の瞬間には、自分自身も同じなのだと言うことに気が付いた。

朔司にとって蒔乃は子どもなのだ。だけれども、蒔乃は朔司を恋心で好きになっていた。この想いは一臣のものと何ら変わりは無い。

いつから、だなんて関係ない。

ただ、一臣を傷つけてしまったことだけはわかった。

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