第4話 苦い飴
午後の実技の時間になり、早速運び込んだ赤土を使うことになった。土練機で練られた土を手にする。土はひんやりとして冷たく、赤ん坊の肌のようにすべすべとしていて気持ちが良い。この土の感触が好きで、一臣は陶芸科を選んだようなものだった。
丁寧に菊練りを施して、電気ろくろの舞台に乗せる。濡れて密着するように回る土は肌に吸い付いて、形を変えていく。
「…。」
少しの心の惑いが作品にすぐ現れるから、精神統一にも似た感覚に陥る。周囲の賑やかな音が失せ、しゅ、しゅ、と土が鳴る声と対話をするのだ。
提出物である湯のみをいくつか形成したところで、一臣は肩と首にこりを感じて顔をあげた。
「随分と集中していましたね、水瀬くん。」
ふと目が合った陶芸の先生、神田が言う。
「息抜きも大事ですよ。」
「はい…。」
背伸びをしてストレッチをしつつ、一臣が窓の外を見ると麗らかな陽気の中で絵画科の学生が写生をしていた。友人同士固まるグループもある中、たった一人、蒔乃が絵を描いている姿を見つける。
画板に向かって俯く滑らかな頬に艶やかな黒髪が触れて、蒔乃は無意識に耳にかけた。その刹那、真剣な顔が覗えてその視線の先が気になった。
一臣はろくろの上の土が乾かぬように濡れたタオルをかけて、席を立った。
陶芸科の教室を出て、外に出る。白い桜の花びらが風に誘われ舞っていた。大学構内の桜並木を描く絵画科の学生が多い中、蒔乃はうずくまるように下を見て俯いていた。その姿が夢の中で泣く蒔乃の姿と重なる。
「蒔乃。」
一臣の影が差して、蒔乃が顔を上げた。その顔に、涙は伝っていない。良かった。
「おみくん。どしたの。」
きょとんと大きな目を更に丸くして、蒔乃は一臣を見る。
「俺は息抜き中。」
そう言って、蒔乃の隣に腰掛けた。
「何、描いてんの?」
「クローバー。」
彼女の答えに足元を見ると、そこには幾重にも重なるようにクローバーが自生していた。
「四つ葉の?」
「え?ううん。普通の三つ葉が多いんじゃないかなあ。」
蒔乃が向かっていた紙を覗くと、確かに代わり映えの無いクローバーが、されど生き生きと描かれていた。
「…地味じゃね。」
「桜、嫌いなの。」
だって寂しいでしょ、と蒔乃は言葉を紡ぐ。
「散り方が潔すぎて。何か、出来過ぎな気もするし。」
「ふーん。そんなもんかね。」
頷く蒔乃を見て、一臣はクローバーを撫でるように四つ葉を探し始める。
「おみくん、知ってる?四つ葉のクローバーって、踏まれて傷つけられて出来るんだよ。だから、歩道側を探してみて。」
「…あ、見っけ。」
蒔乃に言われたとおり歩道近くで、小さな四つ葉のクローバーを見つける。
「はい、あげる。」
一臣は摘み取ったクローバーを、蒔乃に差し出した。
「いいの?」
「うん。」
「ありがと。」
しばらくの静寂の時が流れる。一臣は再び、四つ葉のクローバー探しを始めた。
「この子は痛みながら、四つ葉になれたんだね。」
ぽつんと呟くように蒔乃は言う。
「私がクローバーだったら、傷つけられたのも気付かずにそのまま三つ葉なんだろうな。」
その言葉に一臣が横目で蒔乃の顔を確認する。今度こそ、泣いているのかと思った。でも、違った。蒔乃は受け取ったクローバーをくるくると回転させながら、淡く微笑んでいた。
「痛覚が無いって、どんな感じ?」
「おみくんは直球だなあ。」
今更、遠慮のない一臣の問いに蒔乃は声を出して笑う。ひとしきり笑い、呼吸を整えるようにふと小さく息を吐く。
「…触覚はあるって、前に話したよね。」
「聞いたね。」
蒔乃は鉛筆を置いて、自らの両手を広げて見つめた。
「例えば、そうだね。棘が刺さったとする。」
「うん。」
「体の中にずぶずぶ入ってくる感覚はあるのよ。でも、痛みは無いから本当に無遠慮だよね。私って体がまるでゴムになったような…まあ、よく言えば人形みたいなもんだよ。」
ふうん、と呟いて一臣は蒔乃の例えを自分に置き換えて考えてみる。試しに手の甲に爪を立ててみた。爪は皮膚に三日月のような赤い痕を刻んで、痛い。…この感覚が無いのか。
「変な感じ。」
「でしょうよ。」
生真面目に頷きながら手の甲を見る一臣を隣に、蒔乃は膝に頬杖をついて苦笑する。
「その痛み、大事にしな。」
そう言って、蒔乃は一臣の額をつんと突くのだった。
手を振って別れる彼女を見送って、一臣は陶芸の教室へと戻る。
「おかえり~。」
親友の静正がロリポップキャンディを口に含みながら、一臣に手を振って迎えた。
「随分と長い息抜きですこと。」
「そういうお前は?」
「俺は今からだから、いーの。」
そう言うと静正は自分の隣の椅子を引き、一臣に隣に座るように誘う。
「制作戻りたいんだけど。」
「まあまあまあ。もちっと付き合ってよ。」
一臣はちらりと神田の様子を覗う。神田は他の学生の質問に答えており、こちらのことは気にしていないようだ。
「…ちょっとだけな。」
「やった!」
隣り合って座った席は丁度、窓の前で大きな桜の木を目の前にした。ちょっとした花見をしているようだった。
「桜が綺麗ですねえ。」
静正ののんびりとした声が響く。
「まあ、春だからな。」
「そう。春なんですよ。」
その言い回しに、一臣は首を傾げる。
「恋の季節だなーって思って。」
「何、言って、」
たじろぐ一臣を見て静正は、図星だろ、と指を差す。
「人のこと、指差すな。」
「玉森先輩。」
「!」
急に親友の口を吐いて出た蒔乃の存在に、一臣はぐっと喉が詰まるように口を噤んだ。
「と、一臣。なーんか良い雰囲気にみえたからさー。俺としては、焦れったいというか。甘酸っぱいというか。」
「…そんなんじゃないよ。」
「そ?」
否定する一臣を置き去りに、静正は二個目のキャンディの包みを開ける。そしてそれを、一臣の目の前に差し出した。「どーぞ。」
「…。」
一臣がキャンディを受け取ると、いちごミルクの甘ったるい香りが鼻腔をくすぐった。
「だって、ずっと好きじゃん。親友の目は誤魔化されんぞ。」
「家族だから。」
一臣は頑なに自らの想いを家族愛だと言う。
「血は繋がってないって、言ってたけど。」
「いつ?」
「去年の新歓コンパの飲み会で。」
「…俺、酒嫌い。」
静正が言うとおり、蒔乃と一臣に血のつながりは無い。ついでに言うと、朔司と蒔乃の間にも。水瀬家で異分子は彼女一人だった。と言うのも、両親の連れ子同士で朔司と蒔乃の母親が兄妹となり、蒔乃は朔司の血のつながりの無い姪だ。
下戸の一臣が酒に酔って吐露したらしいことを今聞いて、一臣は今後は酒を飲まないことを決意する。
「まあ、その話を聞く前から、一臣の気持ちってダダ漏れだったけどね。」
「マジで?」
「マジで。まあ、玉森先輩は気が付いてないみたいだけどさ。」
相手を見つめる目色が違うんだよ、と静正が言う。
「柔らかいって言うか、明るいって言うか。甘みを帯びてるんだよ。お前。」
「詩人みたいだな、静正。」
「茶化しても意味ないからな。」
回避策を釘刺され、もう一臣は何も言うことが無い。仕方なく、受け取ったキャンディを噛み砕くことにした。
「うわ、噛むなよ!もったいねー!!」
ガリガリと音を立てキャンディは砕け、人工的な甘さが口いっぱいに広がる。甘すぎて、少し口の中がだれるようだった。
「…話戻すけどさ、俺にはお前と玉森先輩が良い感じに見えたんだよ。何をそんな遠慮してんの?」
「んなこと言ったって、」
キャンディを飲み下す。
「蒔乃、他に好きなヤツがいるから。」
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