第3話 大学生活

停車ボタンを押して、大学最寄りのバス停に降り立つ。

もうちらほらと学生らしき若者たちが通学していた。その一員になり、蒔乃は大学へと向かう。警備員のおじさんと挨拶を交わす。

「おはようございまーす。」

「はい、おはよう。」

警備員さんと仲良くしていると色々と便宜を図ってもらえるのだ。例えば制作状況に応じて校内の寝泊まりを黙認してくれるとか、早朝の制作棟の開錠など。今までに数え切れないほど、その恩恵を授かっている。

座学が行われる教室のある棟に向かっている途中、友人たちに会い合流した。

「ねえ、レポートの提出っていつまでだっけ。」

「明後日だよ。確か。」

友人の一人のみきに問われて答えると、彼女が青ざめた。

「やっば、まだ手を付けてないわ。」

「それはやばい。」

蒔乃は苦笑する。マイペースなみきらしいが、締め切りには損な性格だった。

「えー、えー。えー、蒔乃は何を題材にしたの?」

中央の席がまとめて空いていたので座る。教科書を取り出す蒔乃に、みきが縋るように聞いた。

「うん?鳥獣人物戯画だよ。」

「日本最古の漫画って呼ばれてるヤツね!良いじゃん、書きやすそう。私もそれにする~。」

みきはスマートホンで素早く検索をかける。

「いいけど、レポートは見せないからね。自分の力でやんなよ?」

「それはもちろん!ヒントをもらえただけでありがたや。」

手を合わせて拝むふりをするみきを見て、蒔乃は笑った。この妹気質の友人が本当に泣きついてきたら、渋々ながら手伝ってやるのだろうなと思った。


午前中に座学を終えて、昼休み。みきは図書館で早速レポートに使う蔵書を探す旅に出たので、蒔乃は他の友人たちと大学のカフェテリアで食事を摂ることにした。

「サラダうどんだけで足りるの?」

カツ丼とうどんのセットを前にして蒔乃が問うと、友人たちは大げさに溜息を吐いて見せた。

「普通の女子は、そのセットは頼まないよ…。」

ちなみにどちらもレギュラーサイズで大雑把に見積もっても二人前はある。

「え、嘘。私って大食い?」

蒔乃は自分の食事量に首を傾げた。

「気付いてなかったのか。」

「太らねーのがすごいよ。」

ブーイングに蒔乃は反論すべく、口を開く。

「でもでも!うちだと皆、このぐらいは食べるよ…、いや。待てよ…。朔司さんは食べない…か。」

家での食事を思い出すと、朔司は食べ盛りの若者二人ほどは食べていないことに気が付く。当たり前だ。

「ほれ見ろ。水瀬くんだっけ?大学生男子と同じ量じゃん。」

「ううー。ごはん美味しい…。」

軽く論破され、蒔乃は悔しそうにしながらもペロッと完食するのだった。


女子たちの華やかな笑い声が聞こえた。

「…うん?」

一臣は友人たちと楽しそうにランチをしている蒔乃を見かけ、声をかけようか一瞬迷ったが水を差すのも悪いと思い却下する。そもそも泥だらけのつなぎ姿でカフェテリアに入っていくのも、気が引けた。

今日は陶芸に使う赤土が大量に届き、学生総出で制作棟に運び込む作業をしていたのだ。特に女子比率の高い芸入大学で男子の人手は貴重なので、随分と働かされた。台車は女子が使い、男子はもっぱら担ぎ込んでいた。その成果として、大学に入学して随分と筋肉が付いた気がする。

「一臣くんが運んでいるので最後だから。それを運んだら、昼休みにしていいって。」

「ういー。」

在庫を確認していた女子学生から先生の言伝を聞き、一臣は頷いて手にしていた土を抱え直す。そして制作棟にある準備室に土を運び終えて、晴れて自由の身になった。

一臣は煙草休憩をするという同級生と供に、制作棟の端っこにあるささやかな喫煙場所へと向かった。そこには水の張ったバケツを灰皿にして、誰が置いたかもわからない赤い革のソファが置いてある。

「一臣も吸う?一本だけなら恵んでやんよ。」

喫煙する同級生に誘われるも、一臣は手を横に振って断った。

「結構です。俺はソファに寝に来ただけだから。」

「ふーん?でも香りは嫌いじゃねえんだろ。」

カチカチとライターで煙草の先に火を付けて、同級生は美味しそうに紫煙を吸う。

「…家族が嫌いなんだよ。」

「ああ、絵画のセンパイのこと?。」

溜息をつくように煙草の火を燻らせながら同級生が言った。「あのセンパイ、美人だよなー。いいなあ、あんなお姉ちゃんがいて。」

はははと笑う同級生に対し、一臣は僅かに苦笑する。

「そんないいもんじゃないけどな。」

そう。決して良いものじゃない。

少なくとも、姉と意識するにはこの思いは醜すぎる。

「寝るわ。授業始まる前に起こして。」

「昼飯は?」

「さっき早弁したから平気。」

大学の自動販売機で買ったカップ麺を二つ食べたので、空腹は感じていない。

「だから短時間消えてたのか。」

同級生に肩を軽く小突かれながら一臣はソファに寝転んで瞼を閉じた。


夢を見た。それは蒔乃が水瀬家に来た頃の記憶だった。

蒔乃は今と違い、よく泣く女の子だった。泣くと言ってもわめくのではなく、人知れずほたほたと涙を零すものだから見つけるのが大変だった。早くに母親を亡くした一臣にとって蒔乃は一番身近な女性で、そんな蒔乃が泣いていると心がざわついて仕方が無い。

ー…蒔乃。どうしたの。

夢の中でも蒔乃は泣いていて、一臣はどう慰めて良いかわからずに途方に暮れていた。


「一臣ー。先生が、ガス窯の使用許可証を出しとけって。」

「っ!」

同級生の声にはっとして目が覚めた。一臣は腕時計を見て、30分ほどの睡眠を得ていたことを知る。

低血圧のように心臓が静かに脈打ち、手の指先が冷たかった。10秒間ゆっくりと深呼吸して、一臣は上半身を持ち上げて応える。

「…わかった。今、行くからー。」

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