お花畑転生娘と力の覚醒
「『力の覚醒』はそれからだいぶ後だったなぁ……」
「それまでに、たくさん『この世界の残酷さ』を見せつけられたんですね」
ため息をつくようなミラの言葉に、マリーローズは痛ましげな視線を向けた。
「うん……何度も何度も、『癒しの力』を使ってみようとしたんだ。でも、どうすればいいのか全然わかんなくて……」
そのたびに虹色の光が現れて「仕方がない」「この人はこうなる運命だった」と諭したのだと語るミラ。その哀し気な表情に嘘はなく、そのたびに強い無力感に打ちのめされてきたことがうかがえる。
「結局、あたし何にもできなくってさ……だから、ゲームのシナリオに関係ないことは、あたしにはどうすることもできないんだってわかったよ」
その諦めが、いつしか「シナリオに関係のない
そこに至るまでにミラが繰り返し味わった絶望を想い、マリーの心は暗く沈んだ。
――子供に繰り返し絶望させておいて、何が創世の女神ですか。これでは弱った人の心につけこみ洗脳するだけの、ただの悪魔でしょう。
それがマリーの偽らざる本音だ。
しかし、「自分は女神に選ばれて世界を救おうとした」という矜持こそがミラの心を支えているのだからと、口には出さずに黙っておく。
「あの頃は、一日も早くゲームが始まってほしかった。力に目覚めたかったよ……」
疲れたようにこぼしたミラは、そのままぽつりぽつりと『癒しの力』に目覚めた日のことを語り始めた。
※ ※ ※
治癒魔法が使えることがわかったのは偶然……ということになっている。
もちろん「ゲーム」の中でプロローグとして描かれていた「シナリオ通りのイベント」ではあるのだが。
その日、たまたま孤児院のあった村を通りかかったアピリスティア男爵夫人が急に腹痛を訴えて倒れたのだ。街道沿いとはいえ田舎の小さな村に病院はなく、男爵夫人は仕方なく孤児院のあるこぢんまりとした教会に運び込まれた。
貴族の嗜みも忘れ、激痛にもがき苦しむ夫人。化粧が落ちるのも構わず脂汗を浮かべ、ドレスをしわくちゃにしてのたうち回る夫人の姿にミラは唖然とした。
スチルで見た容姿はそこそこ整っていたはずだが、目の前でうめき声をあげてあがいている顔は、まるで悪鬼に襲われたかのように醜く歪んでいる。
――これって
この頃になると、ミラも「前世」とこの「
《ゲームのシナリオに無関係な人間は、この世界にとってはただの背景》
そう思い込むことで、目の前の悲劇から自分の心を守っていたのだ。
しかし、目の前で急に苦しみだした男爵夫人は、自分を引き取ってくれる大事な「NPC」だ。彼女に養女として迎えられ、貴族の子女としての基礎を教わらなければ、学園に入学することすらかなわない。
唐突に目の前の「
――絶対に失敗できない。……けど、どうすればいいんだろう?
魔法の使い方など、習ったことはない。
それもそうだろう。魔法の使い方など、魔導師団や魔導技術院に所属する術者に弟子入りするか、王立学園にでも入らなければ、学ぶ機会はない。
高位貴族なら「家庭教師を雇う」という選択肢もあるだろうが、それは財力と人脈が有り余って初めて可能な手段だ。
読み書きすらまともに教えてもらったことのないミラが、習う機会などあるわけがない。
――どうしよう。
今まで何度も使おうとしてダメだった。
心の中で女神に呼びかけたり、傷や病気が治るイメージを思い浮かべたり……
思いつくことはなんでもやってみたけれども、そもそも魔法がなんなのか、魔力がどんなものかすら知らないミラにはどうしようもなかったのだ。
――このまま力に目覚めなくて、ゲームが始めれなかったらどうしよう?
ヒロインとして目覚めることができなければ、この世界を救うこともできない。
みんなが惨めなまま何の意味もなくバタバタと死んでいくような、残酷で理不尽な世界を変えることができない。
このままでは、せっかく女神に選ばれてゲームの世界に転生してきた意味がないではないか。
――とにかく力に目覚めなくちゃ。お願い、女神様。何でもするから助けてください!!
ミラは心の底から祈った。おそらく、前世を含めてこれほど熱心に神に祈ったことはなかっただろう。
ミラにとっては永遠にも等しい時間……しかし、客観的には五分にも満たなかっただろう。
《この時を待っていたわ。いよいよゲームの始まりね。私の可愛いヒロインさん》
愉し気な声がミラの耳に届いたかと思うと、虹色の光が彼女の視界を覆いつくした。
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第六話 お花畑転生娘とゲームの始まり
虹色の光に包まれたミラは、かつてこの世界に転生した時にも訪れた、あの不思議な空間にいた。
ふわふわした雲のようなものがしきつめられた、白っぽい光に満ち溢れた場所。
そこに砂糖菓子と宝石で作られた人形のような、あの美しい女神の姿があった。
「女神様! あたし、どうしてもあの人を助けたい! ううん、あの人だけじゃなくって。みんなが惨めなまんま、何の意味もなくバタバタ死んでいく、こんなクソな世界を変えてあげたい!!」
思わず女神の両手をひしと握りしめ、勢い込んで叫ぶミラ。
「だから教えて! どうすればあの人を助けることができるのか。どうすれば治癒魔法を使ってこの世界を救えるのかを!!」
ミラの真剣な姿に、女神は感極まった面持ちになる。
「ああ、この言葉を待っていたのよ。苦労して何年も待った甲斐があったわ!」
「どうゆうこと?」
「記憶が戻ってすぐに力が覚醒してしまったら、あなたは『ヒロインだから』という理由だけでゲームに取り組んで、ただシナリオをなぞるだけの行動を取るかもしれない。それでは意味がないの。あなたが救うべき人々の姿を知って、苦しんでいる彼らを、命がけで……いいえ、魂を賭けてでもこの世界を救おうと、心の底から思ってくれないと、真の救済はもたらされないわ」
怪訝な顔をしたミラに、女神はうっとりとした声で答えた。
両手をしっかりと組み合わせ、瞳を潤ませ夢見るような表情は、思わず見とれてしまうほど神々しくも美しい。
「そうだったんだ……」
「本当は、すぐにでも世界救済に取り組んでほしかったの。あなたをあの世界で見つけてからすぐに。でも、あなたにこの世界のありのままの姿を知って欲しかった……だから何度も味わってもらわなければならなかったの。この世界がどれほど理不尽と無慈悲に満ちているか。人々がどれほど無意味なまま惨めに死んでいかなければならないのか。自分がどんな世界を救わなければならないのかを正しく知ってもらうために」
今度は女神の方からミラの両手を握りしめ、じっと彼女の目を覗き込んで唄うように囁きかける。
ダイヤモンドのようにまばゆい輝きを放つ透明なまなざしに、ミラはすっかり魅入られてしまった。
「だからね、私はとっても嬉しいのよ。あなたがこの世界のためにこんなにも心を痛めてくれていて。この世界に這いつくばって生きるしかない、蛆虫みたいに惨めな人たちにも心を寄せてくれて」
ミラが冷静であったなら、気付いたかもしれない。
本当に「苦しんでいる人々を救う」ことを目指しているにしては、女神の言葉はあまりにもおかしいのだ。
この世の理不尽に苦しんでいる人々をどこまでも嘲り、蔑み、虫けら扱いするような存在が、本当に「救済」を望むのだろうか?
よく見ると、その口元は卑しい愉悦に歪み、瞳には冷ややかな光が宿っている。
しかし、ようやくゲームが始まったことに安堵したミラは、この時すっかり気が緩んで感性が鈍っていた。
無数の光をまとった女神の美しさに目がくらみ、全く見えていないのだ。その口元に浮かぶ歪んだ笑みも、瞳の奥底に宿った昏い喜びも。
だから何の疑いもなく応えてしまう。意気揚々とした女神の呼びかけに。
「さあ、始めましょう。この世界を救済するための『ゲーム』を!」
「もちろんです、女神様! あたし、命を……いいえ、この魂を賭けて、精一杯がんばります!」
さあ、ゲームの始まりだ。
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