第六節 第三十二話 義父

「キリはどんな人?」

 ハコは言葉を選ぶ。当時のユミは13歳だった。幼気な娘をたぶらかしたのは一体どのような男なのか気になって仕方はないが、ユミの力になってやろうと決意したのだ。自身がユミの父親を愛したように、たとえユミがどんな相手を選んだのであろうと受け入れてやらねばなるまい。

「私の2つ年下の子。だから今は……、17歳の男の子」

「へ?」

 思わず素っ頓狂な声がもれてしまう。

「おかしい……、かな?」

「い、いえ、そんなことないわ。ユミが好きになった人なんだもんね」

 娘に対して失礼な反応だったと、必死で取り繕う。

 てっきり大人の男にでも魅了されてしまったものとばかり思っていた。故に娘の貞操を危惧していたのだが、そうなると事情が変わってくる。


「となると……、出会った時のその子は11歳?」

「うん。キリもそう言ってた」

「えっと、その……、ユミからってこと?」

「うん。キリが私の手を取ってくれたの」

 娘がここまで積極的な子だとは思わなかった。かつて、雛の班員に言い寄られて辟易としていると語られたこともあったが、このキリへの一途な想いがそうさせていたと言うことか。

「それでね……、えっと……。お母さんがお父さんを好きになったのは出会ってすぐだったってことだよね?」

「ん? そうよ」

 意味深長な問いかけだ。ハコは首を傾げる。

「私もね、キリのことがすぐに好きになった。可愛くて、でも頼もしくって……。私のために包帯だって巻いてくれたの」

「そう……。それは好きになってもしょうがないわね」

 ユミはぱぁっと顔を輝かせる。

「そうだよね! だから私たち、出会ったその日に鴛鴦になったの!」

「おしぃいいい!?」

「あ……」


 母の雄叫びに、間の抜けた声を上げてしまうユミ。

 それと同時に病室の奥側からごそっという音が立つ。

 垂れ幕の中で眠っていた患者が眼を覚ましたのかもしれない。

 

「ご、ごめんなさい」

 ハコは垂れ幕に向かって慌てて頭を下げる。


「ユミもごめんね。好きな人と鴛鴦になりたいと思うのは当然のこと。ユミの想いが今まで続いてるんだもの。契りを結ぶのが早すぎるなんてことはなかったはずよ」

「ありがとうお母さん」

 ユミの事情を知る者は既に何人か存在する。しかし、秘密を最も打ち明けたい相手は母親だった。

 それが出来なかったのはクイに口止めされていたためであり、その縛めが解かれた訳でもない。とは言えユミの中では、キリに会うための決意が固まっていた。もはやユミを阻むものは無いのだ。


「私はね、お母さん。普通の鳩とは少し違うの。普通じゃないから他の子たちよりも家に帰ってくるのが遅くなった。でもそのおかげでキリに会うことが出来た。孵卵を乗り越えられたのもキリが居たおかげ。なのに……」

 ユミは髪を束ねていた帯を引っ張り、結び目を解いた。そしてハコの前に掲げる。

「これはキリが使ってたタスキなの。もともと着けてた赤い織物はキリに渡した。私たちはいつでも一緒だよって別れちゃった。それが鳩の縛めなんだって」

「鳩の縛め……」

「うん。お母さんも百舌鳥だったって言うなら知ってはいるんだよね。それでも直接かかわることはあんまりないと思う。でもね、こうやって医術院に通えるのも縛めの恩恵だったりするの」

 病室に訪れた時のハコの顔は穏やかだった。それを見ると無闇に壊してはいけない幸せを感じてしまう。

 

「またキリに会うためには縛めを破るしかない。でもさっきクイさんとお話した。鳩の縛めの目的について。全部納得できた訳じゃないけど、制限の上に成り立つ均衡があるんだってのも分かった」

「ユミ……」

「だからお母さんは安心して。これからも一緒にトミサで暮らそ?」

 ユミは飛びっきりの笑顔を見せる。

 

 一方のハコもいい加減気づいていた。ユミが見せる笑顔の意味を。ウラヤで暮らしていた頃には、決して見せることの無かった我が子の飛びっきりの笑顔。

 人との関りが増えることで身に着けた処世術ということだろう。それが分かった今ではその笑顔も痛々しいだけだった。

 ユミはもっと自分勝手に生きる娘だったはずだ。時には行き過ぎた行動を制さなければならないこともあったが、そんなユミのことを愛していた。

 キリに関する話の全てを理解できた訳では無い。それでも鳩の縛めによって、ユミが恋い慕う者との逢瀬が叶わぬ状況にあるのだと痛感した。

 それはハコ自身が身を以て苦しいと感じていたことにも共通する。その辛苦を乗り越えることが出来たのはユミが生まれて来たからに他ならない。ハコは十分に幸せだったのだ。

 一方のユミはどうだろう。かつては赤子がいるなどと突拍子もないことを言い出したが、キリとの愛の形だと思い込んでいたということなのだろう。それは幻想に過ぎなかったのだ。今後は何がユミの支えになると言うのか。

 

「ユミ……。お願い我慢しないで。あなたの好きに生きて。それがお母さんの幸せだから……」

 ユミが寝ている間に投げた言葉。それを再び絞り出す。

「お母さん……」

 好きに生きるとは何だろうか。理想を言えば母とキリとソラと、皆で暮らしたい。今となってはそこにギンを加えてやることにもなるだろう。

 しかしこの世界において、それはあまりにも贅沢な望みである。

 鴛鴦文によって契りが交わされ、他の村への移住が行われた場合、滅多なことで故郷に帰ることなどできない。鳩で無い者はそれを当たり前の様に受け入れている。ウラヤとトミサの往復が許されているユミは恵まれた方なのだ。


 そんな制限された生活をユミは受け入れかけていた。人質とまで言われた母が倒れたと知り、やはり勝手なことは出来ぬと悟ったからだ。

 

 そしてまた、キリの文を読むことを恐れていた。

 考えてみればおかしなことである。キリにはユミという鴦が居ながら何故鴛鴦文など書いたのか。

 ユミに届くことを信じていたか、はたまたユミに会えぬと知り、新たな出会いを求めたのか。それを明らかにするのが怖かった。

 

 もし共に暮らそうというユミの提案に対して、母からありがとうと返されたのならば、ユミは一歩踏み出せなかったかもしれない。

 キリの心を明らかにしないまま、今ある幸せを享受することも選択肢の1つなのだ。

 しかし今はもう迷わない。

 

「これね、キリが書いた鴛鴦文なの。鳩は開けちゃいけない決まり。だから代わりにソラに読んでもらう」

 がま口にしまっていた封筒を取り出し、ハコの前へ掲げた。

「ソラに? 確かギン君と……」

「そう。ソラももう鴛鴦の契りを結べる歳。でも鴛鴦文を読むには鴛が居てはいけない。ソラにはまだ私とキリのことをちゃんと話してないの。ソラは何も言わないけど、きっとギンの言葉を待ってる」

 ユミはふうっと息を吐く。

「私がキリとの決着をつけないとソラも幸せになれない。だから私もソラと一緒に前へ進む」

 母の見舞いに来たはずが、逆に勇気づけられてしまった。

 今のユミは決意を帯びた顔つきを見せている。先ほどの強がった笑顔とはまるで異なる。

「それでいいのよユミ」

 ハコは安堵して優しげに微笑んだ。


「5年前、キリと約束を交わしたの。私は立派な鳩になって、素敵な鴦になるって。……どうかな? 今の私」

 母親に聞いても仕方のないことなのかもしれない。それでも誰かに認めてもらいたかった。

「ユミは立派な鳩よ。何度もソラの文を持ってきてくれたし、ソラに文を届けてくれた。お母さんそのおかげでずっと幸せだったんだから。それに……」

 ユミの頭から足まで、ハコは視線を這わす。

「すっかり綺麗になったわね……。あねさん達にも負けないぐらい。きっとキリを思う気持ちがそうさせたんだろうね。あなたを見たら喜んでくれるわ。こんなに素敵な鴦がいるんだって」

「ありがとう!」

 きっと子煩悩から生まれる言葉ではないはずだ。ユミはそう信じたかった。


「ねえユミ。約束を交わしたってことはキリも何か言ってたの?」

 大事な娘を差し出そうと言うのだ。キリ自身にも何か決意を示してもらわなければ割に合わない。

「うん、キリは言ってた。アイと仲良くなるんだって。キリが大人になるまでに」

「アイ?」

「そう、キリのお母さんのこと。で……」

 気がかりなのはアイとソラとの関係だ。これまでに得た情報から、それはほぼ確定しているのだが、まだハコに話す段ではない。

 

「アイは孵卵で行き倒れた私のことを助けてくれた」

 アイに対する評価を迷った挙句、肯定的な言葉が飛び出した。

「そう! それは感謝しなくちゃいけないわね。あれでも……、キリがアイさんと仲良くなるって言ったってことは、その時は仲が悪かったの?」

 仲が悪かったと言うと語弊がある。一方的にアイがキリのことを無視していたような印象だ。

「アイはね、キリのことを叩くの。出会った時から……、キリの顔にもあざがついてて。だから……」

 

 ラシノから連れ出したのだと言おうとしたその時、奥の寝台を隠していた垂れ幕がばっと開かれる。

 そこには蒼白な表情を浮かべた男が1人、上体を起こしてユミらを見据えていた。

 ユミはその様に呆然としてしまったが、やがて男は口を開く。


「キリは無事なんですか?」


 ――――


 ユミは男の姿を見て動けなくなっていた。先ほどの会話を聞かれていたのだろうか。男に聞かれるのが憚られるような話も含まれていたのだ。

「あなたは?」

 そう問いかけるのがやっとだった。


「私は……、キリの父親のカラと言います」

「キリのお父さん!?」

 ユミははっと息を飲む。


 ――お父さんってことはお義父さん? 

   えっと、ええっと……。髪乱れてないかな?

   お母さんは綺麗だって言ってくれたけど……。

   と言うか私、臭いんじゃないの? ミズの孵卵の後だよ?

   ……違う! そうじゃない!


「こ、こんにちは……」

 何はともあれ、まずは挨拶からだ。

「こんにちは」

 カラは浮かべていた青白い顔を一瞬で引っ込め、優し気ににこっと笑いかける。


 ――似てる……。


 キリの持つ青い瞳と丸みを帯びたまぶたとがアイによく似ているとは思っていた。しかし、それ以外の点は目の前の男と瓜二つだ。皮肉なことだが、顔に負っている痣も類似点と言える。

 懐かしさに思わず涙が溢れそうになるが、ぐっと堪えた。


「どうして……、ここに?」

 問いかけはしたものの、それはほとんど答え合わせだった。

 ユミは記憶をぐるぐると巡らせる。

 

 キリと出会った時には父親が悪い奴にやられたと言っていた。

 そして孵卵後に再会した折には、父親が生きているのだと知ったとキリは打ち明けた。どこにいるかまでは分からない様子だったが。

 またトミサへの入門時、クイは言っていた。鳩の不埒によって怪我を負った者はトミサの医術院に運ばれることがあり、罪を犯した鳩は烏の烙印を与えられるのだと。


「私はある者にこのような姿にされ、ここでどうにか生きながらえています」

 カラは飽くまでも穏やかに語る。その表情からは姿であることを忘れさせてしまう。

 座った姿勢で投げ出された脚は布団に隠されているが、歩行も困難になるほどの傷を負っているのかもしれない。

 そう考えただけでもいたたまれない気分になる。

 

「その人のこと、恨んでますか?」

 ユミにとっても憎き男。しかしカラのことを扇動しようとは思わなかった。むしろキリの父親の優しい言葉を聞けるはずだと期待してしまっていた。

「いえ、恨んでません。この体と引き換えにキリを守ると言ってくれましたから……」

 即答するカラにユミは少しだけ安堵した。

 

 ユミがケンを恨んでいるのは、出会って早々にキリを殴り飛ばしたことに起因する。

 しかしケンは、殴った相手がキリだと気づくとしおらしい態度を見せていた。

 そしてラシノに帰るべきだと諭したのもキリの身を案じてのことだったのだろう。あのままウラヤに連れて帰ろうものなら、訳が分からないまま鳩の縛めを犯してしまっていたのだ。

 曲がりなりにもカラとの約束を果たしていたと言うことなのだろう。

 尤もそれが、ユミの憎しみを解消するかは別の問題ではあるが。


「お義父さ………、カラさんはキリに会えなくていいんですか?」

「ふふふ、お義父さんと呼んでもらえると嬉しいですね。キリにこんな可愛らしい鴦がいるなんて……。もちろんキリには会いたいですが、あなたが寄り添ってくれるなら贅沢は言いません」

「私のこと認めてくれるんですか!?」

 ユミは顔を真っ赤にする。

「ええ、もちろん。失礼と思いながら途中から話を聞いてしまいました。キリのことを本当に大事にしてくれているんだと確信しましたよ」

「あ、ありがとうございます!」

 語先後礼ごせんごれい。ぺこりと腰を折り曲げる。


「ええっとユミさん、でしたっけ?」

「はい! ユミです」

「ユミさんは鳩なんですよね? 今度キリに会った時、私の言葉を伝えてくれませんか?」

「ええ、もちろん!」

 思わず即答してしまったが、それには大きな問題がある。


「……すみません。もちろんお義父さんの言葉を伝えたいとは思っています。ですが私はラシノの鳩ではありません。キリに会うには鳩の縛めを犯す必要があります。なのでやっぱり、約束はできません。ですが……、伝えたい言葉があれば聞かせてください」

「ありがとうございます。それで十分ですよ」

 カラは微笑むと天井を見上げた。そして束の間の沈黙の後、口を開く。


「キリ。苦労をかけました。お父さんはなんとかやってます。キリは大事なものとこれからも健やかに過ごしてください」


 言い終えるとカラは満足げに頷いた。

「これで十分です。大事なものは何か、キリに委ねることにはなってしまいますが、もうその判断もつく歳であるはずです」

 カラはじっとユミを見つめる。きっとあなたのことを選んでくれますよとでも言いたいのだろうか。

「はい。お義父さんの言葉、しかと受け取りました」

 はっきりと返事を返したものの、1つ疑問が湧いた。


「あの……、これまでもキリと連絡は取らなかったのですか? 鳩を使えば文を届けられるはずです」

「ああ、そうですね……。私からは何度も文を書きました。アイとキリに向けて。しかし、2人から返事が返ってきたことはありません」

「……!」

 カラの諦めたような口調に、ユミはその意図を察する。

 カラが垂れ幕を開いた時に尋ねたキリの安否。その答えが現れているのだろう。


「キリ……」

 なるべく早くキリに会わねば、そう決意した。


 ――――


 しばらくキリとの思い出話に花が咲いた。

 風呂の火の面倒を見てくれたこと。一緒に兎の肉を食べたこと。

 なるべくカラが楽しく聞いてくれるような話題を選出した。

 またユミの腰に着けているがま口に気づいたカラは嬉しそうだった。彼は生まれ故郷のキョナンからラシノへの移住の際、立ち寄ったトミサで同じものを購入したのだと打ち明けた。もともとは鴛鴦文おしふみで結ばれたアイへの手土産のつもりだったのだが、彼女は気に入らなかったようなので代わりにキリが所持するようになったとのことだった。

 

 話は止まらないが、やがて母の寝息が聞こえてくる。

 母を話の輪から外してしまったと申し訳なくなる一方で、カラに聞いておきたかったことを問う好機だとも思い至る。


「あの……、キリのお父さんということはソラのお父さんでもあるんですか?」

 その問いかけにカラは顔を曇らせる。

「ソラ……。アイからその名前を聞いたのですか?」

「ご、ごめんなさい。聞かない方が良かったですよね」

「いえ、大丈夫です。結論から言うと、……結論しか申し上げられませんが、ソラさんは私の娘ではありません」

「え?」

 そのようなことがあり得るのだろうかと思う一方で、腑に落ちる部分もあった。カラの語るソラとユミの思い描くソラとが同一人物であることが前提ではあるが、ソラがウラヤに住んでいる理由にもつながるはずだ。

 

「それでも私はソラさんの安寧も願います。他でもないアイの……」

 隠し事をしているかのようにカラは言い淀む。ほとんど核心を突いたようなものではあるが。

 何はともあれ、今のユミにはその言葉で十分だった。ソラも幸せになって良いのだ。

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