第六節 第六話 烙印

要約動画はこちらから(https://youtube.com/shorts/UPJc-DI45aI?feature=share)



「もぉーきりぃー、まぁたタスキたて結びになってるよぉー」

 阿呆鴛鴦あほうどり――もとい、ユミとキリがイチカに愛の巣を築いてから250日目の朝を迎えていた。

「ありがとーゆみぃー」

 しょうがないなぁ、と甘い声を出しながら、タスキの結び目を直してあげたのは今日で182回目であった。

 ユミの包帯は綺麗に巻けていたのに、不思議なものである。

 たまに正しく結べている時は、頭を撫でて目いっぱい褒めてやった。

 キリもそれに応じて、口元を緩める。それが2人の日課となっていた。

 やはり阿呆鴛鴦と呼ぶべきかもしれない。どうにも緊張感に欠ける。


 しかし、ユミも本来の目的を忘れたわけではなかった。本気で歩いてもウラヤへ辿り着けないのだ。

 キリと過ごした250日間の軌跡をユミは全て記憶している。

 記憶を頼りに、記憶にない道を選んで歩いた。歩いては、暗くなる前に記憶を辿りイチカへと戻る。

 それでもウラヤはおろか、どこの村へ辿り着くことも出来なかった。

 孵卵の序盤、ラシノへ辿り着くことができたのは、よっぽどの幸運だったと言えよう。


「いい天気だね。今日はお休みになるのかな」

「そうだね! 罠に何かかかってるといいな!」

 初めの内こそ、晴れた日は毎日探索するようにしていたが、ここまで辿り着けないとなると休暇も欲しくなる。

 2人は晴れが5日続いた次の日には休みと称し、イチカで愛で合うことを慣習としていた。

 

 阿呆鴛鴦ぶりを見せる二人であるが、さすがに手を繋ぎ続けるのも不便だった。

 キリと過ごすことで分かってきたことではあるが、森には村にも満たない小さな隙間があるようだ。

 キリが手を離しても怖くない場所がある。イチカはその1つであり比較的広い隙間のようだ。

 全域ではないがイチカの近くにある川の一部も隙間となっており、2人はそこで変わり番こに身を清めることができた。


 昨晩罠を仕掛けておいた場所も隙間の1つである。何の変哲もない森の一角だ。

 2人は手を繋いで隙間を目指す。

 キリの背丈に合わせたユミの肩は下がり、歩幅も狭くなってしまう。

 キリが見上げると凛としたユミの顔がある。今では眼を直視するのも平気だった。

「どうしたのキリ? 私に見とれちゃった?」

「……うん」

「もぉー、かわいいなぁー」

 キリは可愛いと言われることが嬉しくもあり、もどかしくもあった。

 故にいつか背丈が届くようになったら、あの唇に触れてみたい、などと思うのだった。


「兎だ!」

 手筈通り罠にかかっていたようだ。250日目にして初めての成果であった。

 植物の蔓を輪っかにして、木の枝に取り付けただけの簡単なくくり罠。兎は後ろ脚を輪っかに取られ、前脚でもがいていた。

 キリの手を離したユミは兎に近寄り、石斧を取り、振り上げる。躊躇いの無い動作だった。

「待って!」

 高くあげられたユミの右腕が掴まれる。

「ん? やってみたい?」

「……ほんとに殺すの?」

 キリの不安げな眼に応えて、石斧を静かに下す。

「兎、おいしいよ?」

 キリは食べたことが無いのだろうか?

 いや、アイのキリへの態度を見れば言うまでも無いことか。

 

 

 何度も、とは言えないがユミは兎の解体を手伝わされてきたものだ。

 初めて止めを刺したときはソラも一緒だった。嫌がるソラの姿は今のキリともよく似ている。

 ユミも最初から躊躇いが無かった訳ではないが、ソラの姿を見てむしろ背中を押されたのだった。

 一撃で仕留めるのが慈悲だと聞かされていたが、やはり手は震えた。

 急所の頭を目掛け石斧を振り下したはずが、横っ腹をかすめる。兎は声もなく血を流した。その獣は生に縋りつくようにもがく。

 眼を覆うソラを傍らに、ユミは早く終わらそうと兎を殴り続けた。力の無い殺意を小刻みにぶつけるのだった。

「ありがとう、ユミ」

 やがて動かなくなった兎を見て、ソラは泣きながら呟いた。

 ソラには本当は自分がやらなくちゃいけないという思いがあった。

 兎の肉はソラが看ていた患者に与えられるものだったからだ。

 兎の命が過労に倒れた農夫達の活力となる。その力が米となり、青菜となり、やがてソラへ、ユミへと返ってくる。

 ソラは涙を拭き、それ以降の解体工程は率先して手を動かした。

「私が命を繋がなきゃ!」

 その眼には使命感が宿っていた。

 

 

「眼を瞑ってていいよ。キリ」

「……大丈夫。見る」

 明確な殺意を胸に、叩きつけた石斧は兎の脳天を捕える。

 

 どすっ。

 

 今回は一打で仕留められたようだ。

 ユミは悶えることもなく、動きを止めた兎の耳をつかみ、持ち上げる。

「キリ」

 キリにそっとその屍を突きつける。持ってみろと。

「……」

 おずおずとを差し出しされた両腕にそれを置く。

「重い?」

「……わかんない。でも……、あったかい」

「それが命だよ」

 それらしいことを口にはしてみたが、正直なところユミにもよくわからない。

「命は繋いでいかなきゃいけないんだ」

 よくわからないのでソラの言葉を借りてみた。


「いい匂いだね。ユミ!」

 川で血抜きを終え、皮を剥ぎ、解体を終えるまでにほぼ一日かかってしまった。2人を照らす光の上には、肉塊に姿を変えたものが吊るされている。

 肉から漂う芳香に心躍らせるキリを見て、明日からまた頑張ろうと思う。

「食べていい?」

「はい、どうぞ」

 ユミは小刀で肉をそぎ、葉にくるんでキリに渡してやった。ユミも同じように自分の分を取る。が、しばらくキリが食べるところを見てみようと思った。

「いただきます!」

 キリがかぶりつく。

「おいしい!!」

 それだけ言い、どんどん食べ進めていくキリの顔には笑みが浮かんでいた。

 奪った命を血肉に変え、幸せをつかみ取ろうというその姿にユミは安堵感を覚えた。

 

 ユミにとっても念願の兎肉だ。なんとなく勿体ぶってしまったが、一口食べたぐらいでは無くならないのだ。

 我慢できず肉に歯を立てる。口いっぱいに旨味が広がり、体中が満たされていく気がした。

「生きててよかった!」

 これまで言ったこともない言葉を口に出してみた。

 ――

 ユミが1人で二兎を追った時は一兎も得ることができなかった。命をもてあそぶんじゃないとあざ笑うかのように。あわよくば腹の足しにしたいという軽薄な心が見透かされたかのように。

 今日はキリと2人で1つの命を奪った。明確な殺意を持って。そして2人で幸福を享受している。

 ――命を繋ぐ、か。

 幸せを得るために何かを力づくで犠牲にする。何かを犠牲にすることを覚悟して、私たちは幸せになる義務があるんだ。

 ユミは少しだけソラの優しさに近づいた気がした。

 

 犠牲と言えば、キリはラシノでアイの犠牲となっていた。アイはキリを犠牲にして何か幸福を得たのだろうか。

 一時の優越感? 破壊衝動の解消?

 そんなものが幸せと呼べるだろうか?

 アイはユミをソラと呼んでいた。アイの幸福の本質はソラの存在なのだろう。

 キリを犠牲に、奇しくもソラ、のようなものを手に入れかけ、そしてキリによって逃された。

 今頃アイは何を考えているだろう。その程度の覚悟じゃ幸福をつかめないぞ、とあざ笑ってやることはできただろうか。

 

 むしろアイは、誰かの覚悟の上での犠牲なのだろうか。

 アイを犠牲にして、キリはユミとの幸せを手にしていると言えなくもない。自業自得だと言いたいところだが。

 いや、キリのことを思うのなら、大事なのはそこではない。

 アイはキリを虐待し、犠牲にしなければならないほど追い込まれていたのかもしれない。それがソラによるものなのか?

 ユミの知っているソラは確かに幸せそうだ。

 

 ヤマによるとソラはこうのとりが運んできたはずだ。

 鸛がアイの犠牲にして、ソラに幸せをもたらしたのだとすると、ここまでの考えに対して一応筋は通っている。

 しかし、アイの言うソラがユミの知っているソラだとして、アイが晒されている犠牲に気づく必要などないとも思う。

 ユミはただ、ユミと離れて暮らすソラが、幸せを維持していることを願うだけであった。

 

 命を繋ぐと言えばもう1つ、ユミはずっと考えていたことがある。

 親のいない子供は鸛が運んでくると言われたが、そうでない子供の親は鴛鴦だ。鴛鴦おしおしに命が宿るのだと聞いている。

 ユミはキリの鴦となってから250日が経過している。

 そろそろ腹に子が芽生えてもおかしくないのではないか、と考えていた。もちろんそんなはずはないのだが。

 学習能力の高いユミではあるが、教えられてもいないことを知る由もなかった。

 ユミは膨らんだ腹を愛おしそうに眺め、優しく撫でる。無論、その腹に入っているのは兎の肉だ。

「どうしたの? ユミ?」

 不思議そうな顔をキリが寄せてくる。

「お腹、聞いてみて?」

「……?」

 言われるがままユミの腹に耳を寄せる。

「なんかとくとく言ってる!」

「!?」

 驚いた顔を浮かべ、ユミは続ける。

「新しい命の音だよ」

「ほんとに!?」

 言うまでも無くユミの心の臓の音だ。

「こうやって命を繋いでいくんだよ」

「じゃあ、兎さんにありがとうって言わないとね!」

 ユミは分かってくれたのかと満足そうな顔をして、腹に擦りつけたままのキリの頭を撫でた。

 難しいことに頭を巡らせたあげく、とんでもない答えに行きついた阿呆鴛鴦あほうどりだった。


 

「どうユミ! ちゃんと結べてる?」

「……おしいなぁ」

 251日目の朝、ユミはいつものようにタスキを確認していた。

 背中に作られた蝶結びの輪の1つが異常に小さい。これではちょっとした弾みで解けてしまう。

 直してやろうとタスキに伸ばしかけた手を止める。

「キリ」

 いつにも増して真剣な口調だ。

「これからは、キリも教えていかないといけないんだよ」

「……ごめんなさい」

「ほら、待っててあげるから自分でやってみて」

 キリも親としての自覚が芽生えたのだろうか。一瞬だけ曇らせた顔をぶるぶると振り、きっと口を締めた。

 一度タスキを解いてしまい、再びくるくるっと両腕に巻いていく。そして最後に背中できゅっと結び目を作る。

「どう?」

「……よくできました!」

 ユミはにこっと笑う。頭を撫でるのは、考えてやめた。


 それでも森に出るときは手を繋ぐ。

 繋ぎ方はあの鴛鴦の誓いを立てた夜、鹿と対峙した時と同じ様式だ。――ユミはこれを鴛鴦繋ぎと呼んでいた。

 足取りは軽かった。キリはユミに合わせ、いつもより歩幅を広げることを意識した。

 昨晩命を奪った覚悟が2人に力を与えているのだろう。

 

 どのくらい歩いただろうか。そろそろ腹も空いてきたという頃、ふとキリが立ち止まる。

「このあたり、怖くないかも」

「そう? じゃあ」

 ユミは手を離す。

「うん。大丈夫そう」

 こんなことはこれまでも幾度もあった。

 ユミには感じ取れない森の脅威をキリが探知する。そして近くに村があるのではないかと期待してぐるりと歩く。

 いつものような小さな隙間であれば、キリの顔はすぐに歪み始める。それを察してユミはすぐ手を取りにかかる。

 ユミはこの工程がかわいそうだとは感じていたが、手を引かれてばかりのキリが役に立てる絶好の機会でもあった。

 

 しかし、この日はいつもと違った。しばらく歩いてもキリの顔が歪まない。

 離れて歩く2人の間に期待感が高まっていく。

「ユミ、あっち!」

 不意にキリが駆け出した。その行く手には広間のようなものが見える。

 ふらふらになりながらも、ラシノに足を踏み入れた夜の記憶がよみがえる。

「ちょっとまってよぉ」

 本気で走ればキリの方が速いようだ。全く、鴦と子を置いていくとは何事か。

 

 木々の並びが途切れたあたりでキリは立ち止まっていた。ユミもそれに追いつく。

「ここがウラヤ?」

 キリの問いにユミは気を悪くしてしまう。ウラヤはこんな寂れた村じゃない。

 人の姿は見えないが、でこぼこした地面には何軒か茅葺屋根が立っている。

 しかしどれもボロボロで、屋根の茅がささくれだっている。あばら家、という言葉が似合いそうだ。

 腹も減っていたし、あわよくばおこぼれをもらえないかとも思っていたが期待は薄い。

 

 いや、あわよくばでは駄目なのだ。貪欲に生に縋りつく覚悟を持たなければならない。昨晩そう気づいたはずだ。

「ユミ?」

 ユミは一番手前に位置していた一軒に向かってずんずん歩く。キリもそれに続いた。

 家の前まで来て覚悟を決める。

「ごめんくださーい」

 どんどんどん、と戸を叩く。ユミの力でも、これ以上叩いたら壊れてしまうのでは、と思うぐらい戸は朽ちている。

「ごめんくださーい」

 どんどんどん。キリも声を合わせる。

 ……返事は無いようだ。

「いないのかな?」

「……次、いくよ」

 まだ、家はある。すなわち、まだできることがある。

 できることがあるうちは、手足を動かし続けるまでだ。


 次の乞食先に目星をつけるため、先ほど叩いた戸に背を向けようとした時だった。

 ユミの首根っこが何者かによって拘束された。

「ぐっ……」

「ユミ!?」

 呻くユミを見上げると、その背後に大男が立っていた。

 その頭の後ろには日輪が位置しており、逆光のため男の顔が視認できない。

 そのままユミをどこかへ連れて行こうとする。


 その光景に驚きはしたが、キリの体は自然と動いた。

「待て!」

 発声と同時に、男の裾を掴む。

「……男は足りている」

 大男は重くぼそっと呟くと、振り向きざまにキリの顔面を殴り飛ばした。

 キリは後方へ吹っ飛び、尻もちをつく。

「キリ!?」

 もがきながら辛うじてその様子を目の当たりにしたユミは、とっさに手を伸ばす。

 ユミもキリも、まだその状況に理解が追い付いていなかった。

 目の前でおしが拘束され、おしが殴られたという状況に。

「ユミ……」

 力なく呟いたキリは伸ばされた手を掴もうとするが、その距離はあまりにも遠い。おまけに尻もちをついた状態だ。

 キリは腰につけていたがま口からドングリを取り、握りしめた。父親からもらった大切ながま口であるが、特に入れる物もなかったため適当に拾い集めていたものだ。

 投げつけてやろうと男の方へ眼を向ける。男との距離関係が変わったことでその全貌が明らかとなった。

 黒を基調とした男の着物はところどころほつれ、劣悪な環境で過ごしてきたことが伺える。

 イチカで暮らしてきたキリの衣服の方がよっぽど状態が良い。

 キリの視線がやがて男の顔へ注がれる。そして気づく。

 

「おまえっ……!」

 キリの全身の毛が逆立つ。

「よくもっ……!」

 忘れるはずがない。

「よくも父さんを!」


 キリの声を聞き、大男はたじろぐ。

「お前……、あの時のガキか!?」

 ユミの首元をいましめていた腕が少しだけ緩くなった。その隙に考え巡らせる。

 キリは父親が悪いやつにやられたと言っていた。

 つまり、

 

 ――こいつが、キリをどん底に突き落とした張本人!? 許せない!!

 ユミは腰に差していた小刀に手を伸ばす。

 しかし、それを抜くことができなかった。

 

 ――今、私は小刀でこの男をどうしようとした?

 殺すのか? 殺せるのか? 体格差のあるこの男を。勝てるわけがない。

 いや殺せる。明確な殺意を覚悟すれば。

 一太刀で出来なければ、何度も繰り返し刺せば良い。兎と一緒だ。


 ――兎と一緒? なぜ兎は殺した? 食べるためだ。食べてキリとともに幸せを享受するためだ。

 この男を殺してどうする? 食べるのか? いや、食べる必要はない。それでキリが幸せになれればいい。


 キリは昨晩、兎を殺すことを躊躇った。

 一方で、キリだって虫や沢蟹の類は殺してきたはずだ。なぜそれは躊躇わなかった?

 兎と虫けらとの違いはなんだ?


 ――

 その生命を下等なものと判断していたと気づく。兎の方が上位の存在だと。それはなぜだ?

 人として生きる以上、人が幸せになる道を考えれば良い。人にとって、人がこの世の最上位の存在なのだ。

 虫と兎、どちらの方が人に近い? それは兎だ。兎は兎の姿で生まれ、親の乳を吸う。人も同様だ。

 

 人に近く、上位の存在であるほど殺意を向けるのに覚悟がいる。

 今ユミが小刀を抜くのを躊躇っているのは、男が兎より上位の存在だと認識しているということだ。

 この男が? キリをひどい目に合わせたこの男が?

 こんな奴、人の形をしたけだものだ!

 

 ――この下等生命め!

 覚悟を決めて小刀の柄を掴む。

 

「やめてくれ。手加減ができなくなる」

 

 呟いた男の手がユミの手に添えられ、そのまま動けなくなる。

「……離して!」

「俺と同じ下等生命になりたいか?」

 まるでユミの腹を読んだかのように問うてくる。

 先ほどはキリの幸せのために手を汚そうと覚悟した。それがキリのためになるのだと自身に言い聞かせた。

 果たして本当にそうなのだろうか?

 ユミがこの大男のように手を汚し、下等生命に成り下がれば、キリは下等生命の鴛となる。

 ユミは鴦として二度とキリの手を握ってはいけなくなる気がした。

「……やだ」

 ぞっとしたユミは小刀を掴んだ手を緩める。

「でも……、許さないから。キリのこと殴ったのは絶対に許さないから……」

「ああ、それでいい」

 キリはまだ腰を抜かしたまま震えていた。

 それでもその眼には、怒りの感情が宿っていた。

 父と鴦のかたきを見る眼だ。

 

 いつの間にか、ユミを拘束していた腕からは手加減を感じ始めていた。抜け出そうと思えば抜け出せる。

 しかし、下等生命に成り下がりかけたこの身を、キリに近づけるのが恥ずかしいと感じ始めていた。

 キリを直視できず、下を向いてしまう。眼に入るのは男の腕だ。

 ユミの視線はその腕の先の方、すなわち手の甲へと吸い寄せられていった。

 そこに黒々とした烏の絵が刻まれていたからだ。これは何だろう。


「そのを離しなさい!!」

 不意にその場に怒声が響き渡る。

 声の方に眼を向けるとひょろっとした人影が見えた。その顔に鎮座している眼鏡がぎらりと光る。

 ユミはその人物とは一度対面したことがあった。

「……クイ?」

 3人の前に姿を現したのはユミの試験監督だった。

 ユミは予想だにしない人物の登場に、呆然とした表情を浮かべる。

 

「千客万来だな。こんなことはここに来てから初めてだ」

 大男の口調はさも感心したような音色を帯びていた。少し弾ませた声で続けて問う。

「お前は誰だ?」

「私はクイ。その娘の試験監督です。その娘の安全を保障する義務がある」

「試験監督? ……孵卵か? まさかこんなところに紛れ込むやつが……」

 

「おい、女だ!女がいたぞ!」

「ちょっとぉ、自分で歩くから、引っ張んないで! て、どこさわ、ダメ! お腹だけは触っちゃダメえええええええええええええ!」

 

 クイの後方から、男2人がかりで女を引っ張ってくるのが見えた。

 右手の袂に2つ、左手の袂に2つ。合計4つの男の手が絡みついている。

 大きな腹を抱えた女相手にまるで容赦がない。

「ヤミさん!!」

 クイの怒声が飛ぶ。

 声を聞いた男2人はその場で立ち止まり、ヤミを座らせた。

 鴛に心配をかけたくないヤミは自虐的に笑う。

「……ごめんね、クイ。捕まっちゃった」

 気丈にふるまうが眼には大粒の涙を浮かべている。

 クイとヤミとの距離はまだ遠い。手を伸ばしても届かない。

 それをあざ笑うかのように、一方の男の手がヤミの膨らんだ腹の上に伸びる。

「汚い手で触るなぁ!」

 ヤミの腹に触れた手を憎々しげに見ると、クイは息を飲んだ。

「……烏の烙印!」

 そこにはユミを拘束している大男にあった物と同じ絵が刻まれていた。

「ここは……、ナガレですね?」

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