第37話 潜入作戦

「あ~、おいしかった」


 陽が暮れて、住宅街が暗くなる一方、歓楽街の方が明るく賑やかになって昼間とは違う姿を見せるようになったエーリアスの街を、メルは少し膨れた腹を擦りながら歩く。


「フフフ、あんなにおいしい鹿肉が食べられるなんて思わなかったな」


 マーサがメルたちのために用意してくれた料理は、夜の酒場の人気メニュー、鹿肉のローフと料理で、ミンチにしてスパイスを利かせた鹿肉とご飯を巨大なボール状にして、ベーコンで包んでオーブンで焼き上げたものだった。


 大皿に乗って出てきた肉を人数でより分け、仕上げにグレイビーソースをかけて食べる鹿肉のローフは、力仕事をしている男性に大人気というのは納得の味とボリュームであった。


「マーサの料理は本当においしい。肉を上手くする天才だと思う」


 唇をペロリと舐めて料理の余韻を思い出したルーは、大事そうにアポルのジュースが入った壺を抱えて歩くノインを見て微笑む。


「ノインもたくさん食べてた」

「し、仕方ないじゃないですか!」


 赤い顔をしたノインは、唇を尖らせてブツブツと話す。


「お腹空いてましたし、あんなおいしいお肉、残せないですよ」

「うん、だから偉いって言ってる」


 大きく頷いたルーは、手を伸ばしてノインの頭を撫でる。


「さっきよりずっといい顔になった。フェーに会った時、元気じゃないとあの子が心配するから」

「そう……でしょうか? フェーちゃんは私のこと、待ってくれていますかね?」

「モチロン待ってるよ。あの子はノインのことを、大好きなママだと思ってるよ」

「そうですか……エヘヘ」


 ルーからお墨付きをもらったノインは、頬を赤く染めて嬉しそうにはにかむ。


「だったら早くこのアポルを届けてあげなきゃですね」

「任せて、私とメルが必ず会わせてあげるから」

「はい!」


 ノインは嬉しそうに破顔すると、軽い足取りで城へと続く坂道を登っていった。



 街中は歓楽街を中心にそれなりに光があったが、坂の上の城周辺は必要最小限の灯りしかなく、視界が一気に悪くなる。

 前庭が見えるところまでやって来たところで、ノインは夜空にそびえ立つ建物を見て小さく震える。


「お、大きいですね。それに……暗いです」

「うん、でも流石に灯りを付けるわけにはいかないよ」


 不安そうなノインへと手を伸ばして抱き寄せたメルは、周囲を確認しながら声を抑えて話しかける。


「物見の間へは、城の中庭を突っ切らなければならないから、ここから先は魔法を使っていくよ」

「侵入に適した魔法ですね?」

「そう、今から使う魔法は相手に認識されなくなるんだけど、声や音は聞こえちゃうから、可能な限り静かにね」

「わ、わかりました」


 ここから先は私語も厳禁であることを理解したノインは、小さく息を飲んで口内に溜まった唾液を嚥下する。


 覚悟を決めた様子のノインを見たメルは、人差し指を掲げてくるりと回してみせる。


「はい、完了。それじゃあ、行こうか」

「えっ、も、もうですか?」


 特に何か変わった様子がないことに戸惑うノインであったが、メルは自信満々に頷いてみせる。


「大丈夫、魔法はしっかりとかかってるよ。怖かったら、私が手を握っていてあげるから」

「わ、わかりました」


 メルにそこまで言われたら信じるしかないと、ノインは伸ばされた手を握り返す。


「メルさん、よろしくお願いいたします」

「任せて。ドーンと大船に乗ったつもりでいていいからね」


 可愛らしくウインクをしてみせたメルは、ノインの手を引いていよいよ城の中へ……まずはかつて出会った女性、ネージュが消えて行った前庭の建物へと向かって行った。




 魔法で宿舎兼詰め所の扉の鍵を開け、中に忍び込んだメルたちは差し込む月明かりを頼りに、長い長い廊下を、息を潜めて歩いていた。


「はぁ……それにしてもここがまだお城じゃないなんて信じられないな」

「ちょ、ちょっとメルさん」


 私語厳禁と言っていたのにいきなり独り言をするメルに、ノインが唇に人差し指を当てて耳元で囁く。


「喋っちゃいけないんじゃなかったんですか?」

「そうだけど……この辺に人がいないみたいだから」

「人がいない?」

「うん、さっと索敵魔法をかけてみたんだけど、少なくともこのフロアには誰もいないみたいなんだ」


 メルは不思議そうに小首を傾げながら、やたらと高い何かの絵が描かれている天井を見る。


「この建物は宿舎って話なのにね。どうしてだろう」

「でも、ここは二階建てですよね? なら、住んでる人は皆二階にいるとかじゃないですか?」

「う~ん、そうかな? そうかも?」


 二階部分までは索敵できていないメルは頭を捻ると、堂々と大股で歩いているルーに尋ねてみる。


「ルー姉はどう思う?」

「うん、これはあれだね」


 ルーは嬉しそうに尻尾をフリフリと振ると、拳を打ち鳴らして獰猛に笑う。


「きっとこの先で、ルーたちを待ち受けている強敵がいるに違いないね……この先に進みたければ私を倒していけ、みたいな?」

「ええっ……そんなバトル漫画じゃあるまいし」


 突拍子もないことを言い出すルーに、メルは呆れたように苦笑する。


「ボクたちが今日、このタイミングで来ることなんて知られてないし、そもそも一か所に集まっての防衛なんて、お城の人たちがそんな効率の悪いことするわけないよ」

「ううっ、ロマンなのに……」


 真っ向から意見を否定されてがっくりと肩を落とすルーを見て、メルは静まり返った廊下の先を見据えて息を吐く。


「……まさかね」


 ルーの突拍子もない話があるとは思えないが、それでも今の不可解な状況からあり得ない話ではないと思ったメルは、今一度隠蔽魔法がしっかりと懸かっていることを確認すると、油断しないように目を凝らしながら慎重に前へと進む。


 誰もいないと思われた宿舎であったが、長い廊下の途中、見張りと思われる兵士とすれ違うことがあった。


 だが、メルの魔法がしっかりと効いているようで、すぐ傍をすれ違っても気付かれる素振りすらなく、三人は早足で宿舎を駆け抜けた。

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