第36話 教えてお婆様

 ロンベルクに心配をかけたことを詫び、入り口を守る門番に挨拶をしたメルたちは、その足で一度寝泊まりしている宿屋へと戻った。


「マーサお婆様!」


 宿の扉を開けるなり、メルは厨房で仕込みをしていた宿の主へと声をかける。


「マーサお婆様、一つ聞きたいことがあるんですけどいいですか?」

「大きな声を上げて何だい……何度も言うけど、夜は働かせるつもりはないよ」

「そっちは大丈夫です。それより、フエゴ様について教えていただきたいんです」

「フエゴ様だって?」

「はい、実は……」


 手を拭きながら厨房から出てきたマーサに、メルはこれまでの事情を話していった。



「なるほどねぇ……」


 椅子に座ってメルの話を聞いたマーサは、手にした煙草をふかしながら深く息を吐く。


「人間がフエゴ様の母親になるなんて聞いたことなかったよ」

「……変ですか?」

「変なもんか」


 不貞腐れたように問いかけるノインに、マーサはニヤリと笑ってみせる。


「愛があれば、種族の差なんて些細なものさ」

「うん、マーサはとてもいいことを言った」


 マーサの言葉に何度も大きく頷いたルーは、隣に座るメルへと抱き付く。


「大切なのは愛、それは間違いない」

「それはわかったからルー姉、今は真面目な話をしているから、ちょっと離れていて」

「うぅ、メルが冷たい」


 しょんぼりと肩を落とすルーの肩をポンポン、と叩きながらメルはマーサに尋ねる。


「ハイネ様は、フエゴ様を成体にさせるのに相応しい場所へ連れて行ったそうですが、そう言った場所に心当たりはありますか?」

「ああ、あるよ」


 煙草を灰皿に押し付けて火を消したマーサは、昔を懐かしむように薄い笑みを浮かべる。


「私の時代は、フエゴ様は必ず物見の間で寝泊まりしてもらっていたのさ」

「物見の間?」

「ああ、フエゴ様のために用意された部屋だよ。大きな部屋に月の光を浴びて光る月光樹の止まり木、そして羽づくろいための教会で清めた水場と砂場を用意しておくのさ」

「ああ、あの箱にはそう言った意味があったんですね」


 フェーの羽づくろいはノインが行っていたので、そういった施設が必要なことを知らなかったメルは、感心したように頷く。


「でも、そもそもどうしてフエゴ様が成体になるのを、その……物見の間で見守ることになったのですか?」

「別に全てのフエゴ様が対象というわけじゃないさ。そうさね……ちょっと昔話をしようか」


 そう前置きして、マーサはフエゴという鳥と聖王都エーリアスとの関係を話す。



 今から数百年前、エーリアス王国は山の上の城のみという小さな国で、城壁を一歩出れば大型の野生動物や魔物が跋扈ばっこする決して恵まれた環境ではなかった。


 そんな困難な状況に置かれていても、少しずつではあるが国を大きくしていた頃、一羽の傷付いた鳥がエーリアスの物見の塔に現れたという。


「炎のように朱く、神々しい鳥を見た当時の聖王は、この鳥が民たちから神の御使いと呼ばれている特別な存在、フエゴ様であることを知り、傷の手当てをして手厚く介護をしたそうだ」


 そして、聖王の厚いもてなしで無事に傷が癒えたフエゴは、立ち去る時に感謝のお礼を残したという。


「それがフエゴ様のしずくの始まりですか?」

「その時は違う料理だったみたいだけどね。でも、私も先人たちの知恵を参考してあの料理を作ったのは確かだから、始まりといえば間違っちゃいないね」


 少し話がズレたね。と言って薄く笑ったマーサは、エーリアスとフエゴとの間に関係ができた後について話す。



 フエゴという鳥は、かつては魔物がいない場所を求めて移動を繰り返す鳥で、この鳥が生息している場所イコール魔物がいない地と言われるのが、フエゴが神の御使いと呼ばれる所以であった。


 その後、フエゴはウィンディア地方の山奥を生息地として選んだのだが、彼の鳥の置き土産をいたく気に入った聖王は、どうにかしてフエゴ様からのお礼を手に入れられる方法はないかと色々と模索したようだ。


「そうしてウィンディア地方の領主と相談の末、成体になる直前のメスのフエゴ様を一羽預かることになったのさ」


 聖王は城の一部をフエゴが暮らすのに適した部屋に改築し、成体になるまで最高峰のもてなしができる環境、物見の間を造った。


 厳選された麦やあわ、教会で清められた水、そして月光樹の止まり木に、教会で祝福を受けた砂場や水場といった至れり尽くせりの環境で成体になったフエゴは、再びウィンディア地方へと戻る際、感謝の礼を残すようになったということだった。



「……というわけだ」

「じゃあ、フェーちゃんはその物見の間にいる可能性が高いですね?」

「そうさね。だが、行くにしても簡単じゃないよ」


 マーサは肘を付いて手を組んだ上に顎を乗せると、鋭い視線をメルへと向ける。


「物見の間に行くということは、エーリアス王城に入るということだよ」

「はい、そうですね」

「そうですねって……当然だけど、城には簡単に入れるものじゃないんだよ」


 マーサはメルたちの顔を順番に見やると、いたずらした子供を叱るように語気を強めに話しかける。


「いいかい? 城に侵入しようものならメル、お前さんは巡礼どころじゃなくなるし、下手したらお尋ね者として誰彼構わず狙われるようになるよ」


 そこまで言ったところで、マーサは大きく息を吐く。


 話を聞いてノインの境遇は可哀想だと思ったが、マーサの言葉は全てメルたちを想ってのことだった。


 かつて城勤めをしていたマーサは、権力者に逆らうことの恐ろしさを痛いほど良く知っていた。

 人生には諦めなければならないことが往々にしてあることを、煮え湯を飲んで耐えなければならないことを人生の先輩として、若人たちに教えられればと思っていた。


 だが、


「マーサお婆様、ご心配いただきありがとうございます」

「メル!? あ、あんたまさか……」


 思わずガタッ、と音を立てて立ち上がるマーサに、メルは微笑を浮かべて応える。


「それでもボクたちは行きます。友達が待っていますから」

「待ってるからって……」

「大丈夫ですよ。そっと行って誰かに見咎められる前に帰って来ますから」

「そんなこと……」


 できるはずがない。そう言おうとしたところで、マーサはメルという人物の能力を思い出す。


「まさか、できるのかい?」

「侵入に適した魔法ならいくつか習得してますから……相手にその手の知識がなければそう難しくはないと思います」

「そうかい……」


 メルの魔法を実際に見たわけではないが、それでも彼女の目を見れば、それ以上の説得は無駄だとマーサは悟り、大きく息を吐く。


「わかった。そこまで言うのなら、物見の間への詳しい行き方を教えるとするかね」

「マーサお婆様……」

「勘違いするんじゃないよ。あんたたちが帰って来なかったら、明日の目覚めが悪いからね。全く……年寄りに余計な心配させんじゃないよ」


 ブツブツとツンデレのテンプレみたいな文句を言いながら、マーサは立ち上がって厨房へと向かう。


「マーサお婆様?」


 てっきりこのまま話し始めると思ったメルは、マーサの行動の意味が分からず去っていく背中に声をかける。


「あ、あの……物見の間への行き方は?」

「何言ってんだい。まさか、こんな時間から城に忍び込むつもりじゃないんだろう?」


 マーサが外へと目を向けると、外は昼下がりの陽気で陽は随分と傾いてきたが、それでも日暮れまではまだ時間がある。


「行くにしても日が暮れてからにしな。いいね?」

「は、はい、わかりました」

「よろしい」


 メルが頷くのを見たマーサは、満足そうに頷く。


「それじゃあ、腹ごなしに何か作ってやるから、食べてから行きな」

「――っ、ありがとうございます。マーサお婆様、大好き」

「よしな……そういうのは孫からだけで十分だよ」


 そう言ってあしらうように手を振るマーサであったが、料理を作る背中は明らかにウキウキとして機嫌が良さそうであった。

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