第35話 自棄にならないで

 外から見ても豪奢な洋館は、中も十分過ぎるくらい広くて豪華だった。


「フェーちゃんの部屋は二階の奥です」


 細かな刺繍が入ったふかふかの絨毯にも、子供の背丈ほどの高そうな壺にも、天井から吊り下げられた巨大なシャンデリアにも目もくれず、ノインはホール中央にある階段を駆け登っていく。


 階段途中にある中二階部分の壁には巨大な絵画、メルたちがエーリアスの駅舎であったハイネの肖像画が立てかけられており、それを見たルーが嫌そうに顔をしかめる。


「……悪趣味」

「ルー姉、そういうこと言わないの。後で使用人の人に密告でもされたらノインちゃんに迷惑がかかるかもしれないでしょ」

「むぅ……わかった」


 内心ではメルもルーと同じ気持ちであったが、言わぬが花と割り切って前を行くノインの後を追う。


 その途中、メルは走りながら気になったことをルーに尋ねる。


「ねえ、ルー姉……さっき門番の人は何を言おうとしたんだと思う?」

「わからないけど……おそらくノインにとってよくないことだと思う」

「だよね……」


 メルは前を走る小さな背中を見ながら、小さな声で決意を口にする。


「この先、何があってもノインちゃんを守ろうね」

「勿論、大切な友達だからね」


 そう言って二人は小さく笑い合うと、視線の先に見えてきた一際大きな扉の中へ入っていくノインに続いてフェーがいると思われる部屋へと飛び込んだ。



「フェーちゃん!」


 勢いよく扉を開けて中へと飛び込んだノインは、大きな声で黄色い鳥を呼ぶ。


「フェーちゃん、ママだよ。フェーちゃんの好きなアポルを持って来たよ!」


 その部屋はフェーのために用意されたのか、広々とした室内には人が使うための家具は荷物を置くテーブルぐらいで、あるのは今にも折れてしまいそうな細い止まり木と餌箱、空の器、そして何のために使うかわからない砂の入った箱と水の入った箱、後はいくつもの空箱が置いてあった。


「……フェーちゃん?」


 いつもなら声を聞けば元気よく飛び跳ねてくる丸い影が見えないことに、ノインは怪訝な表情を浮かべる。


「フェーちゃん、ママだよ。隠れてないで出ておいで」


 テーブルにアポルのジュースが入った壺を置いたノインは、フェーが隠れられそうな場所を虱潰しに見ていく。


 だが、箱の影にも中にも、ましてや細い止まり木にもフェーの姿はなかった。


「フェーちゃん……」


 どうして? 屋敷を出る前には確かにこの部屋にいたはずだ。

 もしかして自分が出ていったのこの部屋から見ていて、後を追いかけるために……、


「――っ、まさか!?」


 ある可能性に気付いたノインは、室内に四つある窓へと目を向ける。

 窓はフェーが抜け出さないように鍵がかかっているのだが、妙に賢いあの子なら、鍵を開けることも造作もないかもしれない。


 そう考えたノインは窓の鍵を外して開けると、窓の縁へと足をかける。


「ちょ、ちょっとノインちゃん、待って!」


 するとそこへ近くで様子を伺っていたメルが慌てて駆け寄って来て、後ろからノインを羽交い締めにする。


「いきなりどうしたの。こんなところから飛び降りたらケガしちゃうよ!」

「放して下さい! 私は、フェーちゃんのところに行かないと!」

「それはわかってるよ! でも、闇雲に動いたところでフェーちゃんが見つかる保証はないでしょ?」

「そ、それは……」


 メルの諭すような言葉に少しは冷静になったのか、ノインは力を抜いて窓から降りる。


 そのまま地面に力なく座り込んでしまうノインに、メルは優しい声で話しかける。


「まずは家の人に話を聞こう。ひょっとしたら、フェーちゃんの場所を知ってるかもしれないでしょ?」

「そう……ですね」


 ノインがゆっくりと頷くのを確認したメルは、彼女に手を貸して立たせてやる。


「それじゃあ、誰か知っていそうな人に話を聞きに行こう」



 そう言ってメルがノインを促そうとすると、


「ノイン様、お戻りになったようですね」


 部屋の入口の方から声が聞こえ、三人は揃ってそちらへと目を向ける。


「扉が開いておりましたので、無断で入室した無礼をどうかご容赦ください」


 そう言って恭しく頭を下げるのは、燕尾服に身を包み、モノクルを付けた白髪の老紳士だった。


「あの人は……」

「ロンベルク様です。この家で雇われている人たちをまとめている侍従長です」


 ノインの紹介に、黒の老紳士は深々とメルたちに頭を下げる。


「はじめまして巡礼の魔法使いメル様とその騎士ルー様、ロンベルクと申します。どうぞ以後お見知りおきを」

「あっ、はい……というかボクたちのこと、ご存知なんですね」

「それはもう……お二方のことは、ノイン様からよく聞いておりますから」


 ロンベルクは顔の皺を深くしてにこやかに笑うと、部屋を見渡して小さく息を吐く。


「実は、旦那様よりノイン様に言伝を授かっております」

「私に……ですか?」

「はい、フエゴ様の処遇についてでございます」

「――っ!?」


 フェーについてと聞かされたノインは、弾けるように顔を上げてロンベルクへと詰め寄る。


「フェーちゃんを……フェーちゃんをどうしたのですか!?」

「はい、旦那様はフエゴ様を成体にするために相応しい場所に移動すると仰っていました。それと、ノイン様には家でおとなしくしているように、と」

「な、何ですかそれは……」


 事実上の解雇宣告にも近い言葉に、ノインは顔を真っ赤にしてロンベルクへと掴みかかる。


「私はフェーちゃんのママなんですよ! 今もフェーちゃんのためにあの子の好物を用意したのに、どうして私を除け者にするんですか!?」

「申し訳ございません。全て旦那様がお決めになったことなので」

「そんなことは知りません! それより今すぐフェーちゃんの場所を教えてください!」

「申し訳ございません。それは旦那様から硬く口止めされておりますので……」


 ノインがいくら抗議の声を上げても、ロンベルクは深々と頭を下げたまま頑なに口を割ろうとはしない。



「……もういいです」


 ロンベルクから情報を引き出すのが無理だと悟ったノインは、怒りの灯った目でメルへと向き直る。


「メルさん、こうなったら魔法でロンベルク様から情報を引き出して下さい」

「そ、それは……」


 手荒な手段に出ようとするノインに、ロンベルクは狼狽した目でメルを見る。


「さあ、お願いします!」

「ダメだよ。そんなことはできないよ」


 メルはゆっくりとかぶりを振ると、落ち着いた声音でノインへと話しかける。


「そんなことをしたら、この家でのノインちゃんの立場がなくなっちゃうでしょ。フェーちゃんを心配するのと、自暴自棄になるのは違うよ」

「ですが!」

「大丈夫」


 メルは穏やかな笑みを浮かべたままノインへと近付くと、彼女へと手を伸ばして優しく抱き寄せる。


「ノインちゃんは一人じゃないよ。ボクたちがいるから、まだ諦めるのは早いよ」

「で、でも……」

「大丈夫」


 メルは何度も言い聞かせるように「大丈夫」と繰り返し、ノインの目に溜まった涙を拭ってやる。


「ボクにいい考えがあるんだ」

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