第31話 最高の料理人

「はぁ……疲れた」


 ランチタイムの慌ただしさをどうにか凌いだメルは、近くの椅子を引き寄せて背もたれに体を預けるようにして座る。


「メル、だらしないよ」


 足を広げてぐったりとするメルに、大皿を手にしたマーサがやって来て、机の上にドン、と豪快に置く。


「嫁入り前の女の子なんだから、人前でなくともちゃんとしておきな」

「は~い、ちゃんとします」


 マーサに注意されたからというよりも、食欲をそそる匂いに腹の虫が反応したメルは、居住まいを正してテーブルの上に置かれた大皿を見やる。


「おおっ、これは……」


 こんがりときつね色に揚げられた肉の山を見て、メルは目をキラキラと輝かせる。


「これは鳥のからの唐揚げ……ええと、ボッカですね」

「そうさね、今日はちょっといいロック鳥の肉が入ったからね。せっかくだからメルたちに食べさせてやろうと思ったんだよ」

「わぁ、ありがとうございます」


 他の従業員たちが次々と席に着いて、山と盛られたボッカと呼ばれるから揚げに手を伸ばして行くのを横目に、フォークを手にしたメルは、自分の机に盛られたきつね色に揚げられた塊に突き刺して一気に頬張る。


「――っ!? はふっはふっ!」


 揚げたての熱さに目を白黒させながらも、メルはどうにか口内で冷ましながら肉へと噛り付く。


 パリッ、という小気味のいい音が耳に響くと共に、皮と衣に付いているマーサのオリジナル配合のスパイスのピリッとくる辛さと、豊かな香りが鼻を突き抜ける。


 間を置かずに中からじゅわっ、と肉汁が染み出て来て、マーサのオリジナルのスパイスと合わさることで、凝縮された旨味が脳天まで届いてメルの目尻が自然と下がる。


 まるで肉汁のスープの海に飛び込んだかのようなおいしさの波に呑まれたメルは、恍惚の笑みを浮かべてゆっくりとした所作でから揚げを飲み込む。


「はぁ…………とってもおいしいです!」

「フフフ、そうだろう」


 幸せの絶頂にいるようなメルを見て、マーサは嬉しそうに双眸を細める。


「ロック鳥は下処理をしっかりしないと身が固くなっちゃうからね。丁寧な下ごしらえと、しっかりと下味を付けるのがおいしくするコツさ」

「わわっ、ちょっと待って下さい。今、メモしますから」


 メルは慌ててエプロンのポケットから小さな日記帳を取り出すと、マーサが話す内容をしっかりと書き留めていく。



「フフフ、メルは本当にいい子だね」


 自分の話を必死に書き留めるメルを、孫を見るような優しい眼差しで見ていたマーサは、そのまま視線を隣へとずらして三白眼になる。


「それに比べてルー、あんた今日は何枚皿を割ったんだい?」

「今日は六枚だ。過去最少だな」

「そこで誇らしげな顔をするんじゃないよ! 全く……あんたは失敗続きなんだから、もう少し食べるのを遠慮したらどうだい」

「いやいや、遠慮するなんてとんでもない」


 ルーは一際大きなから揚げにフォーク突き立てると、誇らしげに掲げてみせる。


「こんなにおいしいものが食べられるのに、遠慮する方がどうかしている。それは料理人に……引いては食材に対する冒とくだ。違うか?」

「うむむ、そう言われると……全く、あんたは口だけは達者だね」


 本当においしそうにから揚げを食べるルーの顔を見たマーサは、怒るのを諦めて大きく嘆息する。


「でも、本当にマーサの作る料理はおいしい」


 マーサからの叱責を上手く免れたルーは、何度も頷きながら思ったことを口にする。


「私の中ではメルのパパが最高の料理人だけど、マーサはそれに勝るとも劣らない凄い腕をしている。正直、街の酒場で働かせるのはもったいない」

「ハハハ、そりゃそうだよ」


 ルーの何気ない呟きに、昼間からエールを煽っている中年の男性従業員の一人が誇らしげに話す。


「なんてったってマーサさんは、元宮廷料理人なんだからな」

「えっ、本当ですか?」


 その言葉に目敏く反応したメルがマーサの方へ目を向けると、彼女は恥ずかしそうに目を逸らして「フン」と鼻を鳴らす。


「昔の話だよ。ちょっと人に褒められて、調子に乗って自分の料理は特別だと思っていたバカな奴がいたってだけさ」

「いやいや、そんなことないですよ」


 マーサの言葉を、男性従業員は赤ら顔を激しく横に振ってきっぱりと否定する。


「国王様のためにマーサさんが作ったフエゴ様のしずくは、今でもこの時期の宮廷料理人の腕を試す料理として語り継がれていますからね」

「フエゴ様の……しずく?」


 聞いたことのある単語の登場に、メルの顔から血の気がサッと引く。


「フエゴ様って……あの黄色い鳥ですか?」

「うん? ああ、幼体の時はそうだね。何だいメル、フエゴ様を知ってるのかい?」

「知ってるも何も、ここまで一緒に来ました」


 行方がわからなくなってしまった愛らしい鳥のフォルムを思い出しながら、メルは心配そうにマーサに尋ねる。


「もしかして、フエゴ様って食べられるためにここまで来るのですか?」

「えっ? いやいや、何言ってんだい。フエゴ様を食べるなんて、それこそ畏れ多いよ」


 マーサは顔の皺を深くするように苦笑すると、今にも泣きそうになっているメルへと手を伸ばして頬を撫でる。


「いいかい、フエゴ様のしずくって言うのはね……」


 そう前置きしてマーサは、かつて自分が開発した宮廷料理について説明していった。

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