第30話 バイトはじめました

「んんっ……さて」


 ネージュたちが見えなくなるまで見送ったメルは、大きく伸びを一つしてルーに話しかける。


「ルー姉、ごめんね。せっかくここまで来たのに、ボクのわがままで無駄足になっちゃった」

「問題ない」


 サラサラと残ったクッキーを一気に頬張ったルーは、手を伸ばして申し訳なさそうな顔をしているメルの頭を優しく撫でる。


「それにこの街にはおいしいものがたくさんあると聞いている。メルが成長している間に、街の名産品を存分に味わうことにするよ」

「うん、ありがとう……えへへ」


 姉からの後押しをもらったメルは、白い歯を見せてニッコリ笑う。


「…………」


 そんな無邪気に笑うメルを見たルーは、


「えいっ!」


 メルのことを抱き寄せると、体重を預けるように密着して頬擦りをする。


「わぷっ、何々? どうしたのルー姉」

「ちょっとね、疲れちゃった」

「疲れたって馬車に?」

「ん~そんなとこ、だからメルの成分を補給しておこうと思って」

「え~、何それ。もう、くすぐったいってば……」


 容赦のないルーの可愛がりに、メルは逃れようとするが、今度は背中に回ったかと思うとがっちりと妹の体をホールドして放してくれない。


「ああ、癒される」

「もう、ルー姉ったら……」


 ルーは何も言わないが、きっと彼女に何かあったのだろうとメルは思う。


 自分とルーとの最大の違いは尻尾の有無であり、狭い馬車、しかも魔導機関車のソファーと比べると些か硬い木製の椅子は、彼女にとって実は苦痛だったのかもしれない。


 それでも狭い馬車に文句一つ言わずに乗って来てくれたのは、全てメルのためだろう。


 そこまで考えたメルは、無下にルーを引き剥がすのはよくないと思い、背後から回され彼女の手を取って引き摺るように歩き出す。


「ルー姉、ここまで来たんだから教会の見学だけしていこう。後、ノインちゃんたちが何処に行ったかも聞けたら聞いておこう」

「は~い」


 すっかり脱力したルーを背負いながら、メルたちは花が咲き乱れる前庭をのろのろと歩き出した。


 その後、あっさりと目的地の教会を見つけることができたメルたちであったが、ノインたちが何処に行ったかの情報は掴むことができなかった。





 お昼時の厨房は、どこの世界でも戦場である。


「メル、窓際のテーブルにこいつを持っていきな」

「は~い、わかりました」


 コック帽を被った初老の女性が差し出した皿を、メイドを思わせるエプロンドレス姿のメルがパタパタと駆け寄って来てカウンター越しに受け取りに来る。


 ジュージューと食欲をそそる音を立てる肉の塊を見たメルは、顔を近付けて幸せそうに双眸を細める。


「う~ん、いい匂い……本当、マーサお婆様の料理はどれもおいしそう」

「間違っても、つまみ食いなんかするんじゃないよ」

「し、しませんよ」


 かつて姉がやらかした失態を思い出しながら、メルは皿を二つ両手に持って歩き出す。


 メルがメイドのような格好をしているのは、泊っている宿屋の一階部分にある酒場で働いているからであった。


 働いているのは、旅の資金が芳しくないとか、少しでも旅費を稼いでおきたいとかそういうのではなく、宿屋の主人であるマーサの作る料理がおいしいとメルが絶賛していたところ、彼女に酒場の手伝いをしてくれたらタダで飯を食わせてやると言われ、二言で了承したのだった。


 マーサの酒場はエーリアスでも屈指の人気店で、当初は二人共ホールを担当していたのだが、料理のおいしそうな匂いに耐え切れなくなったルーが思わずつまみ食いをしてしまい、散々どやされた後に彼女だけ洗い場へと移されたのだった。



 ウエイトレスの仕事をするのは初めてのメルであったが、持ち前の度胸と明るさであっという間に仕事に慣れ、常連たちにも気に入られる存在になっていた。


「メルちゃん、後でこっちにもそれもらえるかい?」

「は~い、わかりました」


 店内の客からの声に明るい声で応えたメルは、決して広くなくない店内を短いスカートを翻しながら歩き、料理を待っていた客たちに差し出す。


「お待たせしました。羽根つきブタのステーキです」

「キタキタ、相変わらず婆さんのメシはうまそうだぜ」

「本当にね、メルちゃんありがとうね」


 皿を受け取った男女の客は、ナイフとフォークを手に肉厚のステーキへと取り掛かる。


 二センチほどある分厚い肉にスッとナイフを走らせて一口サイズにした男性は、肉にたっぷりソースを付けて大口を開けて肉を頬張る。


「うまい!ここの羽根つきブタはいつ食べても最高だぜ!」

「そうそう、しかも脂がさっぱりとしていて、いくらでも食べられちゃうのよね」

「わかります!」


 幸せそうに笑う男性に、メルが大きく頷いて激しく同意する。


「実はマーサお婆様が使う羽根つきブタは、普通の羽根つきブタとは違うんですよ」

「そ、そうなの?」

「ばっ! お前……」


 思わず聞き返す女性に、もう一人の男性が慌てて止めようとしたが時すでに遅し、目を爛々と輝かせたメルが得意気に話し出す。


「はい、聖王都エーリアス周辺は豊かな土壌もあって、昔からワインなどに使われる果実の生産が豊富なのはご存知ですよね?」

「あっ、うん……知ってる」

「この羽根つきブタは、そんなエーリアス周辺で取れた果物だけを食べて育てることで肉質は柔らか、脂には嫌な臭いやくどさがない、あっさりとした味となって特製のソースとの相性が抜群なんです」

「へぇ……」

「そんな牧場が昨今増加傾向にあるそうですが、マーサお婆様が使う肉は……」


 どうしてメルに説明させたんだ、と目で訴える男性に、女性は顔の前で手を掲げて「ごめんね」と伝える。



 その後、カップルはメルを無視して食事を始めるが、その間もすっかり語りモードに入っているメルの講釈は続く。


「私もこの間、後学のために牧場を見学させてもらったのですが……」

「メル、うるさい」

「あいたっ!?」


 脳天にチョップを振り下ろされたメルは、悲鳴を上げながらようやく話すのを止め、涙目になりながら背後を振り返る。


「うぅ……何するのさルー姉」

「メル、マーサが怒ってる」


 そう言いながら厨房の方を指差すのは、ホール担当のメルよりもシンプルなデザインのエプロン姿のルーだった。


「メルが配膳してくれないと、私の仕事が終わらない。そして、ご飯がもらえない」

「ご、ごめんすぐ戻るから」


 カウンター越しのマーサからの視線に気付いたメルは、怒られるのを予期して頭の黒色のアホ毛をシュン、とさせてすごすごと戻っていく。


 その後、マーサからしっかりとお灸を据えられたメルは、さらに賑わいを見せる客たちに最低限の接客を心掛けながら仕事をこなしていった。

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