第29話 まだまだ未熟者なので

 その後も馬車は軽快に坂を上り続け、十数分の楽しい馬車の旅はあっという間に終わった。


「わぁ……大きい」


 馬車から降りたメルは、坂の上にある建物を見て呆然と口を開ける。


 別名、白の宮殿と呼ばれるエーリアス王城は、聖王都の名に恥じない税の限りを尽くされた代物だった。


 色とりどりの花が咲き乱れる前庭の先に見える建物は、一人でどうやって開けるのかわからないほど巨大で重厚な木製の扉、扉の上の飾り窓は色鮮やかなステンドグラスになっており、壁面には精緻な彫刻がいくつも見て取れた。


 しかもそれはここから見える一階部分、どうやら城に勤める人たちの宿舎兼詰め所だけの話であり、その奥に見える本城はさらに白く、見張り台の役割もあるであろう尖塔も含めて天まで届きそうなほど巨大な建物だった。


「はぁ、こんな山の上にどうやってあんな大きな建物を建てたんだろう……」

「お金もめっちゃかかってそう」

「もう、ルー姉……それは言わない約束だよ」


 急に現実的な話をするルーに、メルは呆れたように笑う。


「フフフ、それはそれはとても大きな工事だったそうよ」


 騎士ファルケの手を借りながら馬車から降りて来たネージュは、城を見学するメルたちの隣に並んで城の上層部へと目を向ける。


「当時は魔物からの襲来を防ぐため、全ての国民が城の中に住めるようにしたから、可能な限り大きくしたらしいわ」

「全ての民を……」

「そう、王の判断でね。平和になってからは改装を重ねて贅の限りを尽くしているように見えるけど、殆どは職人たちの寄付によって賄われているそうよ」


 しっかりとルーの意見を否定しながら、ネージュはメルに質問する。


「それで、メルさんたちは教会に行くんでしょ? よかったら司祭様に取り次ぎましょうか?」

「本当ですか?」

「ええ、今ならメルさんたちに会うこともできるはずだけど……」


 どうやら教会内に伝手があるのか、ネージュはメルに司祭との面会を斡旋すると提案してくれる。


「それで、どうする?」

「そうですね……」


 ネージュからの願ってもない提案ではあったが、


「せっかくですが、今回は遠慮したいと思います」

「……いいの?」

「はい、上手く言えないのですが、今はその時じゃないと思うんです」


 メルは小さく頷きながら、自分の想いを口にする。


「ネージュ様の話を聞いて、ボクはまだまだ未熟だと思い知りました。だから司祭様に会う前に少しでも成長して、自分自身に納得してからお会いしたいと思います」

「そう……わかったわ」


 メルの意見を聞いたネージュは、微笑を浮かべて頷く。


「メルさんが決めたのなら私から言うことは何もないわ」

「すみません、せっかくのご厚意を……」

「いいのいいの、むしろ次に会う時が楽しみになったわ」

「えっ?」

「ウフフ、何でもないわ」


 ネージュは口元を押さえて上品に笑うと、馬車を預けて戻って来たファルケと合流する。


「それじゃあメルさん、ルーさん、私たちはもう行くわ。せっかくここまで来たのだから、教会の見学だけはしていくといいわ」

「はい、ありがとうございます」


 メルが深々と頭を下げて礼を言うと、ネージュは小さく手を振りながらファルケを伴って白い建物の中へと去っていった。



 ※


 宿舎兼詰め所である白い建物の中に入ったネージュは、長い廊下を歩きながら背後に控えるファルケに話しかける。


「ファルケ……あなた、馬車を降りてからずっとルーさんに敵意を向けていたわね」

「何のことでしょう?」


 突然水を向けられたファルケは、涼しい表情のまま淡々と答える。


「ただあたしは、世界を七回焼くとかたわけたことを抜かす輩の実力が本物かどうか、見極めようとしたまでです」


 全く相手にされませんでしたけどね、とファルケは肩を竦めて苦笑する。


「はぁ、全く……」


 報告を聞いたネージュは、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえて嘆息する。


「あなたの戦闘能力は確かですが、今回は私が肝を冷やしましたよ」

「……そこまでですか?」

「そこまでです。メルさんがいなければ、今頃私とあなたは消し炭になっていましたよ」


 ルーがファルケの挑発に乗らなかったのは、隣にメルが隣にいたからであり、彼女がネージュたちとの争いを望まなかったからである。


「とにかく、万が一もファルケが勝てる可能性はありませんから、今後何があっても間違ってもルーさんと戦おうと思ってはいけませんよ」

「…………わかりました」


 ネージュに釘を刺されたファルケは、やや間をおいて返事をする。


「約束ですからね」


 明らかに不承不承といった様子のファルケであったが、ネージュはそれ以上追及せずに前を向いて歩き出す。



「…………」


 去っていくネージュの背中を見ながら、ファルケはその場に立ち尽くしていた。

 一見すると、ファルケの様子は何処も変わった様子はない。

 だが、ファルケを良く知る人が見れば、彼女の目に明らかに怒りの火が灯っているのが見てとれた。


「万が一にも勝てないなんて……面白いじゃん」


 小さな声で呟いたファルケは、犬歯を剥き出しにして獰猛に笑った。

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