第28話 人生の味
メルたちが簡単に自己紹介を終えると、馬車はカラコロと乾いた音を立ててゆっくりと動き始める。
ネージュの騎士だというファルケが用意した馬車は、メルたちが乗ってもまだかなり余裕がある大型の馬車で、二頭の馬によって坂道を苦にすることなく軽快に登り続ける。
馬車に設えられた小さな窓から興味深そうに外を眺めるメルに、隣に座ったネージュが優しい声音で話しかける。
「改めてメルさん、ルーさん、さっきはありがとうね」
「いえ、当然のことをしたまでです」
メルはゆっくりとかぶりを振ると、ネージュへと向き直る。
「出会う人と積極的に関わり、困っている人がいたら助けなさいと、巡礼に出る前にママからよく言われましたから」
「それはそれは……とても立派なお母様ね」
「はい、自慢のママです。ボクはママみたいな大賢者になるのが目標なんです」
「そう……」
無邪気に夢を語るメルを見て、ネージュは慈母のような優し気な笑みを浮かべる。
「それじゃあ、メルさんは大賢者になった後はどうするの?」
「えっ?」
「さっきの活躍を見る限り、メルさんには魔法使いとしての才能は十分にあると思うわ。きっとお母様みたいな賢者になれると思うわ」
でも、とネージュはメルの目を真っ直ぐ見据えながら問いかける。
「賢者というのは、皆が認める肩書きであって職業ではないの」
「そう……なんですか?」
「ええ、それでご飯が食べていけるわけじゃないし、お金を稼げるわけでもないのよ」
ネージュは椅子の肘掛けに体重をかけると、唇の端を吊り上げて目を怪しく光らせる。
「ただ、賢者として認められる実力があれば、ある程度は好きに生きられるわ。手段さえ問わなければ何でも思い通りにできる」
「な、何でも?」
「そう……何でも」
敢えてネージュは口にはしないが、それが決して真っ当なことではないことは、彼女の表情が物語っていた。
「ただ、強い力を行使するにはそれ相応の責任が追従するの。私はこれまで素晴らしい才能を持ちながら、欲望に負けて堕ちて裁かれた者を何人も見てきたわ」
「ボ、ボクはそんな欲望には……」
「負けない自信がある? でも、皆から賢者様ともてはやされたら? 自分はそんなつもりはなくても、知らない間に悪人に手を貸していたら? 絶対にそんなことはないと言い切れる」
「あ、あうあう……」
矢継ぎ早に繰り出されるネージュの質問に、メルは答えに窮してしまう。
果たして巡礼が終わったその後、自分はどうしたいのか?
両親のいる世界へと戻り、一緒に暮らすのか。
それともこちらの世界に残り、ルーと一緒に何処かの国で仕事を見つけて定住するか、もしくは路銀を稼ぎながら当てのない旅を続けるのか。
世界中のおいしいものを食べながら、母親のような賢者になるという明確な目標はあるが、その先にどうなりたいのかを、メルは考えたことなかった。
「あの……その……ボクは…………」
ネージュに何と答えるべきか、メルが困惑していると、
「別に今すぐ結論を出す必要はない」
彼女の正面から、アドバイスが投げかけられる。
「この世界に残るのも、パパやママのいる世界に戻るのもメルの自由だよ」
メルが顔を上げると、正面に座るルーが迷える妹を真っ直ぐ見つめていた。
「先はまだ長い、考える時間は十分ある。そして私は、メルがどんな結論を出したとしても尊重するし、間違ってもメルは悪い道には進まないから大丈夫」
「ううっ、ルー姉ええぇぇ……」
ルーの全幅の信頼を寄せてくれる優しい言葉に感極まったメルは、思わず手を伸ばして彼女の首に飛び付く。
「ありがとう。ルー姉、大好き」
「フフフ、私もメルのことが大好きだよ」
今にも泣き出しそうだったメルを胸に抱いたルーは、頭を撫でながら存分に甘えさせてやる。
「それにもし、メルが世界に絶望して滅ぼすと決めても私がいるから」
「……えっ?」
「大丈夫、本気出せば七回くらいは世界焼けるから、一緒に魔王になろう」
「そうはならないから、絶対に魔王なんかにならないから!」
ルーの本気なのか冗談なのかわからない一言に、彼女の強さを知っているメルは、姉に暴走しないように懇願した。
ルーの大きな胸で一通り甘えたメルは、彼女から身を離してネージュへと向き直る。
「ごめんなさい、ネージュ様。先程の答えですが、今はまだ出せそうにないです」
ただ、
「これから先、じっくり考えて悔いのない答えを出したいと思います。まずは何より、旅を楽しんで、自分が成すべきことをしようと思います」
「そうね……」
メルの返答を聞いたネージュは、微笑を浮かべて大きく首肯する。
「それがいいわ。じっくり悩むこともいい経験になるはずよ」
「はい、色んなことをいっぱい経験して、たくさん悩みます」
「フフフ……」
仲睦まじい様子のメルたちを見て、ネージュは双眸を細める。
「メルさん、急に試すような真似をしてごめんなさいね」
「いえ、少し驚きましたが、大切なことに気付かせていただきました」
かぶりを振ったメルは、居住まいを正してネージュに向かって探るように尋ねる。
「あの……もしかしてネージュ様は、この国のとっても偉い人なのですか?」
「私? 私はそんなたいした人じゃないわ。ただ、メルさんがあまりに眩しくて、老婆心ながらちょっとイジワルしたくなっちゃったの」
「そんな、イジワルだなんてとんでもないです」
悪意があってネージュがあのような質問をしたわけではないことを、メルは重々承知していた。
「ネージュ様のお言葉、とてもありがたかったです。これからの旅をする上で、とても大事なことを教えていただきました」
「そう、よかったわ」
ネージュはホッと一息吐くように大きく息を吐くと、最初に出会った時に地面に置いていた手荷物へと手を伸ばし、中から小さな袋を取り出す。
「怖がらせちゃったお詫びじゃないけど、よかったらこれを食べて」
そう言って袋の中を開けると、一口サイズのクッキーがたくさん入っているのが見て取れた。
「えっ、いいんですか?」
馬車で坂の上まで送ってもらうだけじゃなく、お菓子まで貰っていいものかと恐縮するメルであったが、
「やった。いただきます」
ルーは遠慮する素振りすら見せず、手を伸ばしてクッキーを一つ取ると、嬉しそうに口の中に放る。
「う~ん、おいしい。ほら、メルも貰いなよ」
「あっ、うん……」
ここで遠慮するのはネージュにもルーにも悪いと思ったメルは、おそるおそる手を伸ばしてクッキーを手に取って食べる。
「わぁ、甘くてほんのり塩味と花の……バラの香りがしますね」
「あら、鋭いわね。その通り、これは生地の中に塩漬けにしたバラの花びらが入ったクッキーなの」
ネージュも一つクッキーを食べると、幸せそうな笑みを浮かべる。
「子供の頃からこのクッキーが大好きでね。この年になっても、時々街に出ては買って食べてるの」
「そうなんですね」
先程とは打って変わり、子供っぽく無邪気に笑うネージュを見て、メルもつられるように笑いながらもう一つクッキーを手に取って口へと放る。
ネージュのお気に入りだというバラのクッキーは、ほんのり甘くてちょっぴりしょっぱい、まるで人生のような味だとメルは思った。
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