第14話 真っ当な道なんてクソ喰らえ!

「…………行っちゃった」


 店主の息子が立ち去るのを見送ったメルは、手の中に残ったものを見る。


「これは、魚の切り身?」


 それは綺麗に三枚におろし、柵状に切り分けられた白身魚と思われる切り身だった。


 陽光を受けてキラキラと輝く白身魚の切り身は、まだ処理されて時間が経っていないのか、しっとりと濡れていてぷるぷるとメルの手の中で踊る。

 これが地面に落ち、土などの汚れが付いていなかったら、ちょっと醤油を垂らして齧り付いていたかもしれない……そんなとんでもないことをメルが考えていると、



「これは、あのバカがおろしたフクフクの身だよ」


 彼女の手から白身魚を掠め取った店主が、処理された切り身を見て大きく嘆息する。


「フッ、ずっと未熟未熟と思っていたけど、中々やるじゃないか」

「そうですね……ただ、まだ毒が残っているみたいですけど」

「わかるのかい?」

「はい、毒が見えると何かと便利ですからね」


 ニッコリと笑って自分の目を指差すメルを見て、店主は感心したように大きく頷く。


「なら、お嬢ちゃんに説明するまでもないかもしれないけど、あいつはこれを商品化しようとしているんだよ」

「えっ?」

「わかるだろ? こんなのが表に流れ出た日には、あちこちで食中毒が発生して大惨事だよ」

「そう……ですね。これはちょっとボクでも遠慮したいかな」


 毒の有無だけでなく、それがどれほどの効果を及ぼすかまで理解しているメルは、思わず切り身に齧り付きそうだったことも忘れて店主に質問する。


「でも、どうしておじさまのお子さんはその切り身を商品化しようだなんて?」

「そりゃあ、あいつもフクフクのうまさに取り憑かれたからだよ」

「うまさに……取り憑かれた?」

「ああ、お嬢ちゃんもさっき壺漬けを食べて言っていただろ? しっかり味付けしていても、魚の旨味が残ってるって」

「ああ、そういうことですね」


 皆まで言わなくても、メルは店主の言いたいことを理解する。


 先程メルが指摘した通り、フクフクは毒を抜くために色々な手順を踏み、さらに毒を抜くのに使った薬草類の苦味やえぐみを消すため、大量の調味料や香辛料で味付けをしている。


 普通の食材なら確実に味が死んでしまうような処理を施しても、フクフクはまだ旨味を内包している。

 なら、もしこれらの処理をせずにフクフクの身を食すことができたら、一体どれだけうまいのだろうか? そう考える者が現れてもおかしくはない。


 そして今、店主の息子はそんなフクフクのうまさに取り憑かれ、どうにか無毒のまま魚をおろすことができないかと試行錯誤しているようだった。


「あいつの考えもわかる。俺もかつて何度か挑戦をしたこともあった」

「おじさまも?」

「ああ、結果として三日三晩ベッドの上で激しい吐き気と腹痛、そして指先一つ動かせないほど倦怠感にうなされることになったけどな」

「災難でしたね」

「そうでもない。教会に担ぎこまれなかったら俺は確実に死んでいた。そう考えると、決して高くない授業料だったというわけさ」


 当時の状況を思い出したのか、店主は自分の手を何度も開いたり閉じたりを繰り返しながら嘆息する。


「だから、あいつにはどうにかこんな馬鹿なことは止めさせて、真っ当な道に進んでもらいたいんだよ」

「真っ当な……道」

「そうだよ、せっかく俺が皆と同じように……皆に笑われないようにしてやろうと思っているのに……全く、親の苦労を無下にしやがって」

「むぅ……」


 意気消沈した店主が自分の気持ちを吐露していくと、打って変わってメルは頬を膨らませて不機嫌になっていく。


 だが、そんなメルの変化に気付くことなく、店主の愚痴は止まることを知らない。


「そもそも先人たちの多大な犠牲の上にできあがった壺漬けを、あいつ程度がどうにかするなんて土台無理な話なんだよ。今すぐあんな無謀なことは止めさせて……」

「そんなの、やってみなきゃわからないじゃないですか!」

「おわぉう! ど、どうしたお嬢ちゃん、いきなり大声出して……」


 驚いた店主が飛び退くと、顔を真っ赤にしたメルが怒り顔で睨んでいた。


 何か怒らせるようなことをしただろうか? 店主が困惑していると、目に涙を浮かべたメルが顔を上げて静かに切り出す。


「決めました」

「な、何を?」

「ボクがお兄さんに協力して、フクフクを無毒のまま解体してみせますよ」

「えっ、何で……お嬢ちゃん!?」


 慌ててメルを止めようとする店主だったが、彼女は伸ばされた手をするりと抜けて店主の息子が消えて行った方へと駆けていく。



「ど、どうなってんだ。一体……」


 どうしてメルが怒ったのか、訳が分からない店主は困惑するしかない。


「あちゃ~、やっちゃった」


 するとそこへ、ワイングラスを片手でくゆらせながらルーが現れる。


「ああなったメルは止められない、だから好きにさせるといい」

「お、お姉さん、いいんですかい?」

「ああ……」


 ルーは静かな笑みを浮かべると、メルが立ち去った方を見やる。


「きっとメルなら、新しい風を吹かせてみせるよ」


 そう言って店主に食事代を払ったルーは、メルたちが行きそうな場所を聞いて後を追いかけていった。

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