10

宿のエントランスを出て、部屋に金剛杖を置き忘れたことに気がついた。「またか……」。昨日の今日とはどうも具合が悪い。思わず苦笑いしたが、歩き始める前に気付いたのは幸いだった。これが一時間も二時間も歩いた後だったら泣くに泣けない。


一度、遍路道が工事中で迂回を余儀なくされたものの、その後は順調に歩を進めていく。宿を出発してからちょうど一時間で五十九番札所国分寺に着いた。


参道の入り口には石碑が建っているだけで山門はない。境内の真横にある駐車場には何台かの車が停まっており、初詣客と思しき二組の家族連れがお参りしていた。小ぶりで地味な境内にあって異彩を放っていたのは、一見それとは分からない七福神像で、横一列に並ぶその姿は大学生の頃にテレビで観た飲料水「DAKARA」のCMに登場する小便小僧にそっくりである。


お参りを済ませて墨書と朱印を頂き、次の横峰寺へ向けて出発した。と言っても、今日中に札所へたどり着くのは無理で、今日は手前にある宿まで歩くのである。道端には横峰寺への順路を教える古い石碑が立っている。


昨日と比べると今日の行程はかなり楽だ。歩行距離は昨日の三分の二に過ぎず、時間もせいぜい六時間といったところか。それなのに、国分寺を出て一時間もしない内に歩くのが辛くなり始めた。身体が休憩を欲しがっているのが分かる。恐らくは昨日の疲れが残っているのだろうが、疲労の蓄積というのは誠に侮れないのである。


思い出してみると春のお遍路でも十日目あたりから疲れが急激に溜まりやすくなってきた。肉体的な疲労は精神的にも堪える。私は今日を含めて後三日で一応のゴールだが、通し打ちだったらさらに二週間は歩き続けなければならない。今さらながら、通し打ちの歩き遍路を実行している人たちは凄いと思う。


国分寺と横峰寺の間には興隆寺、生木地蔵と別格の札所が二か寺ある。それらの別格霊場は直線状に並んでいるわけではないが、それでも少し道を遠回りすればどちらもお参りすることが可能だ。しかし、今日の私にはまったくその気が起きない。私自身、その事実に気づいて少し驚きの感情を覚えたのではあるが、そうかと言って身体の向きを別格霊場へと変える気にはならなかった。


今治市から西条市に入り、遠くの方、正面に山が連なって見える。手前の山は深い緑色だが、奥の方には雪化粧が施されている。あれが西日本最高峰である石鎚山なのだろうか。石鎚山は四日前に訪れた岩屋寺がある久万高原町と西条市の市境に位置する。五來重によれば、弘法大師は岩屋寺で修行してから石鎚山へ登ったという。岩屋寺から石鎚山へと向かう登り道は緩やかなのだそうだ。その後、私が明日向かう横峰寺を訪れたのだろうか。


正面の山々を眺めながら、私は奥山が石鎚山であってほしいという強い願望を抱いていた。つまり、明日登る綱付山は手前の青山でありますように、ということである。横峰寺が建つ綱付山にも残雪が多かったらどうしようかと、不安が頭をよぎった。まあ、ここまで来て色々と考えても仕方がない。今夜の宿はもうすぐそこなのだ。


宿の駐車場には愛媛ナンバーだけでなく県外車も多かった。温泉施設が備わっており、日帰りの入浴客もたくさんいるようで、館内は賑わっていた。大浴場に浸かって身体が温まり、豪勢な夕飯に舌鼓をうつ。私はゆっくりとビールのグラスを傾けながら、ようやくお正月らしい幸せな気分に包まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る